「風花」(2001年)【名画レヴュー】

小泉今日子と浅野忠信が主演した映画「風花」は2001年に公開され、ビデオソフト化された時に見て、わりと印象に残っていた。見ようと思った理由は個人的に出身地である北海道が舞台にいて、小泉今日子と浅野忠信というビッグネームが主演しているということであった。監督は「セーラー服と機関銃」「台風クラブ」「お引越し」などで知られる相米慎二で、結果的にこれが遺作となったわけだが、これについてはすっかり忘れていたし、それほど意識していなかったように感じられる。

その後、何度かDVDをレンタルなどして見直した記憶もあるのだが、最後に見てからかなりの年月が経っていたことには間違いない。時々、この映画のことを思い出すことがあったのだが、特に印象に残っていたのは、北海道の宿の主人のような人が歌い、ほとんどが常連だと思われる客たちがレスポンスもする、「ピヨピヨ」とかいう曲、そして、地元の料理店で泥酔しながら北海道の悪口を言い続ける浅野忠信演じる澤崎廉司が他の客にボコ殴りされるシーンであった。

先日、定額制動画配信サービスのU-NEXTで視聴することができる作品を適当に探していたところ、「風花」も入っていることが分かったのだが、他にやらなければいけないことなどもいろいろあったため、その場ですぐに見たわけではなかった。ただし、「マイリスト」には入れておいた。そして、ずっと気になっていた北海道の宿の主人のような人が「ピヨピヨ」とかいう曲を歌うシーンをシークして、そこだけは久々に見た。なんとも哀感がありながらユーモラスな感じが、たまらなく良かった。そして、記憶では歌っている人の姿が真正面から捉えられていることになっていたのだが、実際には後ろからしか映されていなかったので、なかなか適当なものだと思い知らされたりもした。そして、この「ピヨピヨ」とかいう曲のタイトルは確かにその通りで、歌っている宿の主人のような人を演じているのは柄本明であった。

それから数日後、可及的速やかに「風花」が見たいという気分がなぜだか急に盛り上がってきたので、夕食の後にダージリンティーを飲みながら見はじめたのであった。結論としてはこの映画がやはりとても好きだなということを再認識したのと、ディテールについてより詳しく味わうことができたような気がする。

まず、小泉今日子が演じる主人公の冨田ゆり子はレモンちゃんという源氏名を持つピンサロ嬢でもあるのだが、当時はアイドル出身の小泉今日子が風俗嬢を熱演ということが話題にもなっていたような気がする。そして、当時ひじょうにトレンディーな俳優として人気だった浅野忠信が、泥酔していることが多い文部省高級官僚、澤木廉司を演じているのもなかなかおもしろかった。個人的に大好きな日本の映画の1つに1990年に公開された「バタアシ金魚」があるのだが、これにはブレイク前の浅野忠信が丸坊主の水泳部員役で出演していて、わずか約10年の間にこんなにも変わったのかと思わされたりもした。

それはそうとして、映画のオープニングシーンではこの2人が桜の木の下にいるのだが、どうやら泥酔した状態で寝ていたと思われる。この2人がどのように出会い、なぜここにいるのかが視聴者にはこの時点ではまだ説明されないし、澤木廉司は覚えてもいないようであった。いろいろあって、この2人は飛行機で北海道に向かうことになるのだが、その行先は女満別空港だということが冨田ゆり子のセリフから分かる。

ところで個人的にこの映画を見ようと思った大きな理由の1つが、出身地である北海道を舞台にしていることでもあったのだが、北海道はでっかいどうというぐらいであまりにも広大であり、たとえ生まれてから高校を卒業するまで暮らしていたとしたところで、行ったことがなかったりまったくゆかりのない地域などというのはいくらでもある。特に個人的には約18年半の間、引越しは何度かしていたものの、天気予報の区分でいうところの上川・留萌地方以外では暮らしたことがない。それで、女満別空港と聞いてもその名前ぐらいはかろうじて知っているが、北海道地図のどの辺りにあるかすらピンと来ない状態であった。北海道に着いた2人は、ピンク色のレンタカーで走りはじめるのだが、ナンバープレートには「北見」と表記されている。これもまた、玉ねぎの名産地であったり塩やきそばが有名だったりというイメージぐらいしかないし、もちろん行ったこともない。それでも、田舎の単調な景色の中を車で長時間走り続ける様子には、どこか懐かしさのようなものが感じられる。

この映画が撮影されてからすでに20年以上が経っていて、普通に考えると大昔ではあるのだが、過去のポップカルチャーを日常的に視聴していると、その多くはより以前である80年代や90年代、さらにはそれ以前のものだったりすることもあって、わりと最近であるように感じられる。とはいえ、実際に見てみると、おそらく何とはないシーンの細かいところに、忘れ去られたたまらない懐かしさ、そして、これ以降に生まれた人達にとっては、おそらくリアルな感覚としては伝わらないのだろうな、と思えるようなところがある。たとえば、当時は最新機器であった携帯電話のアンテナを引き出し、伸ばしてから通話をする感じ、あるいは公衆電話で通話を終え、受話器を戻した後で音が鳴って、下の方からテレホンカードが排出される感じなどである。澤木蓮司が泥酔状態で万引きしたところを取り押さえられるコンビニエンスストアは生活彩家であり、かつては高島屋グループだったが、後にポプラによって買収されている。

北海道でのシーンの合間に、2人がどのようにしてここに至ったかが、過去を回想する映像によって少しずつ明かされていく。そして、どのような状況の人々にもそれぞれ様々な事情や物語があって、現在に至っているのだということを再認識させられたりもする。冨田ゆり子が5年前、幼い娘や母と別れた田舎の駅には石炭ストーブが置かれていて、煙突が天井までのびている。ある時期までの北海道においては、当たり前の光景だったと記憶している。いろいろあった末に行き場を失った2人が偶然に出会い、北海道の田舎を車で走り続けるロードムービーとしてこの映画は紹介されたりもするわけだが、その目的は死をも含んでいる。そして、山の中にあるまるで小屋のようなあの宿がやはりとても印象に残り、ここである必然性があったのだろうと思わせたりもするのだが、調べてみたところ、このロケ地となっているのは上川郡上川町にある愛山渓温泉というところらしい。ということは。個人的にもかなり地元に近いのだが、もちろん行ったことなどはない。山の中すぎて北海道電力の電気が届かず、川の水によって自家発電しているらしい。営業期間は、毎年5月中旬から10月中旬の約5ヶ月間だということである。

真夜中に宿を飛び出した後の雪山でのシーンがクライマックスであり、その後の展開もなかなか感動的なものでもある。この映画の原作となったのは北海道帯広市出身の小説家、鳴海明による1999年の小説だが、タイトルの「風花」とは山に積もった雪が風によって舞い、花のように見えることを指すようである。このタイトルがしっくりとくるシーンの映像は幻想的ですらあり、そこに生と死がかかわっていたり、これが個人的には地元からわりと近くで撮影されたのだというような感慨もあって、なかなか良いと感じたのであった。