ドクター・ドレーがプロデュースした名曲ベスト10

ラッパーで音楽プロデューサー、さらには実業家でもあるドクター・ドレーは1965年2月18日、アメリカはカリフォルニア州コンプトンで生まれ、1985年にワールド・クラス・レッキン・クルーのメンバーとしてデビューした後、伝説のヒップホップグループ、N.W.A.に参加、脱退後はヒップホップのみならずポップミュージック全般の歴史においてひじょうに重要なアルバムだといえる「ザ・クロニック」をリリースしたり、スヌープ・ドッグ、エミネム、50セントといったアーティスト達をプロデュースし、世に送り出してもいる。シンセサイザーのサウンドと低くて重いベース音が特徴のギャングスタ・ラップの1ジャンル、Gファンクを世に広めたことでも知られている。

ジャンルや国境を越え、アークティック・モンキーズや宇多田ヒカルといった21世紀を代表するアーティスト達にも影響をあたえている超重要人物であることには間違いがない。今回はそんなドクター・ドレーのプロデュース作品の中から、10曲を選んでカウントダウンしていきたい。

10. Let Me Blow Ya Mind – Eve featuring Gwen Stefani (2001)

イヴの2作目のアルバム「スコーピオン」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。まだノー・ダウトのメンバーであったグウェン・ステファニーが参加している。

ドクター・ドレー的なサウンドがメインストリームのポップスに影響をあたえたのみならず、もはやメインストリームのポップスそのものにまでなってしまったことを実感させられた楽曲である。それにしてもサウンドプロダクションもとても良いのだが、イヴのラップもグウェン・ステファニーのボーカルも素晴らしい。

9. Deep Cover – Dr. Dre featuring Snoop Dogg (1992)

N.W.A.を脱退したドクター・ドレーのソロアーティストとしては初のシングルで、映画「ディープ・カバー」のサウンドトラックのために制作された。スヌープ・ドッグにとっては、これが初めてリリースされた参加作品となった。

つまり、「ザ・クロニック」よりも先にリリースされているのだが、よりディープでコアな印象があり、警官の人種差別的な行動が引き起こしたロサンゼルス暴動の年だったことも思い出される。

8. Family Affair – Mary J. Blige (2001)

メアリー・J・ブライジのアルバム「ノー・モア・ドラマ」からシングルカットされ、6週連続1位の大ヒットを記録したが、それまでは10週連続2位でもあった。

ヒップホップといえば以前はラップと決まっていたのだが、ヒップホップR&Bというのかボーカルものも次第に増えていき、ボーカリストとしてひじょうに優れていながらラップとの間を行き来するようなメアリー・J・ブライジのスタイルが最高にクールだと感じられた。

7. In Da Club – 50 Cent (2003)

エミネムが見いだし、ドクター・ドレーに引き合わせたラッパー、50セントのデビューアルバム「ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。

ギャングスタとしていかに過激な半生を送ってきたかがセンセーショナルに取り上げられたりはしていたのだが、それはそうとしてパーティーアンセム的に純粋に卓越したポップシングルでもあり、その辺りがひじょうに受けていたような気がする。

6. Express Yourself – N.W.A. (1988)

N.W.A.のデビューアルバム「ストレイト・アウタ・コンプトン」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高26位を記録した。

ヒップホップというジャンルのみならずポップミュージック史上ひじょうに重要なアルバムの収録曲だが、その中ではわりとコンシャスでインテリジェントな印象がある。諸事情による自粛ムード的なものと格闘するラッパーの苦悩のようなものが吐露されてもいる。

5. Still D.R.E. – Dr. Dre featuring Snoop Dogg (1999)

ドクター・ドレーの2作目のソロアルバム「2001」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高6位を記録した。ジェイ・Zによって書かれた曲である。

プロデューサーやゲスト参加アーティストとしてヒット曲を連発して、知名度をかなり上げた状態で久々にリリースされるアルバムからの先行シングルとしてひじょうに注目されたのだが、その期待を超える充実した作品であった。「ザ・クロニック」に比べるとインパクトが薄いのは否めないのだが、本当に良いアルバムで楽曲なので、ぜひ聴き直されたり評価され直されたりしまくられてしかるべきである。とはいえ、アルバムはかなり売れまくってはいたのだ。

4. What’s My Name? – Snoop Doggy Dogg (1993)

スヌープ・ドギー・ドッグのデビューシングルで、全米シングル・チャートで最高8位を記録した。

オルタナティヴロックのファンなどの中には実は「ザ・クロニック」の時点ではピンときていなかった人達も少なくはなくて、スヌープ・ドギー・ドッグのソロデビュー以降に遡って分かったりもしていたのではないだろうか。まあ、これは完全に自分自身のことではあるのだが。

センセーショナルな話題先行なところもなんとなくあったのだが、聴いて納得というか、なるほどこれがギャングスタラップの進化系にしてトレンドなのかと思わされたりもした。特に日本の音楽ジャーナリズムにおいては、ある時期までヒップホップについてはアメリカ東海岸に偏りがちな状況もあり、スヌープ・ドギー・ドッグのソロデビュー辺りでやっとこさ分かったというようなところもあった。

3. My Name Is – Eminem (1999)

エミネムの2作目のアルバム「ザ・スリム・シェイディLP」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。翌年に開催された第42回グラミー賞では、収録アルバムでベスト・ラップ・アルバム賞、この曲で最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンス賞を受賞している。

ドクター・ドレーのサウンドプロダクションは、Gファンク時代に比べよりユニークになっていて、エミネムによるスリム・シェイディというトリックスター的なキャラクターを引き立てることに成功しているように思える。それは、オルタナティヴロックやメインストリームポップスのファンをも引き付けていき、ポップミュージック全般ををよりヒップホップ寄りに変容させていった。

2. California Love – 2Pac featuring Dr. Dre and Roger Troutman (1995)

2パックが服役後にリリースしたカムバックシングルで、「ハウ・ドゥ・ユー・ウォント・イット」との両A面として全米シングル・チャートで1位に輝いた。

ザップのロジャー・トラウトマンがトーキングボックスで参加したことも話題になり、ファンクとヒップホップがミックスされたユニークな楽曲となっている。この年に2パックはボクシングの試合を観戦後、何者かに狙撃され25歳で命を落としている。

1. Nuthin’ But A ‘G’ Thang – Dr. Dre featuring Snoop Doggy Dogg (1992)

ドクター・ドレーのソロアーティストとして最初のアルバム「ザ・クロニック」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。1位を阻んだのは、スノー「インフォーマー」であった。

シンセサイザーの特徴的なフレーズとスローでヘヴィーなベース音、サウンドにはレイドバックしたムードが感じられ、リリックはギャングスタライフをリアルに描写したものという、Gファンクというサブジャンルの典型例ともいえる楽曲である。

表面的に過激なサウンドを求めてヒップホップを聴いていた場合、この音楽のすごさというのが当時はすぐに分からなかったりもしたのだが、それは次第に確実にヒップホップのみならず、ポップミュージック全体を侵食していった。