マイケル・ジャクソン「今夜はドント・ストップ」

「今夜はドント・ストップ」はマイケル・ジャクソンのアルバム「オフ・ザ・ウォール」から最初のシングルとしてリリースされた楽曲で、全米シングルチャートでは1979年10月13日付で1位を記録した。

マイケル・ジャクソンが1960年代の終わり近くに兄弟とのグループジャクソン5のリードボーカリストとしてデビューしたことはよく知られているのだが、「帰ってほしいの」「ABC」「小さな経験」「アイル・ビー・ゼア」は全米シングルチャートで1位を記録した。

ダイアナ・ロスが見いだしたという設定でデビューしたのだが、それは完全なフィクションであった。

マイケル・ジャクソンはソロアーティストとしても1972年にリリースした「ベンのテーマ」が全米シングルチャートで1位を記録するのだが、あくまでジャクソン5のリードボーカリストとしての印象が強く、まだまだ幼さが残っていたのではないかと思われる。

ジャクソン5には次第に自我がめばえていって、もう少しリアルでシリアスな音楽をやりたいとも考えるのだが、これがレーベルが求めるアイドル的なイメージに反発することになる。

それでモータウンを抜けてエピックレコードに移籍することになるのだが、それならジャクソン5という名前は使うのとでもいうような感じではあったため、ジャクソン5はジャクソンズに改名することになる。

マイケル・ジャクソンはダイアナ・ロスが出演するミュージカル「ウィズ」でかかしの役を演じるのだが、そこでジャズミュージシャンで音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズと親しくなり、やがて「オフ・ザ・ウォール」が制作されることになった。

マイケル・ジャクソンが大人のアーティストとしてのイメージを確立することにもなった「オフ・ザ・ウォール」は当時のディスコブームのトレンド感をも絶妙に取り込み、コンテンポラリーなポップミュージックとして絶大な支持を得ることになった。

「今夜はドント・ストップ」「ロック・ウィズ・ユー」が2曲連続して全米シングルチャートの1位を記録するのだが、「オフ・ザ・ウォール」も全米アルバムチャートでの最高位は3位だったものの、1980年の年間チャートではピンク・フロイド「ザ・ウォール」、イーグルス「ロング・ラン」に次ぐ3位と、全米アルバムチャートで1位を記録したビリー・ジョエル「グラス・ハウス」、ボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・ブレット・バンド「奔馬の如く」などよりも高い順位にランクインした。

「今夜はドント・ストップ」はマイケル・ジャクソン自身が作詞・作曲をした最初のヒット曲という点においても特筆すべきなのだが、それを推奨したのは共同プロデューサーのクインシー・ジョーンズだったという。

それにしても「今夜はドント・ストップ」の原題「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」を直訳すると「満足するまでやめないで」という感じになるわけだが、はっきりと明示されてはいないものの、性的なほのめかしはナチュラルに感じることができる。

当時、MTVはまだ開局していないのだが、この楽曲にはミュージックビデオが制作されてもいて、まだあどけなさも残るマイケル・ジャクソンの姿とそのナチュラルに素敵なダンスパフォーマンスも記録されている。3人のマイケル・ジャクソンが同時にパフォーマンスしているかのような映像も、当時としてはかなり斬新だったのではないかと想像できる。

このミュージックビデオを監督したのは、ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」よりも以前に監督した映画「THX 1138」でアシスタントを務めていたニック・サクストンである。

そして、「スター・ウォーズ」といえば繰り返される「続けて、フォースと共に、止めないで」というような歌詞にはその影響を感じずにはいられない。

マイケル・ジャクソンのボーカルパフォーマンスにおける特徴といえば独特の叫び声のようなものが挿入されることが挙げられるが、それが初めて試みられた楽曲として知られる。

この曲をレコーディングした頃のマイケル・ジャクソンは20歳ですでに大人の声になっていたのだが、ひじょうに高い音域で作曲されていることもあり、ほとんどファルセットで歌われている。

マイケル・ジャクソンが誰もが知っている超大人気で有名なポップスターになるのはこの約3年後にリリースしたアルバム「スリラー」以降だと思われ、「今夜はドント・ストップ」は全米NO.1シングルにもかかわらず、それ以前にリリースされていたディスコクラッシック的な印象もある。

個人的には1990年代の半ばあたりに代々木上原駅のすぐそばの地下にあったタイ料理店のようなところで金曜の夜にこの曲がかかると、メガネをかけていて細身で色白の若手サラリーマン風情が拳を天に突き上げてファルセットで歌い、陽気な雰囲気を演出していたことである。

日本ではこの曲がアメリカで大ヒットしてからアルバム「スリラー」がリリースされるある時点でスズキのスクーター、ラブのテレビCMに使われていたのだが、マイケル・ジャクソン自身も出演していて、白人の美女をスクーターに乗せた後ろで華麗なダンスを披露してもいた。

これによって認知度がお茶の間レベルにまでなったような気もするのだが、この頃にはまだ誰もが知っている超有名なポップスターというよりは、まだ好きだと表明することが進んでいてクールだと思われるレベルだったような気もするのだが、記憶がそれほど定かではない。

アイドル歌手としてブレイクしてからそれほど経っていなかった頃の田原俊彦が好きなアーティストとして挙げていたような気がするのだが、個人的にはそれによって一目置いたのではないかと思う。