洋楽ロック&ポップス名曲1001:1966, Part.3

The Beach Boys, ‘Good Vibrations’

ビーチ・ボーイズがアルバム「ペット・サウンズ」の後にリリースしたシングルで、アメリカやイギリスのシングルチャートで1位に記録した。

初期のビーチ・ボーイズはサーフィンやホットロッドといった若者の流行をテーマにしたよりシンプルなロックをやっていたが、この頃にはブライアン・ウィルソンがスタジオワークに凝りまくり、より複雑で実験的な音楽性に変化していっていた。

特にこの曲の完成には莫大な時間と費用を要し、実に約90時間分の録音された素材から編集されたともいわれる。録音芸術のある時点における1つのピークでもあり、そのように常軌を逸したものがしっかり大衆に受け入れられもしたというのが、またすごいところである。

The Supremes, ‘You Keep Me Hangin’ On’

シュープリームスがシングルとしてリリースした楽曲で、全米シングルチャートではグループにとって8曲目の1位を記録した。この曲もまたモータウンのヒットメーカー、ホーランド=ドジャー=ホーランドによって作詞作曲、プロデュースされている。

けして本気ではないくせに別れてはくれない恋人に対して、自由にしてほしいと懇願する内容である。イントロでも聴くことができる印象的なギターのフレーズは、ラジオのニュース番組からインスパイアされている。

カバーバージョンではヴァニラ・ファッジが全米シングルチャートで最高6位、キム・ワイルドがシュープリームスのオリジナル以来となる1位を記録している。

The Easybeats, ‘Friday on My Mind’

オーストラリアのロックバンド、イージービーツのヒットソングで全米シングルチャートで最高16位、全英シングルチャートで最高8位、オーストラリアのチャートでは8週1位を記録した。

月曜から続く退屈な日々を乗り切り、金曜を迎える解放感が歌われていて、労働者階級のアンセムとしても知られる。

デヴィッド・ボウイがアルバム「ピンナップス」でカバーしたほか、ゲイリー・ムーアのカバーバージョンは全英シングルチャートで最高26位を記録した。

2001年にはオーストラリアパフォーミングライツ協会によって、史上最高のオーストラリアの曲に選ばれている。

The Spencer Davis Group, ‘Gimme Some Lovin’’

スペンサー・デイヴィス・グループがシングルとしてリリースした楽曲で、全英シングルチャートで最高2位、全米シングルチャートでは最高7位を記録した。邦題は「愛しておくれ」である。

スティーヴ・ウィンウッドのハモンドオルガンがひじょうに印象的なこの曲は、アメリカのマーケットを意識して制作されたが、実際にバンドにとってアメリカでは最初のヒット曲となった。

1980年には映画「ブルース・ブラザーズ」のキャストによるカバーバージョンがリリースされ、全米シングルチャートで最高18位を記録した。

Otis Redding, ‘Try a Little Tenderness’

オーティス・レディングのアルバム「ソウル辞典」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高25位、R&Bチャートで最高4位、全英シングルチャートで最高46位を記録した。

ジミー・キャンベル、レグ・コネリー、ハリー・M・ウッズによって1933年に作詞作曲されたこの楽曲はレイ・ノーブル・オーケストラによって最初にレコーディングされ、ビング・クロスビーやフランク・シナトラによってもカバーされたが、オーティス・レディングが参考にしたのはサム・クックのバージョンではないかといわれている。

アイザック・ヘイズが編曲し、ピアノも弾いたオーティス・レディングのバージョンはブッカー・T&ザ・MG’sとレコーディングされ、1967年に開催されたモントレー・ポップ・フェスティバルのステージにおいてはこの曲がセットのクライマックスとなった。

The Monkees, ‘I’m a Believer’

ビートルズのような人気グループをアメリカでも生み出そうという目的でオーディションによって結成されたのがモンキーズで、この曲は全米シングル・チャートで1966年の大晦日から7週連続1位を記録した。年が明けてからは全英シングルチャートでも1位に輝いている。

1967年の全米アルバム・チャートではモンキーズの「モア・オブ・ザ・モンキーズ」「恋の終列車」が年間チャートの1位、2位を独占し、ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は年間10位であった。テレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」も大人気で、日本にもファンはひじょうに多かった。

この曲はバンドメンバーではなくニール・ダイアモンドによって作詞作曲された、ポップでキャッチーなラヴソングで、1995年にはEMFとイギリスのコメディアン、ヴィック・リーヴズ&ボブ・モーティマーによるカバー・バージョンが全英シングルチャートで最高3位のヒットを記録している。

The Jimi Hendrix Experience, ‘Hey Joe’

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのデビューシングルで、全英シングルチャートで最高6位を記録した。

ビリー・ロバーツというシンガー・ソングライターによって作詞作曲され、様々なアーティストやバンドがカバーしていたが、ジミ・ヘンドリックスが参考にしたのはフォークシンガー、ティム・ローズによる最もスローなバージョンだった。浮気をしていた妻を射殺してメキシコに逃げようとしている男のことが歌われている。

ニューヨークのクラブでこの曲を演奏しているジミ・ヘンドリックスを目撃した元アニマルズのチャス・チャンドラーがイギリスに連れて行き、デビューさせたところから伝説がはじまった。

Buffalo Springfield, ‘For What It’s Worth’

スティーヴン・スティルス、ニール・ヤング、リッチー・フューレイらによって結成されたが、メンバー間の対立によって約2年で解散したロックバンド、バッファロー・スプリングフィールドのヒット曲で、全米シングルチャートで最高7位を記録した。

ウェストハリウッドのサンセットストリップで開かれた若者たちによるデモを警察が暴力的に制圧したことに対する抗議の意味をこめて、スティーヴン・スティルスが作詞作曲した楽曲である。バッファロー・スプリングフィールドが出演していたナイトクラブ、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーで演奏するとすぐに話題になり、大ヒットにつながった。

すでに発売されていたデビュー・アルバム「バッファロー・スプリングフィールド」にも他の曲と差し替えてこの曲を収録し、再リリースすることになった。その後、広い意味でのプロテストソングとしても知られていくようになった。