チャック・ベリーの名曲ベスト10(The 10 Best Chuck Berry Songs)
チャック・ベリーがアメリカはミズーリ州セントルイスで生まれた1926年10月18日は、ロックミュージックにとってひじょうに重要な日だということができる。いわゆるロックと呼ばれる音楽で、直接的か間接的にその影響を一切受けていないものなどほとんど無いのではないかと思えるレベルである。50年代のロックンロール黎明期における超重要アーティストのうちの1人であり、60年代はビートルズやローリング・ストーンズをはじめ、多くのバンドがカバーしたりインスパイアされた楽曲をつくったりしていた。そして、80年代の日本で青春時代を送った人々にとっては、ロックンロールの生きる伝説でありながら、パルコのCMやRCサクセションと同じライブイベントに出演していた印象もあり、わりと親しみやすい存在でもあった。
今回はそんなチャック・ベリーの楽曲から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を選んでカウントダウンしていきたい。
10. Too Much Monkey Business (1956)
幼い頃から音楽に親しみ、演奏活動なども行っていたチャック・ベリーだが、高校を卒業する直前に自動車窃盗の罪を犯し、感化院に送られることになる。釈放後にサー・ジョン・トリオに加入し、やがてリーダーとして演奏しているところを見て感銘を受けたマディ・ウォーターズの紹介によって、チェス・レコードからデビューすることになった。
5作目のシングルとしてリリースされたこの曲は、身の上に起こった様々なトラブルを次々と告白していくスタイルが特徴的である。当時、全米シングル・チャートにはランクインしなかったが、後にビートルズ、ホリーズ、ヤードバーズといった60年代のイギリスのバンドにカバーされたり、ボブ・ディラン「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」に影響をあたえたりもした。
日本のリスナーにとっては歌詞に横浜の地名が出てくることと、曲の一部が「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の「この歌はこんな風に聴こえる」のオープニングで使われていたことでも知られる。
9. Brown Eyed Handsome Man (1956)
「Too Much Monkey Business」のシングルB面曲としてリリースされた曲である。チャック・ベリーがカリフォルニアのある地域を訪れた時に目撃した光景が、この曲にインスピレーションをあたえたといわれる。警官がハンサムなチカーノの男性を徘徊で捕まえ、恋人と思われる女性が解放を求めて叫んでいたのだという。軽快なロックンロールサウンドにのせたストーリーテリング的なこの曲は、人種問題をもテーマとして取り上げている。
8. You Never Can Tell (1964)
チャック・ベリーは1959年に14歳のウェイトレスを連れまわし、不道徳な目的のために州境を越えさせたとして逮捕されることになるのだが、服役中にティーンエイジャーの結婚式をテーマにしたこの曲を書いた。全米シングル・チャートで最高14位を記録したこの曲は、1994年に公開されたクエンティン・タランティーノ監督の映画「パルプ・フィクション」において、ツイスト大会のシーンで使われ、ユマ・サーマンとジョン・トラヴォルタが踊ったことによって、新しい世代のリスナーにもアピールすることになった。
7. School Day (1957)
ポップミュージックの典型的なテーマの1つとしてティーンエイジャーの日常における不満や苦悩というのがあるわけだが、これもまたそういった類いの楽曲である。チャック・ベリーがこの曲を書いたのは30歳の頃だというが、ここではスクール・デイズ的な感覚がヴィヴィッドに表現されてもいてとても良い。
そして、あの「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」、つまり「ロックンロール万歳」というフレーズも登場する。全米シングル・チャートで最高3位、R&Bチャートでは1位に輝いた。1964年にはこの曲と同じメロディーに別の歌詞を付けた「No Particular Place to Go」が全米シングル・チャートで最高10位のヒットを記録している。
6. Back In The U.S.A. (1959)
ビートルズの「ホワイト・アルバム」こと「ザ・ビートルズ」の1曲目に収録された「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」にインスパイアをあたえたことであまりにも有名なこの曲は、いろいろと酷い目にあわされたりもしたことから母国に対して複雑な感情をいだいていたであろうチャック・ベリーが、オーストラリアツアーでアボリジニーに対する虐待を目の当たりにしたことに対する動揺から書き上げたともいわれる、アメリカ賛歌のようなものであった。全米シングル・チャートでは最高37位、R&Bチャートで最高16位を記録している。
5. Sweet Little Sixteen (1958)
全米シングル・チャートで最高2位、R&Bチャートでは1位の大ヒットとなったこの曲は、ビーチ・ボーイズ「サーフィンU.S.A.」の実質的な原曲としても知られる。ティーンエイジャーの輝かしさをロックンロールそのものに投影したかのような、可能性と希望に溢れた素晴らしい楽曲である。
4. Rock and Roll Music (1957)
ロックンロールという音楽そのものをテーマにした楽曲で、その魅力が本質的でありながら力強く表現されているように思える。ジャズ、マンボ、タンゴといった他の音楽ジャンルと比較しているところも楽しい。1964年にビートルズ、1976年にはビーチ・ボーイズによってカバーされている。
3. Maybellene (1955)
チャック・ベリーにとって最初のヒット曲であり、全米シングル・チャートで最高5位、R&Bチャートでは1位に輝いている。ボブ・ウィルス&テキサステキサス・ブルーボーイズが1938年にレコーディングした「アイダ・レッド」という曲がベースになってはいるのだが、この曲においてはまさに発明ともいえるチャック・ベリーのロックンロール・ギターサウンドが最大の特徴となっている。
不誠実な恋人をめぐってのカーチェイスという若者文化をも取り入れた内容は、後にビーチ・ボーイズのサーフィンやホットロッドをテーマにした楽曲にも影響をあたえたと思われる。タイトルはチェス・レコードの創設者、レナード・チェスがスタジオの床に転がっていたマスカラの箱のブランド名にインスパイアされたようだ。
共作者としてDJ、アラン・フリードの名前がクレジットされているが、実際には作曲にかかわってはいなく、ラジオ番組でレコードをかける見返りに印税が入るというからくりになっていて、後にペイオラ・スキャンダルとして問題視されることになる。
2. Roll Over Beethoven (1956)
激しく勢いのあるギターリフが印象的なこの曲は全米シングル・チャートで最高29位、R&Bチャートでは最高2位のヒットを記録した。「ベートーベンをぶっ飛ばせ」の邦題でも知られるこの曲は、チャック・ベリーの1歳年上の姉、ルーシーが家のピアノでいつもクラシック音楽を弾いていたことにインスパイアされたものだという。しかし、それはロックンロール時代の到来を告げる象徴的な楽曲としても知られていくようになっていった。
ビートルズが1963年のアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」でカバーしたことによって、さらに知名度を上げていったともいえるのだが、エレクトリック・ライト・オーケストラも1973年にカバーしている。
1. Johnny B. Goode (1958)
ロックンロールで最高の1曲を挙げるとするならば、この曲でほぼ間違いがないのではないかというぐらいに有名な曲である。そして、チャック・ベリーの音楽の魅力がこの1曲に凝縮されているようにも感じられる。これ以外には取り柄のない若者が、ロックンロールで天下を取るというような内容は、ディテールにいろいろ実際との違いはあれど、ほとんどチャック・ベリーの自伝的な内容である。
「鐘を鳴らすようにギターを弾く」というフレーズが印象的なこの曲は、全米シングル・チャートで最高8位、R&Bチャートでは最高2位を記録した。