キム・カーンズ「ベティ・デイビスの瞳」

「ベティ・デイビスの瞳」はアメリカのシンガー、キム・カーンズの6作目のアルバム「私の中のドラマ」に先がけてシングルとしてリリースされた楽曲で全米シングルチャートで通算9週1位、1981年の年間シングルチャートでも1位を記録した。グラミー賞では最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞している。

キム・カーンズは1966年にフォークグループ、ニュー・クリスティ・ミンストレルズのメンバーとしてデビューするのだが、1971年にはソロアーティストとしての活動をスタートして、1980年にスモーキー・ロビンソン「モア・ラヴ」のカバーバージョンやケニー・ロジャースとのデュエットで「荒野に消えた愛」をヒットさせた。

「ベティ・デイヴィスの瞳」はジャッキー・デシャノンが1974年のアルバム「ニュー・アレンジメント」に収録していた楽曲のカバーバージョンで、オリジナルはピアノやペダルスチールギターなどによって演奏されていたのだが、キム・カーンズのバージョンではシンセサイザーを効果的に用いたニューウェイブテイストのサウンドとなっていた。

これに女性版ロッド・スチュワートとでもいうようなキム・カーンズのハスキーなボーカルが見事にハマり、大ヒットを記録したのであった。

「ベティ・デイヴィスの瞳」は1981年5月16日付の全米シングルチャートでシーナ・イーストン「9 to 5(モーニング・トレイン)」にかわって1位になると、6月13日付ではオランダの音楽プロジェクト、スターズ・オン45によるビートルズメドレー「ショッキング・ビートルズ45」にその座を奪われるものの、翌週には抜き返し、7月25日付でエア・サプライ「シーサイド・ラヴ」に抜かれるまで、計9週間にわたって1位を記録した。

この間、グローヴァー・ワシントン・ジュニア「クリスタルの恋人たち」、スモーキー・ロビンソン「ビーイング・ウィズ・ユー」、ジョージ・ハリスン「過ぎ去りし日々」が最高2位に終わっている。

この曲で歌われているベティ・デイヴィスは往年のハリウッド女優で、キム・カーンズのバージョンがヒットした当時は73歳だったのだが、孫がヒット曲で祖母のことが歌われていることをクールだと思ってくれたことや、現代史の一部にしてくれたことについて、キム・カーンズとソングライターのドナ・ワイス、ジャッキー・デシャノンに感謝の手紙を送った。

さらにグラミー賞を受賞したときにはバラの花束を贈って祝福したのだが、お返しにキム・カーンズはゴールドとプラチナディスクを贈り、ベティ・デイヴィスはそれを壁に飾っていたという。

「ベティ・デイヴィスの瞳」はレモンライム味の炭酸飲料、セブンアップのCMにも使われていたのだが、日本でも「スキ、スッキリ、スキ、クッキリ、セブンアップ、センセイション」というような歌詞で放送されていた。

当時、旭川の公立高校でも美瑛から汽車で通学していたテニス部の女子が口ずさんでいたので、それなりに有名だったのかもしれない。