ジョン・レノンの名曲ベスト10【The 10 Best John Lennon Songs without The Beatles】

ジョン・レノンは1940年10月9日にイギリスのリヴァプールで生まれ、10代半ばでスキッフルバンドのクオリーメンを結成する。これにポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンが加入するなどして、いずれビートルズに発展していく。1960年代にポップミュージック界のみならずポップカルチャー全般にあらゆる影響をあたえたビートルズの中心メンバーとして、ポール・マッカートニーと共作や単独で数々のヒット曲や名曲をつくった(クレジットはすべてポール・マッカートニーとの共作になっている)。主なところでは「抱きしめたい」「シー・ラヴス・ユー」「ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「アイ・アム・ザ・ウォルラス」「愛こそはすべて」「レボリューション」「カム・トゥゲザー」「アクロス・ザ・ユニバース」などがそれらのうちのごく一部にあたる。

1960年代後半にはベトナム戦争に対する反対の姿勢を明確にし、それが作品にも反映していく。後に妻となる東京出身の芸術家、ヨーコ・オノとの出会いも、大きな影響をあたえた。ビートルズ解散後はニューヨークに拠点を移し、アーティストとして充実した作品を発表し続けるが、ヨーコ・オノとの間に息子のショーンが生まれたのをきっかけに、70年代半ば以降は過程で育児と家事を担当するため、アーティスト活動を休止する。1980年にはショーンが5歳になったことをきっかけに、ヨーコ・オノとのアルバム「ダブル・ファンタジー」でカムバックを果たすが、その矢先に自宅前でファンを名乗る男が放った凶弾によって倒れることになった。

今回はそんなジョン・レノンのビートルズ以外での楽曲から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を選びカウントダウンしていきたい。

10. Give Peace a Chance (1969)

「平和を我等に」の邦題でも知られるプラスティック・オノ・バンドのシングルで、全英シングル・チャートで最高2位を記録した(3週連続で1位を阻んだのはローリング・ストーンズ「ホンキー・トンク・ウィメン」である)。当時、ビートルズはまだ解散していなく、この曲のクレジットもレノン=マッカートニーとなっているが、実際にはジョン・レノンとヨーコ・オノによってつくられていて、ポール・マッカートニーは一切かかわっていない。

タイトルから想像ができるように明確な反戦ソングであり、ジョーン・バエズ「勝利を我等に」などと共に、ベトナム戦争に反対するカウンターカルチャー的なアンセムとして広く知られるようになった。ジョン・レノンとヨーコ・オノによる抗議行動、ベッド・インを行っていたモントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルの一室に様々な人々をあつめ、ワンテイクでレコーディングされた。そこにはティモシー・リアリーやペトゥラ・クラークなどの姿もあったという。

9. Woman (1980)

ジョン・レノンにとって生前最後にリリースされたアルバムとなった「ダブル・ファンタジー」から2作目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで1位、全米シングル・チャートでは最高2位(1位を阻んだのはREOスピードワゴン「キープ・オン・ラヴィング・ユー」、ブロンディ「ラプチュアー」である)を記録した。

妻であるヨーコ・オノや世の中の女性たちに対して感謝と尊敬の念をあらわした楽曲となっていて、他の「ダブル・ファンタジー」収録曲と同様にアダルト・オリエンティッドなサウンドとジェントルなボーカルパフォーマンスが、ジョン・レノンの新たな魅力を引きだしている。

8. Instant Karma! (1970)

プラスティック・オノ・バンドとしてリリースされた最後のシングルで、全英シングル・チャートで最高5位、全米シングル・チャートでは最高3位(サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」、ビートルズ「レット・イット・ビー」、ジャクソン5「ABC」がその間、1位か2位にランクインしていた)のヒットを記録した。

カルマとは日本語でいうところの業にあたるわけだが、当時、ジョン・レノンはそれについて語り合ったり考えたりする機会があるらしく、それらは瞬時の行動によってもインスタントに出来上がるものなのではないか、というような考えがこの曲には反映しているようである。

プロデュースはフィル・スペクターであり、ジョージ・ハリスンやビリー・プレストン、近所のバーにいた常連客なども参加した音源は、オーバーダビングやエフェクトなどによって、ウォール・オブ・サウンドの発展型とでもいうべきサウンドを実現している。

7. (Just Like) Starting Over (1980)

「ダブル・ファンタジー」からの先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャート、全米シングル・チャートのいずれにおいても1位に輝いている。ジョン・レノンが生前にリリースした最後のシングルでもある。

アーティストとしてのカムバックを告げるポジティヴで爽やかささえ感じさせるロッカバラードであり、ジョン・レノンが若かりし頃に親しんだであろうドゥーワップやロックンロールからの影響も感じさせる。タイトルの最初に(Just Like)と付いているのは、同時期にカントリーアーティストのタミー・ワイネットが「スターティング・オーヴァー」という曲をリリースしていたためである。

6. Happy Christmas (War is Over) (1971)

ワム!「ラスト・クリスマス」やマライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」以前に、クリスマスのスタンダード以外のモダンな定番曲といえば、正確にはジョン&ヨーコ&プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・ザ・ハーレム・コミュニティ・クワイアの名義でリリースされ、「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」の邦題で知られるこの曲であった。

歌詞に含まれる「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT」というフレーズはこの曲が発表されるよりも以前、1969年のクリスマスシーズンにベトナム戦争に抗議する目的で行った広告キャンペーンですでに使用されていたものである。ジョン・レノンがヨーコ・オノと共にニューヨークに移住した後の1971年にリリースされたが、イギリスでは契約の関係などで翌年のクリスマスシーズンまで発売されなかった。全英シングル・チャートで最高4位を記録するが、ジョン・レノンが亡くなった直後には2位まで上がり、最高位を更新している。

5. Working Class Hero (1970)

ジョン・レノンがビートルズ解散後、最初にリリースしたアルバム「ジョンの魂」に収録された曲で、シングルカットはされていないのだが、ひじょうに人気がある。労働者階級の人々は支配され搾取されているのだが、宗教やテレビやセックスに浸かってあたかも平等であるかのように騙されがちである、というようなことが歌われている。かつてははっきりとした階級社会である、いかにもイギリスらしい楽曲として解釈されていたが、様々な理由や目論見によって中流階級が実質的に消滅したそれ以外の国々おいても、現在や今後においては汎用性がある。

4. Jealous Guy (1971)

ジョン・レノンのアルバム「イマジン」に収録された曲で、当時はシングルカットされていないのだが、ひじょうに有名な楽曲である。フィル・スペクターがプロデュースしたサウンドにのせて、タイトルの通り嫉妬深さゆえに愛する人を傷つけてしまう、男の弱くてダメなところを剝き出しで歌っているところが共感を呼ぶ。

そして、この曲をさらに有名にしたのはジョン・レノンが亡くなった直後にリリースされた、ロキシー・ミュージックによるカバーバージョンであろう。ドイツのテレビ番組に出演したロキシー・ミュージックがジョン・レノンの追悼の意味でカバーしたこの曲の演奏が好評で、レコードも発売されることになったのだが、全英シングル・チャートではロキシー・ミュージックにとって唯一の1位を記録し、楽曲の良さをより広めることにもつながった。

3. God (1970)

「ジョンの魂」に収録された曲で、シングルカットはされていないが代表曲として知られる。「神とはわれわれの苦痛を測る概念にすぎない」というフレーズがひじょうに印象的であり、ジョン・レノンが信じないものとして、魔法、易経、聖書、タロット、ヒットラー、イエス・キリスト、ケネディ元大統領、ブッダ、マントラ、ギーター(ヒンドゥー教の聖典)、ヨガ、王、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン(ジマーマン)などが列挙された後、ビートルズとまで歌われ、束の間の沈黙が訪れる。

そして、自分自身とヨーコをただ信じる、それがリアリティーであり夢は終わった、一体なにが言えるだろう、夢は終わった、昨日、と最後にはビートルズ「イエスタデイ」のタイトルまで引用されているようである。かつては夢織り人だったが生まれ変わったとか、かつてはウォルラス(セイウチ)だったが(ビートルズ「アイ・アム・ザ・ウォルラス」)だったがいまはジョンだとかいうことも歌われている。しかし、ビートルズ時代からのリスナーをただ突き放すのではなく、友よ、頑張っていこう、夢は終わった、などと呼びかけてもいるのが特徴である。

2. #9 Dream (1974)

ジョン・レノンのアルバム「心の壁、愛の橋」からはエルトン・ジョンも参加した「真夜中を突っ走れ」が、全米シングル・チャートで1位に輝いた。「スターティン・オーヴァー」が1位になったのはジョン・レノンが亡くなった後だったため、これが存命中にソロで記録した唯一の全米NO.1ヒットということになる。そして、ジョン・レノンがビートルズを離れて全米シングル・チャートで1位を記録したのは、メンバーの中で意外にも最も遅かったのだった(ジョージ・ハリスンは1970年に「マイ・スウィート・ロード」、ポール・マッカートニーは1971年に「アンクル・アルバート~ハルセイ提督」、リンゴ・スターは1973年に「思い出のフォトグラフ」で最初の全米NO.1を記録していた)。

しかし、ここで取り上げるのは「真夜中を突っ走れ」ではなく、同じアルバムからシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高23位、全米シングル・チャートで最高9位を記録した「夢の夢」である。メッセージ性が強い印象があるジョン・レノンのソロ曲にあって、この曲はいろいろなしがらみや固定概念的なものから解き放たれたかのような自由で感覚的なところがとても良く、次第に人気と評価を高めていった。

実際にジョン・レノンの夢の中でできた曲らしく、「Ah! böwakawa poussé, poussé」という謎のフレーズにしても、夢に出てきたそのままであり、まったく意味はないという。この曲で聴くことができる囁き声については、中国人秘書のメイ・パンであるという説とヨーコ・オノであるという説が対立しているようだ。

1. Imagine (1971)

ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、フィル・スペクターの共同プロデュースによる1971年のアルバム「イマジン」のタイトルトラックで、アメリカではシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高3位を記録した(上位2曲はシェール「悲しきジプシー」、アイザック・ヘイズ「黒いジャガーのテーマ」であった)。イギリスではベストアルバム「シェイヴド・フィッシュ~ジョン・レノンの軌跡」のプロモーションのため、1975年にシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高6位を記録したが、ジョン・レノンが亡くなった後、1981年1月10日付からは4週連続1位を記録した。最初の週のチャートでは2位に「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」、5位に「スターティング・オーヴァー」もランクインし、この曲を抜いて次の1位に輝いたのは「ウーマン」であった。

戦争に反対し、平和を希求する思想が国家や宗教、所有欲などが存在しない世界の想像という境地に行き着いた楽曲であり、曲調は穏やかでありながらひじょうにラジカルなメッセージ性を含んだプロテストソングだともいうことができる。これらのアイデアがヨーコ・オノの作品からインスパイアされたものであることを、ジョン・レノンは亡くなる直前に認めてもいる。