フリッパーズ・ギターの名曲ベスト10
フリッパーズ・ギターのシングル「恋とマシンガン」は、1990年5月5日にリリースされた。この曲は緒形直人、織田裕二、的場浩司などが出演していたTBS系のテレビ番組「予備校ブギ」のオープニングテーマに起用されていたこともあり、オリコン週間シングルランキングで最高17位を記録するスマッシュヒットとなった。それまでにフリッパーズ・ギターはアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」とシングル「Friends Again」をリリースしていたのだが、それらのすべてが英語詞による作品であり、日本語で歌われた曲のリリースはこのシングルが初めてであった。元々、海外のインディー・ポップから影響を受けたひじょうに趣味的な音楽性ではあったのだが、日本語の歌詞もユニークであり、一気により多くの人々から注目されるようになった。デビュー当時は5人組のバンド編成だったが、このシングルがリリースされる頃には小山田圭吾と小沢健二の2人組になっていて、それから1991年秋の解散までその体制が続いた。突然の発表は熱心なファンに衝撃をあたえたといわれているが、小山田圭吾はCorneliusとして、小沢健二は本人名義でソロ活動を行い、フリッパーズ・ギター時代以上の成功をおさめたともいえる。とはいえ、それらのソロ活動によって生まれた作品とフリッパーズ・ギターのそれとの間には、わりと大きな隔たりがあり、その遺伝子は日本のポップシーンに広く受け継がれたものの、一方でまるでタイムカプセルのように閉じたままだともいえる。今回はそんなフリッパーズ・ギターの楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲をあげていきたい。
10. Camera Full of Kisses/全ての言葉はさよなら (1990)
1990年6月6日にリリースされたアルバム「カメラ・トーク」の最後に収録されている曲である。「分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ」というフレーズがひじょうに印象的であり、このグループの特徴をあらわしてもいる。張りめぐらされた引用の数々やほのめかしのようなものなどによって、深読みと誤読と妄想の余地がひじょうにあるのだが、それらの多くは正解であり誤りである。すべてはカメラの中で起こった「夢のような物語」であり、いつかさよならをしなければいけないモラトリアムであった。「ロッキング・オンJAPAN」でフリッパーズ・ギターはフニャモラーと評されていたのだが、それは「フニャチンのモラトリアム野郎」を意味していた。この翌年、1991年7月7日にリリースされたアルバム「ヘッド博士の世界塔」において、フリッパーズ・ギターは「ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり」と歌い、数ヶ月後に解散した。メンバーであった2人はその後も音楽活動を続けていて、より高い評価を受けたりもしているのだが、フリッパーズ・ギターそのものはここで完全に終わっている。
9. Camera! Camera! Camera!/カメラ!カメラ!カメラ! (1990)
アルバム「カメラ・トーク」では「恋とマシンガン」に続く2曲目に収録されていた。この曲がチープな打ち込みであったことによって、個人的にはフリッパーズ・ギターに対する興味や関心がグッと増したともいえ、これがもしも後にマキシシングルでリリースされたギター・ポップ的なバージョンであったとすれば、それほどでもなかったような気がする。しかし、一般的にはマキシシングルでリリースされたギター・ポップ的なバージョンの方が人気が高く、「カメラ・トーク」に収録されるのもこっちが良かったという意見さえ見かけることがある。この曲のキーとなるフレーズは「このままでいたいと 僕は思うから」であり、3秒間だけ恋をして、「そして全てわかるはず」と言い切るのだが、曲の後半では「本当のこと何も言わないで別れた」と歌われる。ここでもモラトリアムを引き延ばす意志には切実さすら感じられるのだが、それだけにレンズを放り投げてすべてを終わらせるエンディングが鮮やかにも感じられる。
8. Summer Beauty 1990/ラテンでレッツ・ラヴまたは1990サマー・ビューティー計画 (1990)
フリッパーズ・ギターの音楽はネオアコとして紹介されていたような気もするのだが、実際にはそれにとどまらずいろいろやっているところがとても良かった。この曲などはボサノバであり、間奏でザ・スタイル・カウンシル「オール・ゴーン・アウェイ」が引用されている。というか、全体的になんとなく似ている。「カメラ・トーク」がネオアコだけのアルバムではないことを、分かりやすく証明する楽曲の1つだともいえる。「ひとりの日曜日 歯ブラシくわえて オムレツ焼いてた僕」などというライフスタイルの人たちは、日本のポップソングにはあまり出てこなかったような気がするのだが、この辺りもとても新鮮でよかった。それでいて、オムレツよりもエースコック大盛りいか焼そば派の「僕」にもちゃんと響く音楽であるところがとても良い。この当時はバンドブームが全盛であり、たとえば「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演していたようなバンドとフリッパーズ・ギターはかなり違っていたから良いのだ、というような話もあったりはするのだが、「恋とマシンガン」が発売された週のイカ天キングは、フリッパーズ・ギターとテイストがそれほど遠くもないLittle Creaturesであった。また、「恋とマシンガン」が発売されたのと同じ日に、3代目グランドイカ天キングのたまが、シングル「さよなら人類」でメジャーデビューしている。
7. Coffee-milk Crazy/コーヒーミルク・クレイジー (1989)
フリッパーズ・ギターのデビュー・アルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」は、1989年8月25日にリリースされた。大学の知人からきっと気に入りそうと個人的に薦められたりもしていたのだが、歌詞が英語なのと音楽性がインディー・ポップということであまり興味が持てず、その時はちゃんと聴かなかった。アズテック・カメラやザ・スタイル・カウンシルを好きで聴いていた頃と比べると、好きな音楽の趣味もかなり変わってしまっていて、特にインディー・ロックにはほとんど興味が持てなくなっていた。それで、「カメラ・トーク」でフリッパーズ・ギターに興味が持ててからやっとちゃんと聴いたわけだが、雑貨店のBGMなどに似合いそうなお洒落な音楽でありながら、しっかり聴きごたえもある、というような感想を持った。当時、行っていた美容室のスタイリストが、フリッパーズ・ギターの特にこの曲が好きだと言っていた。ライフスタイルをデザインする環境音楽的な機能も持ち合わせているのではないか、と感じられた。アズテック・カメラが「POPEYE」などでも紹介されていた1980年代には、ネオ・アコースティック的な音楽は日本でそのようにも受容されていて、そういった文脈によってのみ好ましく感じてはいた。
6. GROOVE TUBE/グルーヴ・チューブ (1991)
アルバム「ヘッド博士の世界塔」からの先行シングルとして1991年3月20日に発売され、オリコン週間シングルランキングで最高22位を記録した。ネオアコのフリッパーズ・ギターが打ち込みのチャレンジ、という感じで音楽性の変化が話題になっていたようにも思えるのだが、そもそも「カメラ・トーク」はネオアコのアルバムではなかったのと、マッドチェスターやインディー・ダンスが全盛でダンス・ビートを取り入れたインディー・ロックが流行っていたイギリスのシーンと呼応していたので、不自然だとはまったく感じなかった。とはいえ、新章突入的なわくわく感は確かにあって、この先どうなっていくのだろうと楽しみではあった。「奈落のクイズマスター」がプライマル・スクリーム「ローデッド」にひじょうに似ていて、やはりそういうことかと感じたりもしたのだが、当時、海外の最新のシーンと呼応している日本のアーティスト自体、メインストリームにはなかなかいなかったので、そういった意味でも好ましく感じられた。
5. 3 a.m. op/午前3時のオプ (1990)
以前、インターネットでフリッパーズ・ギターの個人的に好きな曲を投票するアンケート企画があって、「カメラ・トーク」に収録されたこの曲に入れたのだが、シングル曲でもなければそれほど代表曲という感じもしていなかったにもかかわらず、2位の「恋とマシンガン」に大差をつけての1位に選ばれていて驚いた記憶がある。「僕たちの目は見えすぎて ずっと宗教のように絡まるから」「花束をかきむしる 世界は僕のものなのに」「軽蔑と憧れをご覧ほら崩れだす」など、独特の言い回しでかつ何を言っているのかよく分かるフレーズが次々と繰り出され、治りかけた心のかさぶたを強引に剥がしていくかのような快感がある。タイトルの「オプ」は「operative」の略で、アメリカ英語で探偵のことを指しているらしい。
4. Goodbye, our Pastels Badges/さようならパステルズ・バッヂ (1989)
デビュー・アルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」に収録された曲で、シングルではリリースされていないが、ミュージックビデオが制作されていた。地下鉄丸ノ内線の車内で撮影されているのだが、いろいろ懐かしくてとても良い。パステルズというのはスコットランド出身のインディー・ロック・バンドの名前で、一般的にはそれほど有名ではないのだが、一部ではカルト的な人気がある。フリッパーズ・ギターの音楽というのはそもそも趣味性がひじょうに高いので、コアなファンの中にはその辺に詳しい人たちも多いのではないかと思われる。それで、この曲の英語詞にもそのジャンルの音楽に通じた人たちには確実に伝わるフレーズが散りばめられていて、たとえば「アノラック」などは70年代の北国の子供たちの間では聴き慣れた単語だったかもしれないのだが、いつの間にかすっかり忘れていて、そうするとインディー・ロックのサブジャンルのようなものとしてそういうのがある、などと聞くことになる。つまり、ひじょうにマニアックなことが歌われているのだが、そんなことは何も知らなくても単純にとても良いと感じられる音楽でありビジュアルイメージがとにかく素晴らしく、そこからもっと知りたいと思ってその世界にのめり込んでいくいたいけな女子中高生たちも増殖していた。フリッパーズ・ギターがある意味において革命であったといえるのは、そのような現象面に着目した場合でもある。
3. Big Bad Bingo/ビッグ・バッド・ビンゴ (1990)
これもまた「カメラ・トーク」の収録曲なのだが、このカッコいい打ち込みトラックを聴いて、もはやこのアルバムがネオアコのレコードだとは言えないのではないだろうか。「ハイファイないたずらさ きっと意味なんてないさ」というフレーズが好きすぎて、たまに引用したりしていたのは恥ずかしい過去である。「きっと意味なんてないさ」「待つのさ世界の終わり」といった虚無的とすら感じられるポスト・モダンな感じは、「蹴とばすもの何にもありゃしないからね」というような背景を前提とするものであった。ゆえに、フリッパーズ・ギターはモラトリアムであり、いずれさよならしなければいけないものだ、とも言うことができる(必ずしもそうではない場合もあるだろうが)。夏に意味もなく渋谷から調布行きのバスに乗り、ディスクマン(ソニーが販売していた携帯型のCDプレイヤー)で「カメラ・トーク」をよく聴いていたのだが、この曲の印象ばかりが記憶として残っている。
2. Haicut 100/バスルームで髪を切る100の方法 (1990)
「恋とマシンガン」のシングルにカップリング曲として収録され、「カメラ・トーク」にも入っていた曲である。タイトルはイギリスのニュー・ウェイヴ・バンド、ヘアカット100から取られているが、曲はザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」(間奏は「カム・トゥ・ミルトン・キーンズ」)にわりと似ている。アルバム「カフェ・ブリュ」に収録されたピアノ弾き語り的なアレンジではなく、シングル・バージョンの方である。フリッパーズ・ギターの音楽全般にいえることなのだが、引用していたとしてもそれが単なるパクりとかインスパイアではなく、血肉化された上でアウトプットされているため、オリジナリティーが感じられる。ネオ・アコースティックとは表面的にお洒落に感じられたとしても、精神的にはポスト・パンクなわけであり、そういった面においても共通するところがあった。この曲において、主人公はとにかくイラついているわけだが、バスルームで髪を切っていたはずが、「鏡のぞく僕の顔を ハサミが切る 切り裂いてく」と暴走していく。そして、エンディングの「one-handred!」には、セックス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・UK」の「I get pissed, destroy」をすら連想させる、パンク的なアティテュードが宿っているようにも感じられる。
1. Young, Alive, in Love/恋とマシンガン (1990)
フリッパーズ・ギターの曲の中で最も有名で、ヒットもしたのが「恋とマシンガン」であり、やはりテレビドラマ「予備校ブギ」の主題歌に起用されたことによるところが大きいのだろうか。オリコン週間シングルランキングでは最高17位だが、わりと長くランクインしていて、10万枚以上を売り上げている。飛び抜けてものすごく売れまくったというわけではないのだが、音楽性を考えると快挙とすらいえるのではないだろうか。当時の日本のメインストリームにおいては、とにかくズバ抜けて異質だったのだが、これが一般大衆にもそこそこ受けたのであった。当時、個人的に知っていたフリッパーズ・ギターのファンは、それ以前にはJUN SKY WALKER(S)のライブに行っていたりして、ギター・ポップやアノラックどころか洋楽を主体的にはほとんど聴いていなかったという。それがフリッパーズ・ギターのラジオでかかった曲をチェックしたり、マンションの一室にあるようなよく分からないレコード店にアニエスベーのベレー帽とボーダーのシャツを身に着けて行くようになり、さらにはギター・ポップのDJまではじめたと言いだし、フライヤーはもらったのだが怖いので行かなかった。フリッパーズ・ギターが解散してからも、いわゆる「渋谷系」が好きな女子大生と知り合い、部屋に行ってみると、たまのCDがすべて揃っていたりもした。この曲においても、イントロのところが「黄金の七人」という映画のサウンドトラックから引用しているらしい、というようなことを、いたいけな女子高生が話題にしたりしていた。