1982年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

山下達郎「FOR YOU」、佐野元春「SOMEDAY」(アルバムの方)などが日本では発売され、中森明菜、小泉今日子など人気女性アイドルが次々とデビューして、「花の82年組」などと呼ばれたりもした。いかにも80年代らしいポップでキャッチーなムードに本格的になってきたりもしてきたいたのだが、この年にアメリカやイギリスでリリースされたポップスからもなぜかそのような気分が感じられ、その中から特に重要だと思われる20曲を選んでいきたい。

20. Should I Stay Or Should I Go – The Clash

ザ・クラッシュのアルバム「コンバット・ロック」は80年代のポップ・ミュージックをテーマにした書籍の常盤響との対談で、小山田圭吾が80年代のアルバム10選の筆頭に挙げていたものである。いろいろなタイプの音楽をエクレクティックにやっていたザ・クラッシュが、ロックンロール的な音楽性に回帰したようにも思われる楽曲。活動期間中、全英シングル・チャートで10位以内に入った曲はなかったのだが、この曲は解散してからかなり経った1991年にリバイバルして見事1位に輝いている。

19. More Than This – Roxy Music

ロキシー・ミュージックの「アヴァロン」は日本ではおしゃれ音楽的に消費されがちでもあったのだが、個人的には音楽オタクではまったくなくて、単なる軽薄なミーハーなので、このような状況を好ましく感じていた。「夜に抱かれて」の邦題で知られるこのシングルはそのようなムードを象徴するような楽曲で、映画「ロスト・イン・トランスレーション」の東京のカラオケ店でビル・マーレイが歌っていたのも納得というものである。

18. Steppin’ Out – Joe Jackson

アルバム「ナイト・アンド・デイ」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高6位を記録した。「夜の街へ」という邦題も実に相応しい、クールでラグジュアリーな楽曲である。

17. The Look Of Love – ABC

パーフェクト・ポップ・ミュージックとでもいうべき概念にひじょうに近いのではないか、というように見なされていたアルバム「ルック・オブ・ラヴ」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高4位を記録した。

16. Africa – Toto

腕利きのミュージシャンたちによるバンド、TOTOは日本でひじょうに人気が高く、1981年のアルバム「ターン・バック」も全米アルバム・チャートでの最高位が41位だったのに対し、オリコン週間アルバムランキングでは最高3位だったはずである。

そして、1982年のアルバム「TOTO Ⅳ〜聖なる剣」は全米アルバム・チャートで最高4位を記録したほか、グラミー賞でもレコード・オブ・ジ・イヤーやアルバム・オブ・ジ・イヤーを含む6部門を受賞した。

この曲は収録曲の中でもやや異色な感じもあるのだが、全米シングル・チャートで1位に輝き、当時はロック批評などでそれほど正当に評価されていなかった印象があるが、近年は再評価がされてもいるような気がする。2018年にはウィーザーによるカバー・バージョンがリリースされた。

15. Rip It Up – Orange Juice

スコットランド出身のインディー・ポップ・バンド、オレンジ・ジュースといえば、日本ではネオ・アコースティックのバンドとして人気があったり、90年代の初CD化に際してフリッパーズ・ギターが猛プッシュしていたことなどでも知られる。

この曲は2作目のアルバムのタイトル・トラックでありながらシングル・カットもされ、全英シングル・チャートで最高8位を記録した。シンセ・ベースのサウンドも印象的なネオ・アコースティックなセンスを残しながら、ダンス・オリエンティッドでもあるところがユニークでとても良い

14. Our House – Madness

イギリスの人気バンド、マッドネスのヒット曲で、全英シングル・チャートで最高5位のみならず、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの流れに乗って、全米シングル・チャートでも最高7位とトップ10入りを果たした。バンドのユニークなキャラクターが生かされた、ミュージックビデオもとても楽しい。

13. Rock The Casbah – The Clash

ザ・クラッシュはもちろん大人気バンドだったわけだが、活動中における全英シングル・チャートでの最高位は「ロンドン・コーリング」で記録した11位であり、トップ10入りしたシングルは無かった(解散後に「ステイ・オア・ゴー」が1位に輝いている)。

「コンバット・ロック」からシングル・カットされたこの曲は全英シングル・チャートで最高30位(1991年に再発され、最高15位)だったが、全米シングル・チャートでは最高8位を記録していた。これも第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの勢いに乗ったからなのかどうかは定かではないのだが、ミュージックビデオはなかなかユニークなものであった。ドラマーのトッパー・ヒードンによって書かれた楽曲である。

12. Shipbuilding – Robert Wyatt

1982年にはイギリス領であるフォークランド諸島の領有をめぐり、イギリスとアルゼンチンとの間でフォークランド紛争が勃発した。エルヴィス・コステロによって書かれた歌詞は、この紛争によって造船業が潤うのだが、それと同時に人命が失われていることの皮肉について表現されている。

ロバート・ワイアットが歌ったバージョンは、再発された1983年に全英シングル・チャートで最高35位を記録した。エルヴィス・コステロによるセルフ・カバーは、アルバム「パンチ・ザ・クロック」に収録されている。

11. Little Red Corvette – Prince

アルバム「1999」からシングル・カットされ全米シングル・チャートで最高6位、プリンスにとって初の全米トップ10シングルとなった。ロックとソウル・ミュージックとがミックスされたようなプリンスのユニークな音楽が、いよいよメインストリームでも受け入れられ、ポップ・ミュージックの新たな可能性を切り拓いていく時代が、このヒットから本格的にはじまったといえるような気がする。

10. Come On Eileen – Dexy’s Midnight Runners

1980年に「ジーノ」が全英シングル・チャートで1位に輝いていたデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズが2作目のアルバム「女の泪はワザモンだ!!」からの先行シングルとしてリリースし、またしても全英シングル・チャートで1位を記録したのみならず、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの流れに乗って、翌年には全米シングル・チャートでも1位になってしまった。当時、流行していたシンセ・ポップやニュー・ウェイヴ的なサウンドとは一味ちがった、ソウルフルでアグレッシヴな音楽性とユニークなファッションセンスがひじょうに印象的であった。

9. Beat It – Michael Jackson

マイケル・ジャクソンのメガヒットアルバム「スリラー」がリリースされたのは、1982年11月30日、この曲は3枚目のシングルとしてカットされて全米シングル・チャートで1位、ギターヒーローのエドワード・ヴァン・ヘイレンのゲスト参加や、大勢のギャング的な人たちがマイケル・ジャクソンと一緒に踊るシーンが印象的なミュージックビデオも大ヒットした。当時をリアルタイムで知っている人たちにとっては、やはり1983年のヒット曲という印象が強いのだが、ここでは初リリース年を基準としているため、1982年の曲という扱いになる。もちろん1983年のポップ・ソングとして扱った方がしっくりとくるのだが、そうなると他の楽曲もリリース年ではなくヒットした年を基準とするのかとか、そもそもチャート順位の記録がない楽曲はどうするのかといった問題がいろいろ出てきて、対応がひじょうに難しくなっているような気がするので、原則的にはリリース年で統一することにしている。

8. Buffalo Gals – Malcolm McLaren

マルコム・マクラレンといえばセックス・ピストルズのマネージャだったことなどで知られ、イカサマ師的なイメージもひじょうに強い。1983年にリリースされた「俺がマルコムだ!(原題:Duck Rock)」は、そのような軽薄さのようなものが良い意味で生かされ、ヒップホップやワールド・ミュージックがカジュアルに取り入れられた、素晴らしいアルバムである。サンプリングを多用しまくっているからなのか配信ではリリースされていないのだが、全英シングル・チャートで最高9位を記録したこの曲はコンピレーションで聴くことができる。

7. Planet Rock – Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force

ヒップホップはこの時点ではまだ新しいサブ・カルチャーというようなイメージであり、メインストリームでそれほどメジャーにはまだなっていなかったのだが、アフリカ・バンバータ&ザ・ソウル・ソニック・フォースによるこの楽曲は、クラフトワーク「ヨーロッパ特急」にインスパイアされていることでもひじょうに話題になり、その後のポップ・ミュージック界に強い影響をあたえた。

6. 1999 – Prince

プリンスの2枚組アルバム「1999」のタイトルトラックで、全米シングル・チャートでの当初の最高位は44位だったのだが、「リトル・レッド・コルヴェット」がトップ10ヒットとなった後で、最高12位を記録した。イギリスでは1985年に再リリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録している。

1999年の夏に世界の終わりが訪れるという説があり、どこまで深刻にだったかは定かではないが、その認識はうっすらと共有されていたような気がする。この曲もまたそういった世紀末のイメージに沿ったダンス・ミュージックというかパーティー・チューンであり、当の1999年に世界が終わることがなかったその後も、モダン・クラシックスとして聴かれ続けている。

5. Do You Really Want To Hurt Me – Culture Club

第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンといえば、「君は完璧さ」の邦題で知られるカルチャー・クラブのこの曲と、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」のイメージがひじょうに強い。同時期にヒットしていたマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」と共に、ミュージックビデオがヒットに影響をおよぼしていたように思える。

1981年にアメリカでMTVが開局し、それがやがてブームになっていくのだが、そこではすでに映像に力を入れていたイギリスの特にシンセ・ポップやニュー・ウェイヴのバンドやアーティストのビデオがかかりがちだったという。それが全米シングル・チャートに影響をおよぼすようになり、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるようになっていった。

カルチャー・クラブのこの曲は全英シングル・チャートで1位に輝いた後、1983年には全米シングル・チャートでも最高2位のヒットを記録する。ユニセックス的なイメージでソウルフルなボーカルが特徴的なボーイ・ジョージの存在感が圧倒的であり、ポップでカラフルなヒット曲の数々を世に送り出していった。その最初となったのが、この曲のヒットであった。

4. Sexual Healing – Marvin Gaye

モータウンの代表的なアーティストとして60年代から数々のヒット曲や、1971年の「ホワッツ・ゴーイン・オン」のような素晴らしいアルバムなどをリリースしてきたマーヴィン・ゲイが1980年に入って2作目のアルバムとしてリリースし、結果的に遺作となってしまった「ミッドナイト・ラヴ」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高3位を記録した。

打ち込みを用いたソウル・ミュージックというサウンド的な新しさとやはり卓越したボーカル・パフォーマンスとがマッチして、しかもテーマが性的ヒーリングという素晴らしい楽曲である。

3. Town Called Malice – The Jam

ザ・ジャムのアルバム「ザ・ギフト」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで1位に輝いた。邦題は「悪意という名の街」で、ポール・ウェラーの出身地であるイギリスはサリー州ウォキングについて書かれた曲だとされているようだ。音楽的にはノーザン・ソウルからの影響が感じられ、ザ・ジャムを解散した後にポール・ウェラーが結成するザ・スタイル・カウンシルに通じるものがある。

ザ・ジャムといえばイギリスでの人気と比較して、アメリカではあまり売れていなかったことでも知られ、この曲もやはり全米シングル・チャートにはランクインしていないのだが、全米メインストリーム・ロック・チャートで31位、全米ダンス・クラブ・ソング・チャートで45位を記録している。

2. The Message – Grandmaster Flash & The Furious Five

ラップ・ミュージックというのは、当初は純粋にパーティーのための音楽だったのだが、それが次第に社会的イシューを取り上げ、メッセージ性が強いものも増えていき、そういった歴史の中でも特に重要なのがこのシングルだということがいわれたりしている。

ストリートでのタフな現実をテーマにしたこの曲はその名も「ザ・メッセージ」というタイトルであり、全英シングル・チャートで最高8位のヒットを記録した。

1. Billie Jean – Michael Jackson

マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」からの先行シングルは、ポール・マッカートニーとのデュエット曲でブラック・コンテンポラリー的なムードが漂う「ガール・イズ・マイン」である。「スリラー」の制作にあたっては、より広いマーケットで前作「オフ・ザ・ウォール」よりも売れることが目標とされてもいたようである。「ガール・イズ・マインド」の全米シングル・チャートでの最高位は2位であった。

そして、2枚目のシングルとしてカットされたのが、ダンス・ミュージックとしての新しさが感じられ、スキャンダラスな歌詞も印象的な「ビリー・ジーン」で、この曲が「スリラー」から最初の全米NO.1ヒットとなった。ミュージックビデオも制作され、MTVでよく流されていたことがヒットの要因の一つともなったようだが、それ以前のMTVでは白人アーティストのビデオばかりが流れていたらしく、この曲のビデオがその状況に風穴を開けたようである。ビデオにはマイケル・ジャクソンの華麗なダンス・パフォーマンスもフィーチャーされていて、その魅力を広く伝える役割を果たしたといえる。この曲も1983年のヒット曲という印象がやはりひじょうに強いのだが、「スリラー」の収録曲として初めてリリースされた年ということで、1982年のポップ・ソングとしてここでは扱っている。