邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1979, Part.2

モンロー・ウォーク/南佳孝(1979)

南佳孝の6作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高38位を記録した。

郷ひろみが「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」のタイトルでカバーして、オリコン週間シングルランキングで最高11位、「ザ・ベストテン」で最高4位のヒットを記録した。

タイトルを勝手に変えられたことについては、作詞者の来生えつこが激怒していたとのことである。作曲は南佳孝、編曲は坂本龍一である。

モンロー・ウォークは女優のマリリン・モンローが映画「ナイアガラ」で見せた腰を左右に振りながら歩くセクシーな歩き方のこよである。

ラテン的なリズムにシンセ、ホーン、ストリングスなどが効果的に用いられたアレンジが素晴らしく、夏の浜辺のギラギラ感を表現しているようでとても良い。

カリフォルニア・コネクション/水谷豊(1979)

水谷豊の5作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」では4週連続1位のヒットを記録した。

テレビドラマ「熱中時代・刑事編」のオープニングテーマ曲であり、都会的でありながら開放感もあるサウンドと水谷豊の素朴なボーカルが絶妙にマッチしているところがとても良い。

ギターのフレーズなどに刑事ドラマの主題歌を意識したようなところが感じられたりもする。

「言葉をこえた愛もあるはず」という歌詞があるように、ドラマ内で共演したミッキー・マッケンジー(役名はミッキー・フランクリン)との関係性が歌われていると思われる。

当時の日本ではアメリカ西海岸カルチャーがじじょうに信奉されていたようなところがあり、特にカリフォルニアという地名のイメージはとても良かった。

まったくの余談だが当時、個人的に中学校の入学祝いに買ってもらった自転車もカリフォルニアロードという名称であった。

とはいえ、ミッキー・グランクリンはカリフォルニアではなくテキサス出身という設定だったような気がする。その後、水谷豊はドラマ内と同様にミッキー・マッケンジーと国際結婚するのだが、数年後に離婚している。

アメリカン・フィーリング/サーカス(1979)

サーカスの5作目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」共に最高5位を記録している。

3人姉弟と従姉からなる男女4人組コーラスグループ、サーカスの「Mr. サマータイム」に続くヒット曲となり、この曲で「NHK紅白歌合戦」にも前年に続いての出場を果たした。

日本航空系旅行会社のテレビCMソングに使われていて、当時の日本人のアメリカに対する憧れが詰まったような楽曲になっている。

編曲は坂本龍一で、この曲で「第21回日本レコード大賞」編曲賞を受賞している。

銀河鉄道999/ゴダイゴ(1979)

ゴダイゴの11作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では1位を記録した。

アニメーション映画「銀河鉄道999」の主題歌を当時大人気だったゴダイゴが歌うということで、当然の大ヒットとなったわけだが、それまでのアニメの主題歌といえばいかにもそれと分かりやすいものだったのに対し、純粋にポップソングとしても指示されたところが当時としては画期的だったかもしれない。

それまでアニメはテレビまんがなどと呼ばれていて、一般的に子供が見るものとされているようなとことがあったのだが、1970年代後半の「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」といった松本零士作品あたりから大人に鑑賞にも耐えうるものとして認識されはじめたような気もする。

虹とスニーカーの頃/チューリップ(1979)

チューリップの16作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高6位、「ザ・ベストテン」では最高4位を記録した。

この時点でバンドとしてすでにかなりのキャリアを積んでいたのだが、「心の旅」のヒットをリアルタイムではよく知らない当時の中学生あたりにとっては、ニューミュージックとして新鮮に聴くことができた。

「わがままは男の罪 それを許さないのは女の罪」というフレーズもいまとなってはどうかと思わなくもないのだが、何となく大人びた気分にもなりながら合いの手的な「オォー」とか「オーオー」というコーラスと共に友人とよく歌ったりしていた。

セクシャルバイオレットNo.1/桑名正博(1979)

桑名正博のソロアーティストとしては6作目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」共に1位を記録した。

カネボウ化粧品のCMに使われたのがやはりとても大きく、松本隆、筒美京平の黄金コンビによる代表的なヒット曲の1つとして知られる。

ロック版の西城秀樹を意図した楽曲でもあったらしく、大衆性のあるセクシーさ加減がとても良い。

当時、フジテレビ系で「ザ・ベストテン」をパクっていることに堂々と開き直りまくっている「ビッグベストテン」という新番組がはじまり、第1回の1位がこの曲だったのだが、交通渋滞に巻き込まれたためスタジオに着くのが番組終了間近となり、初回から1位の曲が歌われないという暗雲立ち込める感じに早くもなっていた。

この番組は数ヶ月間で打ち切りになったのだが、個人的に歌番組が好きすぎて毎週見ていたため?中学校のクラスメイトとは裏番組の「3年B組金八先生」の話ができなかったことが思い出される。

思い過ごしも恋のうち/サザンオールスターズ(1979)

サザンオールスターズの4作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高7位、「ザ・ベストテン」では最高4位を記録した。

「いとしのエリー」ではなくこの曲は当初は3作目のシングルに予定されていたようなのだが、結果的にあの順番で正解だったと思われる。

「いとしのエリー」を収録したアルバム「10ナンバーズ・からっと」はオリコン週間アルバムランキングで最高2位とかなり売れるのだが、この曲はそこからのシングルカットだったにもかかわらずちゃんとヒットしたということで、サザンオールスターズの人気がベーシックに確固としたものになっていることを強く認識させられた。

曲調はものすごく陽気なのにもかかわらず歌われている内容が切ない片想いというのがとても良く、「男は立てよ 行けよ女の元へ 背中がうずく時がかんじんなのね」などのフレーズにグッときて、思わず大学ノートに書き写す男子中学生も少なくはなかったと思われる。

美術館で会った人だろ/P-MODEL(1979)

平沢進率いるテクノポップバンド、P-MODELのデビューシングルで、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に影響を受けたアルバム「IN A MODEL ROOM」にも収録された。

ニューウェイブ的な音楽性とピコピコしたシンセ音が特徴で、YMOことイエロー・マジック・オーケストラの社会現象的ともいえるブレイクに牽引されたテクノブームにおいては、プラスチックス、ヒカシューと共にテクノ御三家と呼ばれたりもする。

SEPTEMBER/竹内まりや(1979)

竹内まりやの3作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高39位を記録した。「第21回日本レコード大賞」ではこの曲で倉田まり子、井上望といったアイドル歌手などと共に新人賞を受賞している(最優秀新人賞は桑江知子「私のハートはストップモーション」である)。

作詞が松本隆で作曲・編曲が林哲司、デビュー前のEPOがコーラスで参加している。当時の竹内まりやはキャンパスポップス的な曲を歌うニューミュージック系の新人アーティストというイメージで、芸能人的な仕事もいろいろやらされていた。

シティポップ的なサウンドを、一般大衆にも広めた楽曲の1つだといえる。イントロが流れた瞬間に秋のはじまりの気分にさせられ、「辛子色のシャツ」からはじまる歌詞は切ない恋の終わりをヴィヴィッドに描写している。

借りていた辞書の「Love」という言葉だけ切り抜いて返すのが別れの合図だというくだりは、数年後の「オールナイトフジ」でB21スペシャルのミスターちんとオールナイターズのおそらく新関捺美あたりがドラマ化して演じていたような記憶がある。