映画「ラブ&ポップ」と90年代渋谷の記憶

「ラブ&ポップ」は1997年7月19日の渋谷を舞台にした映画であり、翌年の1月9日に劇場公開されたようである。村上龍の小説を原作としていて、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」などで知られる庵野秀明がアニメーションではない実写作品としては初めて監督している。エンドロールには「庵野秀明(新人)」と表記されている(1997年7月19日は庵野秀明監督・脚本のアニメーション映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」の劇場公開日でもある)。

家庭用のデジタルビデオカメラをあえて用いた撮影方法、主要キャストである女子高校生役の女優たちにあえて細かい演技指導を行わなかったことによるナチュラル感などによって、実験的でありながらポップ感覚に溢れた素晴らしい映像作品になっているのみならず、当時の渋谷という街の風景や空気感までをもヴィヴィッドに記録することによって、資料的にも価値が高いものになっているような気がする。

1997年は平成9年なのだが、いわゆる平成レトロ的なプレイバックカルチャーが無意識に切り離したであろうヴィヴィッドな感覚が記録されていることもあり、当時この作品が描いている界隈とそれほど遠くはないところにいた人たちにとっては、かさぶた剥がし的にヒリヒリ痛む箇所が生じる可能性がある。

主人公は女子高校生の吉井裕美で、女優の三輪明日美が演じている。両親役は森本レオと岡田奈々で、父は鉄道模型、母はスイミングとそれぞれ趣味に熱中している。これといった破綻や分かりやすい不幸があるわけでもなく、カジュアルに平和な日常を生きる当時としては平均的な日本の家庭なのではないかというような気がする。

それで友人たちとの4人グループで渋谷に水着を買いにいくのだが、その中にはブレイクする前の仲間由紀恵が演じる高森千恵子もいる。彼女たちは特に尖っているわけでも病んでいるわけでもないわりと普通の女子高校生たちなのだが、援助交際は日常的にすぐ近くにある。

これにあえて露悪的にデフォルメしているかのような気持ちの悪さを感じる人たちも当然いるのではないかと思われるのだが、当時はリアルにわりとこんな感じであった。

彼女たちは渋谷の街で行動をするのだが、スクランブル交差点のところではQFRONTがまだ建設中であり、渋谷PARCOのところにはこの年の8月6日にリリースされるコーネリアス「FANTASMA」も大きな広告看板がディスプレイされている。

主人公の吉井裕美は宝石売場で試着したトパーズの指輪がとてもきれいだったので、どうしても欲しくなる。価格は12万8000円なので、女子高校生が簡単には買えない。それで援助交際をしようということになる。たとえば当時の渋谷においては、この作品で描かれているように自ら能動的に行動しなくても、ただ街を歩いているだけでそれはすぐ身近にあったのだった。

「ラブ&ポップ」が描いている時代というのは渋谷の街並みだけではなくて、日本国民の一般的な日常生活の大きな変わり目を偶然にも記録しているように思える。たとえば携帯電話とインターネットという後に国民必須のインフラとなるツールはすでに存在はしているのだが、女子高校生レベルまでにはまだ普及していない。

グループのうちの1人がパソコンにハマっているというような説明はあるのだが、インターネットをどれほど利用しているかは定かではない。怪しげな男性から借りている携帯電話が1台あるのだが、女子高校生たちは誰ひとりとして持ってはいない。PHSやポケベルの時代はがあともう少しは続いていたような気がする。

インターネットも携帯電話もまだ普及していないので、援助交際についての連絡は電話の伝言サービスを通じて行われる。そのメッセージのいくつかが実際に記録されていて、様々な記憶を呼び覚まされる視聴者も少なくはないと思われる。

「ラブ&ポップ」では女子高校生たちとカラオケボックスに行くだけで、特に性的な要求はしないのだが、それだけで12万円ぐらいを支払うという中年男性が登場するのだが、当時そういう人たちは実際にいたし、それだけの経済的価値を彼女たちも自覚していた。

広末涼子のデビューシングル「MajiでKoiする5秒前」はこの年の4月15日にリリースされ、大ヒットしたのだが、「渋谷はちょっと苦手」(作詞は竹内まりやである)と歌われているのは、ほぼ「ラブ&ポップ」で描写されている渋谷である。

「ラブ&ポップ」のカラオケボックスのシーンで女子高校生のうちの1人が広末涼子の次のシングル「大スキ!」を歌うのだが、発売日はこの年の6月25日であるため、この時点ではリリースされたばかりの新曲ということになる。

カラオケボックスで中年男性はこの前の年のオリコンシングルランキングで年間4位の大ヒットを記録したスピッツ「チェリー」を歌うのだが、仲間由紀恵が演じる高森千恵子から「本当に好きな歌、歌いましょうよ」「だから、あの、今風の歌じゃなくて」などといわれ、歌うのが南こうせつとかぐや姫「神田川」である。

仲間由紀恵が演じる高森千恵子はこういったシチュエーションに場馴れしているのか、中年男性とデュエットまでかましてみせるのだが、他の女子高校生たちは中年男性に聞こえないところで「しかしのどかな時代だったんだね。あんな歌が平気でヒットしたりしてたんでしょ。いい時代だったんだね。いまあんなんだったらさ、気分は超ウルトラスーパーベリーバッドで死んじゃうよ」と率直な感想を漏らす。

その後、中年男性は女子高校生たちにマスカットを口に含ませてから吐きださせ、それを収集していくのだが、その対価として高額の現金を支払うのだった。

こうして主人公の吉井裕美が欲しくなったトパーズの指輪を買うのに必要な資金は調達できたのだが、4人で得たお金なので4分割することを提案し、それからは宝石店の閉店時刻までに1人で援助交際をして不足している金額を稼ごうと決心する。

宮下公園で撮影されたシーンもあり、これも現在ではなかなか貴重なのだが、ここから見下ろすことができるタワーレコードはこの場所に移転してからまだそれほど経ってはいない。元々は宇田川町の東急ハンズの近く、令和6年7月の時点ではローソンやサイゼリヤが入っているビルにあったのが、1995年に現在の場所に移転したのだった。

吉井裕美が1人になってから伝言ダイヤルで連絡を取った最初の男性は、レンタルビデオショップに一緒に行くことを要求する。この時代におけるレンタルビデオショップというのはエンターテインメントの最先端という感じでもあり、かなりの熱気に溢れていたということができる。

「ラブ&ポップ」でも当時の平均的なレンタルビデオショップの雰囲気は記録されていて、エンドロールを確認したところ、どうやら大手チェーンであるGEOのショップだったようである。主人公がアダルトビデオのタイトルを淡々と機械的に読み上げ続ける音声がかぶさるシーンもあり、これもひじょうに印象的であった。

「ラブ&ポップ」における半ばドキュメンタリー的でもある映像にはアダルトビデオからの影響も感じられるのだが、実際にアダルトビデオ界の人気監督であるカンパニー松尾やバクシーシ山下が撮影したメイキング映像が一部で使用されてもいたようである。

その後、浅野忠信が演じるキャプテンEO(作品中ではいわゆるピー音やモザイク処理によってはっきりそれとは分からないようになっているが)を名乗る男性とのラブホテルでのややセンセーショナルなやり取りを経て、主人公が何らかの教訓を得るというような結末になってはいるのだが、それ自体にはあまり意味がないように思える。

岡村靖幸がやはり援助交際をテーマにした1996年のシングル「ハレンチ」にもやや通じるところがあるような気もするのだが、映像が醸し出すヴィヴィッドなリアリティや無自覚的であるがゆえのエロスの強度こそが圧倒的だということができる。

エンドロールは本来、主要キャストの女子高校生たちが水着姿ではしゃぐ映像が予定されていて、実際に撮影されて広告用の映像には使用されたりもしていたのだが、最終的には主人公を演じた三輪明日美による加藤和彦と北山修「あの素晴らしい愛をもう一度」のカバーバージョンをバックに、女子高校生たちが制服姿のまま渋谷川を歩くという印象的な映像となった。

「ラブ&ポップ」という映画の評価については、鑑賞する者の90年代や渋谷や女子高校生に対しての個人的な関係性の強さや趣味嗜好の頃合いなどによってかなり変化するのではないかと思わなくもないのだが、個人的には公開されてから四半世紀以上も経ってからやっと初めて視聴したのだが、あまりにも刺さりすぎてそれから数日間は日常生活にさえ影響をおよぼすレベルでもあったのと同時に、価値観として圧倒的に好きなもののほとんどがこの作品に含まれているな、などと感じさせられたりもしたのであった。