90年代の洋楽ベストソング100
先日、Twitterで「#90年代洋楽ベストソング100」という集計企画のようなものをやっていて、これは投票するぞ!と意気込み、いろいろやっていた。個々人がベスト30のリストを送って、それが後に集計されるらしい。それで、ベスト30のリストを送った。自分名義のプラットフォームでやる場合、なんとなく客観性をより意識したりもするのだが、他の方が集計してくれると思うと、より自分自身の趣味嗜好に正直なリストができたような気がする。それはまあ良いのだが、その時に取り敢えず100曲ぐらいは選んでいて、勿体ないのでそれを自分のところで発表していきたい。
とはいえ、順位をつけるといろいろややこしいので、ざっくりとほぼリリース順に並べてみた。そうすることによって、ある視点における90年代のポップ・ミュージック年表的なものが浮き上がってもくるのだが、もちろん個人的な趣味嗜好や思い出補正や体調や天気などが影響しているため、ディフィニティヴなものにはまったくなっていない。つまり、ロックよりもポップスが好きで、オアシスやレディオヘッドよりもブラーやスウェードが好き、という特性が反映もしている(とは書いていたのだが、実際にはブラーやスウェードよりもオアシスの方がたくさん入っていたと後で気づいた)。
しかしまあ、こういうのはある程度、その人やメディアの趣味嗜好であったり個性がにじみ出ているものの方がなんとなくおもしろいこともあり、いろいろなタイプのやつが、こんなんなんぼあってもいいですからね、という状態が健全なのかもしれない。というわけで、はじめていきたい。
Nothing Compares 2 U – Sinead O’Connor (1990)
プリンスの曲をシニード・オコナーが歌って、いろいろな国のシングル・チャートで1位になった。別れた恋人のことを忘れられないというような内容のという哀切きわまるバラードであり、歌いながら思わず涙がこぼれてしまうミュージック・ビデオも話題になった。
Loaded – Primal Scream (1990)
イギリスではインディー・ロックとハウス・ミュージックがミックスされたような音楽が1980年代の終わりあたりから流行りはじめ、マッドチェスターとかインディー・ダンスなどとしてメディアでも紹介されがちであった。80年代後半のデビュー当初にはジャングリーなインディー・ポップをやっていたプライマル・スクリームもこの流れに乗って、エポックメイキングなこのシングルをリリースした。フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」にも影響をあたえていると思われる。
Step On – Happy Mondays (1990)
マッドチェスター御三家といえばストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペッツで、ハッピー・マンデーズのこのシングルは全英シングル・チャートで最高5位を記録し、カバー・バージョンながら代表曲として知られている。マラカスを振りながら独特な踊りを見せる、ベズというメンバーがいたことが思い出される。
Vogue – Madonna (1990)
80年代にヒット曲を連発し、ポップ・アイコンとしての地位を確立していたマドンナが90年代に入ってから最初に大ヒットさせた曲である。当時のトレンドであったハウス・ミュージックをわりと本格的に取り入れながら、メインストリームのポップソングとしても成立していてとても良い。
Soon – My Bloody Valentine (1990)
これもまたインディー・ロックとハウス・ミュージックがミックスされた音楽の例ということになるのだろうか。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「グライダー」というEPに収録された曲である。1991年にリリースされて、シューゲイザーの名盤として知られるアルバム「ラヴレス」は当初、「愛なき世界」という邦題で発売されたのだが、この曲はその最後に収録されていた。
Only Love Can Break Your Heart – Saint Etienne (1990)
セイント・エティエンヌのデビュー・アルバム「フォックスベース・アルファ」は1991年にリリースされ、ジャケットアートワークの印象もあって、おしゃれな音楽としても流通していたような印象がある。60年代のポップ感覚を90年代のテクノロジーで再現したような感じがとても良かった。このシングルはニール・ヤングのカバーなのだが、当初、ボーカリストは固定しない予定だったらしく、サラ・クラックネルではないシンガーが歌っている。この頃、高橋幸宏もアルバムの1曲目でこの曲をカバーしていたはずである。
The Only One I Know – The Charlatans (1990)
ザ・シャーラタンズとブラーにはマッドチェスターやインディー・ダンス的なムーヴメントに後乗りしてきたような印象もあったのだが、後に音楽性を変化させながらかなり生き残っていくということを、あまり見通せていなかった人たちも少なくはなかったような気もする。ザ・シャーラタンズは後によりロック化していくのだが、最初のヒット曲であるこのシングルの淡いトレンド感には抗いがたい魅力がある。
What Time Is Love? (Live At Trancentral) – The KLF (1990)
ジャンルでいうとエレクトロニックなダンス・ミュージックということになるのだろうが、The KLFにはトリックスターとしての魅力がたまらなくあり、一言ではなかなか言いあらわせない。それでいて、メインストリームでもきっちり大ヒット曲を連発していた。1991年のアルバム「ホワイト・ルーム」を六本木WAVEがエントランスで大量ディスプレイして売るというわりと攻めたことをやっていたのだが、その翌年の秋には同じフロアでアロマキャンドルなどを売るようになっていたことが思い出される。
Groove Is In The Heart – Deee-Lite (1990)
国際色豊かなカラフルでサイケでポップでキャッチーなグループ、ディー・ライトのヒット曲で、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。坂本龍一の「サウンド・ストリート」にデモテープを投稿していたテイ・トウワ(ジャングルDJトーワトーワ)が参加していたことなどから、日本でもおしゃれな人たちを中心にかなり人気があったような気がする。
Vapor Trail – Ride (1990)
インディー・ロックでもダンス・オリエンテッドなものが主流であった当時のUKにおいて、轟音ギターと甘いメロディーで人気があったのがオックスフォード出身のバンド、ライドである。いまやサブジャンル名としてすっかり定着したシューゲイザーという呼称は当初、下を向いて演奏する自己陶酔的にも見えがちな様子をUKのメディアがややからかい気味に用いたものだったと思う。「NME」や「ロッキング・オン」などで絶賛された何枚かのEPの後でリリースされた待望のデビュー・アルバム「ノーホエア」の収録曲である。