スライ&ザ・ファミリーストーンの名曲ベスト10

1943年3月15日生まれのスライ・ストーンが率いたロックバンド、スライ&ザ・ファミリーストーンは60年代後半から70年代前半にかけて数々のヒット曲と素晴らしいアルバムを世に送りだしたのみならず、人種や性別を超えたメンバー編成であったことや、音楽性もロックとソウルミュージックを越境するものだったという点などで画期的であった。ある音楽ジャーナリストはブラックミュージックの歴史はスライ&ザ・ファミリー・ストーン以前と以降に分けられるなどと、「M-1グランプリ」で審査員の松本人志が紹介される際の「漫才の歴史は彼以前、彼以降に分かれる」みたいなことをいっていたりもする。

というわけで、今回はそんなスライ&ザ・ファミリーストーンの楽曲の中から、これは名曲なのではないかと思える10曲をあげていきたい。

10. Runnin’ Away (1971)

1971年のアルバム「暴動」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高23位を記録した曲である。「暴動」はスライ&ザ・ファミリーストーンがリリースした最も評価が高いアルバムだが、それまでとは音楽性がかなり変わっていたため、戸惑いをもって迎えられてもいたのだという。

代表曲がおそらく時系列で収録されているベストアルバム「アンソロジー」などを聴いていると、「暴動」収録曲のところで、明らかにトーンが変化している。それまでの作品においてはリードボーカルを含め、メンバー全員による演奏が収録されていたのだが、「暴動」はスライ・ストーン単独でレコーディングされているところがひじょうに多く、リードボーカルのパートがあるのもスライ・ストーンと妹のローズ・ストーンのみとなっている。何度もオーバーダビングされていることもあり、サウンドがとにかく密室的で暗いのである。これにはバンドが60年代にいだいていたユートピア的な理想が失望に変わったことや、スライ・ストーンがドラッグ漬けになったことが影響しているのではないかといわれている。

この曲は「ランニン・アウェイ」とタイトルにもあるように、逃げ続けるしかないある意味において絶望的な状況をテーマにしているともいえるわけだが、「ハハッハハ」とか「ヒヒッヒヒ」というような自虐的ともいえる笑いも歌詞に入っていて、しかもこれがスライとローズの兄妹によるユニゾンで、ポップなのだが哀愁を帯びた感じで歌われるところがとても良い。

ネオアコファンにはお馴染み元ジェゼフKのポール・ヘイグや、悲しい歌が大好きな小西康陽によってもカバーされている。

9. If You Want Me To Stay (1973)

1973年のアルバム「フレッシュ」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高12位を記録した。これがスライ&ファミリー・ストーンにとって、最後のトップ20ヒットとなった。

「暴動」のツアーはいろいろな面においてなかなか悲惨なことになっていて、バンドは事実上崩壊し、メンバーの脱退も相次いでいた。それでも、この時期のレコーディングはまた新たな方法によるファンクネスの追求として、高く評価されてもいる。自分らしくいさせてくれることが難しいのならばさよならをするだけ、というようなこの曲のテーマは、スライ・ストーンの当時の恋人に対する思いをベースにしているということである。

8. Everybody Is A Star (1969)

1969年の暮れに「サンキュー」との両A面シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。これらの曲を収録する予定だったオリジナルアルバムは結局のところ完成することがなく、この曲は他の何曲かと共に1970年の「グレイテスト・ヒッツ」(全米アルバム・チャート最高2位)に収録された。

誰もがそれぞれにスターなのだという、多様性の肯定を歌った内容はスライ&ザ・ファミリーストーンの人種や性別、音楽ジャンルをも超えた編成にマッチしていて、広く共感を得られたのではないかと思われる。しかし、このメンバー編成によってレコーディングされるのは、実はこれが最後になってしまい、次のシングルがリリースされるのは約1年11ヶ月後となった。

7. Hot Fun In The Summertime (1969)

タイトルがあらわしているように、暑い夏の楽しみについて歌われた曲で、全米シングル・チャートでは最高2位を記録している。伝説の野外イベント「ウッドストック」に出演する少し前にリリースされたシングルであり、スライ&ザ・ファミリーストーンの存在をよりポピュラーにしたともいえる。

リラックスしたムードが特徴的で、夏の定番ソングとして挙げられることも多い。この曲も収録予定だったオリジナルアルバムが完成しなかったため、アルバムでは1970年の「グレイテスト・ヒッツ」に初収録された。

6. Stand! (1969)

スライ&ザ・ファミリーストーンの4作目のアルバム「スタンド!」の表題曲でシングルカットもされ、全米シングル・チャートでの最高位は22位であった。

個人的には1985年にピーター・バラカンのラジオ番組で初めて聴いたスライ&ザ・ファミリーストーンの楽曲であり、そういった意味でもひじょうに思い入れが強い。スライ&ザ・ファミリーストーンについては、プリンスに影響をあたえたバンドなどとして名前はなんとなく知っていたのだが、実際に曲を聴いてみて、そのカッコよさに衝撃を受けた。

この曲はロック的ともいえる感じではじまるのだが、途中からはしっかりファンキーになるという構成も素晴らしく、ピーター・バラカンは自分にとって本当に良いタイミングで最高の選曲をしてくれたものである。その頃、プリンスは60年代サイケデリックに影響を受けた「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」をリリースしたばかりで、それもまたひじょうに絶妙すぎた。

5. I Want To Take You Higher (1969)

「スタンド!」のシングルB面とアルバムにも収録されていたが、「ウッドストック」でのパフォーマンスがひじょうに印象的であり、スライ&ザ・ファミリーストーンの代表曲の1つとして見なされていいる。「スタンド!」収録曲にはメッセージソングがひじょうに多いのだが、この曲は純粋に音楽の楽しみについて歌われているようである。

ひじょうにノリの良いファンキーな演奏と、何人かのボーカリストが入れ替わったり、「ヘイヘイヘイヘイ」とか「ブンラカラカラカ」などのかけ声のようなものにもテンションが上がる。「ウッドストック」のパフォーマンスでの、客が「ハイヤー!」というフレーズを繰り返し叫ぶくだりなどもひじょうに盛り上がっている。

4. Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin) (1969)

「エヴリバディ・イズ・ア・スター」との両A面シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。ラリー・グラハムのスラップ奏法がひじょうに印象的で、後のソウルミュージックにおけるベースの役割に大きな影響をあたえたともいえる。

スライ&ザ・ファミリーストーンの音楽としても、ファンクとしてより深みを増していて、新境地ともいえる仕上がりになっている。しかし、「エヴリバディ・イズ・ア・スター」「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイム」と共に収録される予定だったオリジナルアルバムは完成しなく、この曲もアルバムでは「グレイテスト・ヒッツ」に初収録された。各メンバーがそれぞれリードボーカルを取る感じもとても良いのだが、それも結局のところ最後になってしまった。

3. Everyday People (1968)

アルバム「スタンド!」からの先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高1位を記録した。人それぞれ十人十色、千差万別、みんなちがってみんないい的なことが歌われている。人種差別などに反対もする当時のカウンターカルチャーを象徴するような楽曲であり、人種も性別も多様なメンバーから成るスライ&ザ・ファミリーストーンのコンセプトにも合っていたように思える。

アメリカの人気テレビ番組で日本でも放送されていた「アーノルド坊やは人気者」の原題は「Diff’rent Strokes」だが、このタイトルは「エヴリデイ・ピープル」の歌詞に出てくる「different strokes for different folks」というフレーズにインスパイアされたともいわれている。

個人的には80年代にジョーン・ジェットがカバーしたバージョンで初めてこの曲を知ったのだが、90年代にはヒップホップのアレステッド・ディヴェロップメントがこの曲にインスパイアされた「ピープル・エヴリデイ」をヒットさせてもいる。

2. Dance To The Music (1967)

全米シングル・チャートで最高8位を記録した、スライ&ザ・ファミリー・ストーンにとって初のヒット曲である。60年代後半のサイケデリックな気分を反映したかのような、新しいタイプのソウルミュージックであり、サイケデリック・ソウルなどとも呼ばれるようになった。

個人的には六本木WAVEで買った「グレイテスト・ヒッツ」のアナログレコードをずっと持っていたのだが、「アンソロジー」のCDも買ったしアナログレコードに執着もなかったので、インディー・ポップのバンドやDJをやっていた友人に200円ぐらいで売ったはずである。フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」収録曲で引用されていたこともあり、カジュアルに「渋谷系」的な人たちにも人気があったような気がする。

1. Family Affair (1971)

アルバム「暴動」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。スライ・ストーン以外のメンバーによる演奏は収録されていなく、ボビー・ウーマックがギター、ビリー・プレストンが電子ピアノで参加している。オーバーダビングを繰り返したためであろう歪んだような音質と、リズムボックスの導入がユニークな味わいとなっている。

子供がどう育つかというのは家庭の事情による、というような今日でいうところの親ガチャという概念にも通じるシリアスな内容が歌われているが、当時のスライ・ストーンの理想が燃えつき、失望に変わった心境が反映されているようでもある。

スライ&ザ・ファミリー・ストーンの音楽でいうと、60年代のポジティヴなエナジーに溢れた作品がひじょうに素晴らしく、印象的でもあるのだが、最も優れた楽曲ということになると、やはりこれになるのではないだろうか。

「暴動」のジャケットにはアメリカ国旗のようなものが載っていて、やはりこれを書いたかったのだが、当時、タワーレコードなどで買うことができたのはライブの演奏風景のような写真が使われたジャケットのCDばかりであった。下北沢のYELLOW POPという中古レコード店でアメリカ国旗のようなジャケットの中古CDを見つけたため、買って自宅のステレオで聴いてみたのだが、サウンドがあまりにも歪すぎているように感じた。それで、これは劣悪な商品を買ってしまったのかもしれないと思ったりもしたのだが、後に元々こういうサウンドだったのだと知った。

そして、アメリカ国旗のように見えたジャケットはよく見ると、本来は星であるところが太陽になっていた。