カラーフィールド「シンキング・オブ・ユー」

「シンキング・オブ・ユー」はザ・スペシャルズ、ファン・ボーイ・スリーのメンバーとして活躍したテリー・ホールがカール・シェイル、トビー・ライオンズと結成した3人組バンド、ザ・カラーフィールドが3枚目のシングルとしてリリースした楽曲で、全英シングルチャートで最高12位を記録した。

ボサノバ調のリズムとストリングスも効果的に用いたネオアコースティック的なサウンドが特徴のラブソングで、「君が僕のことを考えたら、僕は君のことを考えているよ」というようなことが歌われている。

カトリーナ・フィリップスをゲストに迎え、テリー・ホールとのデュエットソングとなっている。ザ・カラーフィールドの最初のシングル「ザ・カラー・フィールド」が全英シングルチャートで最高43位、次の「テイク」が最高70位だったことを考えると、「シンキング・オブ・ユー」の最高12位は大躍進だということができる。

「シンキング・オブ・ユー」が最高位を記録した1985年2月24日付の全英シングルチャートではエレイン・ペイジ&バーバラ・ディクソン「アイ・ノウ・ヒム・ソー・ウェル」が1位、デッド・オア・アライヴ「ユー・スピン・ミー・アラウンド」が2位にランクインしていた。12位の「シンキング・オブ・ユー」はブライアン・アダムス「ラン・トゥ・ユー」、ドン・ヘンリー「ボーイズ・オブ・サマー」という2曲のアメリカンロッカーによるヒット曲に挟まれている。

ザ・カラーフィールドのようなネオアコースティック的な楽曲はかなり異彩を放っていたようにも思えるのだが、8位にはカースティ・マッコールによるビリー・ブラッグ「ア・ニュー・イングランド」のカバーバージョンがランクインしていたりもする。

個人的にこの曲がヒットのピークを迎えていたときには、大学受験のため東京にいて、品川プリンスホテルか虎ノ門パストラルに宿泊していたのだが、山手線や営団地下鉄日比谷線に乗ってよく六本木WAVEに行っていた。虎ノ門パストラルの最寄駅は神谷町で六本木までは1駅だったので、とても良かった。

「シンキング・オブ・ユー」は大学受験で東京に来る少し前にNHK-FMのリクエストコーナーでオンエアされたのをカセットテープに録音(当時でいうところのエアチェック)していて、かなり気に入っていた。

大学受験には失敗して4月から東京で浪人生活を送ることになるのだが、水道橋の予備校、研数学館に通うため、都営地下鉄千石駅と巣鴨駅との間ぐらいにある4畳半風呂なしのアパート、大橋荘に住んでいた。予備校の授業は午前中で終わったので、午後には書店やレコード店に行くことが多かった。

渋谷や新宿よりも近かったので池袋に行くことがわりと多く、当時は西武・パルコ文化がまだ流行っていて当時の池袋にはそのメッカ的な側面もあったりはしたため、それはそれで満足していた。池袋PARCOの入口から2階あたりまで直進するエスカレーターがあったのだが、ハウスマヌカンのような人がいるブティックのような売場と直面することにもなり、地方から出てきたばかりの18歳の少年としてはわりと緊張を強いられることになった。

池袋PARCOに行く目的はファッションフロアではなく6階にある輸入レコード店、オンステージヤマノである。旭川の実家にいた頃はミュージックショップ国原や玉光堂で輸入盤のレコードを買うことがあったのだが、大体は「ミュージック・マガジン」や「ロッキング・オン」などでそのレコードについての情報を確認した後であった。

しかし、池袋PARCOの6階にあったオンステージヤマノではザ・スタイル・カウンシル「アワ・フェイヴァリット・ショップ」やプリンス・アンド・ザ・レヴォリューション「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」を音楽雑誌で見るよりも先に購入することができ、さすが東京だと深く感激した記憶がある。

「シンキング・オブ・ユー」を収録したザ・カラーフィールドのデビューアルバム「ヴァージンズ・アンド・フィリスタインズ」もある日の午後、オンステージヤマノに入荷しているのを突然に見つけ、「シンキング・オブ・ユー」がかなり気に入っていたのですぐに購入した。

大橋荘は壁が薄かったりもしたためにステレオの持ち込みが禁止されていたのだが、浪人生活の1年だけ我慢することにして、レコードプレイヤーをラジカセに接続コードに無理やり繋いだ薄くて小さな音で音楽を楽しんでいた。そのためこの年だけはレコードだけではなく、カセットテープを購入することも少なくはなかった。

ザ・カラーフィールドのアルバムはレコードで買ったので、やはり薄くて小さな音で聴くことになるのだが、明らかにセンスの良いポップ感覚に溢れた楽曲の数々が収録されていた。ちゃんと勉強して大学受験に合格し、来年にはお洒落なワンルームマンションのステレオでこのアルバムを聴くぞと思わされたりもしたのだが、いざ大学に合格してみるといろいろ忙しすぎたのと、他にも聴かなければいけない音楽が次々と出てきたのでザ・カラーフィールドのアルバムをそれほど聴くこともなく、久々に聴くといまだに当時の気分を思い出させてくれる。

1990年にフリッパーズ・ギターのアルバム「カメラ・トーク」を夢中で聴いていた頃に、6曲目に収録されていた「青春はいちどだけ」(初回プレス盤では「青春のカラーフィールド」だったという話もあり、発売日前日に渋谷WAVEで買っていたのでおそらくそれを持っていたと思うのだがいつの間にかどこかにいってしまっていて確認するすべもない)の英語タイトルが「Colour Field」だったことで、ザ・カラーフィールドのことを少し思い出したりもした。