アレサ・フランクリンの名曲ベスト10

アレサ・フランクリンは1942年3月25日にアメリカはテネシー州メンフィスで生まれ、牧師であった父の教会でゴスペルを歌ったりもしていた。その後、シンガーとしてデビューするが、アトランティック・レコードに移籍した1960年代後半以降、ポップミュージック史に残る数々のヒット曲を世に送り出し、クイーン・オブ・ソウルなどと呼ばれるようになった。今回はそんなアレサ・フランクリンの楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲をあげていきたい。

10. Jump To It (1982)

アレサ・フランクリンの28作目のアルバム「ジャンプ・トゥ・イット」のタイトルトラックであり、先行シングルでもある。全米シングル・チャートでは最高24位と、約6年ぶりにトップ40入りを果たした。ルーサー・ヴァンドロスのプロデュースによる、80年代のブラック・コンテンポラリー的なサウンドとアレサ・フランクリンのソウルフルなボーカルが絶妙なマッチングを見せている。個人的には当時、全米ヒットチャートをチェックしはじめてから年数も浅く、アレサ・フランクリンがいかに偉大なアーティストかも知らず、コンテンポラリーなヒット曲として普通に楽しんでいた。

9. Freeway Of Love (1985)

アルバム「フリーウェイ・オブ・ラヴ(原題:Who’s Zoomin’ Who?)」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高3位の大ヒットを記録した。ナラダ・マイケル・ウォルデンのプロデュースによるコンテンポラリーなサウンドプロダクションと、ブルース・スプリングスティーンのEストリート・バンドでおなじみ、クラレンス・クレモンズのサックスも最高である。この曲が最高位を記録した1985年8月31日付の全米シングル・チャートでは、1位がヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「パワー・オブ・ラヴ」、2位がジョン・パー「セント・エルモス・ファイアー」であった。

8. Do Right Woman – Do Right Man (1967)

アレサ・フランクリンは1961年にコロムビア・レコードからシンガーとしてデビューするものの、レコードはなかなかヒットしなかった。そして、1966年にアトランティック・レコードから最初にリリースしたシングル「貴方だけを愛して(原題:I Never Loved A Man (The Way I Love You)」が、いきなり全米シングル・チャートで最高9位のヒットを記録する。「恋のおしえ」の邦題でも知られる「Do Right Woman – Do Right Woman」は、そのB面に収録されていた曲である。アトランティック移籍後にアレサ・フランクリンのレコードがヒットするようになったのは、ゴスペル出身の歌唱力をいかす方向性ゆえなのではないか、などといわれてもいるのだが、この曲においても歌い出しには特にゴスペル的なフィーリングが感じられる。そして、男性にも女性に敬意をもって接することを求めるこの曲は、フェミニズムアンセムとしての側面も持つ。アルバム「貴方だけを愛して」にも収録されている。

7. Rock Steady (1971)

1972年のアルバム「ヤング・ギフティッド・アンド・ブラック」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高9位を記録した。60年代的なR&Bからディスコミュージックに至るまでの、過渡期的なサウンドがユニークでとても良い。ジャクソン・シスターズやプリンス、ホール&オーツや安室奈美恵にもカバーされている。

6. I Never Loved A Man (The Way I Love You) (1967)

アトランティック・レコード移籍第1弾シングルで、全米シングル・チャートで最高9位を記録した。邦題は「貴方だけを愛して」である。アレサ・フランクリンのゴスペル仕込みのボーカルが、レーベルのアメリカ南部的なR&Bサウンドにハマったように思える。レコーディングセッションそのものは関係者の間で対立があったりいろいろモメたようなのだが、結果的にヒットになったのでとても良かった。それまでのアレサ・フランクリンはコロムビア・レコードで9枚のアルバムをリリースするもののなかなかヒットせず、まあまあの苦節を味わっていたようだ。伝説はこの曲からはじまったといっても過言ではない。

5. Chain Of Fool (1967)

ドン・コヴェイがオーティス・レディングに提供するつもりでつくったこの曲のデモテープを聴いたプロデューサーが、アレサ・フランクリンに歌わせた方が良いのではないかと思い、そうしたところ全米シングル・チャートで最高2位の大ヒットを記録することになった。アルバム「レディ・ソウル」にも収録されている。

曲の内容は長く付き合っていた恋人に実は浮気されていたことに気がついて、自分は彼にとって愚か者の鎖に連なる1人に過ぎなかったのだというものである。友人からは別れることを推奨されるのだが、いまはまだ弱すぎてそうすることができない。しかし、いつかこの鎖は壊れると歌われている。

4. Think (1968)

アルバム「アレサ・ナウ」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高7位を記録した曲である。自由への希求が力強く歌われていて、ジョージ・マイケル「フリーダム’90」などにも影響をあたえたと感じられる。ジョージ・マイケルとアレサ・フランクリンといえば、ここには挙げていないがデュエット曲の「愛のおとずれ(原題:I Knew You Were Waiting (For Me)」が1987年に全米シングル・チャートで1位に輝いている。「シンク」に話を戻すと、1980年の映画「ブルース・ブラザーズ」では、アレサ・フランクリンがこの曲の再レコーディングされたバージョンを歌うシーンもあり、これによってその存在を初めて認識したキッズ達も少なくなかったのではないだろうか。

3. (You Make Me Feel Like) A Natural Woman (1967)

プロデューサーのジェリー・ウェクスラーが街で偶然に出会ったキャロル・キングに直々に依頼して、つくられた曲ともいわれている。アレサ・フランクリンといえばパワフルなボーカルが印象的だが、繊細さも同時に持ち合わせていて、その魅力がじゅうぶんに発揮された曲だともいえる。全米シングル・チャートでは最高8位を記録し、後にキャロル・キングが自身のアルバム「つづれおり」でセルフカバーしている。2015年度ケネディ・センター賞授賞式では、アレサ・フランクリンが受賞者であるキャロル・キングのためにこの曲を歌い、客席にいたバラク・オバマ大統領も思わず涙ぐむという場面もあった。

2. I Say A Little Prayer (1968)

バート・バカラックとハル・デヴィッドのコンビによってつくられた曲で、ディオンヌ・ワーウィックがすでにヒットさせていたのだが、アレサ・フランクリンはアルバム「アレサ・ナウ」でカバーして、シングル「ジャックの家」のB面にも収録した。ラジオではこの曲にも人気があって、B面であるにもかかわらず、全米シングル・チャートで最高10位のヒットを記録した。元々はレコーディングのリハーサルでコーラスグループのスウィート・インスピレーションズと歌っていたところ、あまりにも良いので正式にレコーディングすることになったらしい。「小さな願い」の邦題でも知られるこの曲がヒットした背景には、ベトナム戦争下で不安な人々の心情にフィットしたこともあるのではないかと分析されたりもしている。1987年に「NME」が歴代ベストシングルのリストを発表した時には、アル・グリーン「タイアード・オブ・ビーイング・アローン」やディオンヌ・ワーウィック「ウォーク・オン・バイ」などを抑えて、この曲が1位に選ばれていた。

1. Respect (1967)

オーティス・レディングが1965年のアルバム「オーティス・ブルー」で発表し、シングルでもヒットさせていた曲だが、アレサ・フランクリンによるカバーが全米シングル・チャートで1位に輝き、最も有名なバージョンとなった。オリジナルにはなかったパートが付け加えられ、特にタイトルが「R-E-S-P-E-C-T」と1文字ずつ歌われるところは印象的である。アレサ・フランクリンが歌ったことによって、フェミニズム的な意味合いが加わったほかに、公民権運動のアンセムとしても知られるようになっていった。「ローリング・ストーン」誌が2021年にアップデートした歴代ベスト・シングルのリストでは、パブリック・エナミー「ファイト・ザ・パワー」、サム・クック「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」などを抑えて、この曲が1位に選ばれている。