洋楽ロック&ポップス名曲1001:1995, Part.3

No Doubt, ‘Just a Girl’

ノー・ダウトのアルバム「トラジック・キングダム」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高23位、全英シングルチャートでは1997年の再リリース時に最高3位のヒットを記録した。

ボーカリストのグウェン・ステファニーがバンドから脱退した兄、エリックの助けを借りずに初めて書いた楽曲である。

スカパンク的な要素も含まれたポップでキャッチーなサウンド、マイルドにパンキッシュなボーカルが特徴的なこの曲は、女性であることの生きづらさをテーマにしたフェミニスト・アンセムとしても評価されているが、グウェン・ステファニーが夜遅くに帰宅したことを親に咎められた時に強く感じた不満がベースになっているようだ。

プロデューサーは1984年に「想い出のステップ」をヒットさせたマシュー・ワイルダーである。

Oasis, ‘Wonderwall’

オアシスのアルバム「モーニング・グローリー」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高2位を記録した。ブリットポップの楽曲はアメリカではそれほどヒットしていない場合が多いのだが、この曲は全米シングルチャートで8位まで上がっている。

この年の夏、オアシスとブラーが同じ日に新曲をリリースした、いわゆる「バトル・オブ・ブリットポップ」は、いろいろあってブラーの勝利に終わったのだが、その後、オアシスのアルバム「モーニング・グローリー」がリリースされると、すでにシングルで発売されている曲よりも良い曲がこれでもかというぐらいにたくさん収録されていることが明らかになった。

そして、次のシングルとしてこの曲がカットされ、当然のように大ヒットしたりするにつれて、オアシスがその時点におけるイギリスのトップバンドであることは多くの人々にとって明白となった。

この曲はノエル・ギャラガーの当時の恋人で、後に結婚し離婚する相手について歌われたものだとされたり、その後にもっと広い意味での関係性がテーマになっているとされたりいろいろではあるのだが、素晴らしいラヴバラードとしての評価は定着しているように思える。

当初は別のタイトルがつけられていたが、ノエル・ギャラガーがジョージ・ハリスンのソロアルバム「不思議の壁」に影響された結果、こうなったといわれている。オアシス解散後も、ノエルとリアムのギャラガー兄弟が、それぞれライブで歌い続けている。

Oasis, ‘Don’t Look Back in Anger’

オアシスのアルバム「モーニング・グローリー」からシングルカットされ、全英シングルチャートではバンドにとって「サム・マイト・セイ」に続き2曲目の1位に輝いている。

ギャラガー兄弟の兄、ノエルがリードボーカルの曲がシングルA面としてリリースされたのは、これが初めてのことであった。

過去を振り返るよりも未来に向かっていこうというようなポジティヴなメッセージが感じられもするこの曲は、歌詞のフレーズやイントロのピアノなどにジョン・レノンからの影響も見られる。

Smashing Pumpkins, ‘1979’

スマッシング・パンプキンズのアルバム「メロンコリーそして終りのない悲しみ」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高12位、全英シングルチャートで最高16位を記録した。

思春期の成長をテーマにしたノスタルジックなテイストが感じられる楽曲で、サウンド面ではループやサンプリングが使われているのが特徴である。

当時のスマッシング・パンプキンズとしてはひじょうにエポックメイキングな楽曲であり、その後の音楽性を予見させるものでもあった。

The Folk Implosion, ‘Natural One’

フォーク・インプロージョンのシングルで、全米シングルチャートで最高29位、全英シングルチャートで最高45位を記録した。

セバドーのルー・バーロウによるサイドプロジェクトとして活動をスタートしたバンドだが、この曲はラリー・クラーク監督の映画「キッズ」のサウンドトラックに収録されたことによって話題となった。

ローファイなオルタナティブロックをやっていたメンバーがドクター・ドレーやスヌープ・ドギー・ドッグのヒップホップに夢中になった結果できあがった楽曲であり、思いがけぬクロスオーバーヒットを記録することになった。

2Pac feat. Dr. Dre & Roger Troutman, ‘California Love’

2パックがデス・ロウ・レコードに移籍してから最初のシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートでは最高6位を記録した。

2パックとドクター・ドレーという当時の西海岸ラップシーンにおける大物2人の共演に加え、1980年代後半に「ウォナ・ビー・ユア・マン」をヒットさせたことなどで知られるロジャー・トラウトマンの加工したボーカルをフィーチャーしていることも特徴である。

この曲のヒットから数ヶ月後、2パックはボクシングの試合を観戦した後に何者かによって銃撃され、25歳の若さでこの世を去ることになった。ヒップホップの東西抗争の犠牲になったともいわれ、翌年には東海岸ラップの大物であったノトーリアス・B.I.G.が射殺されている。