ビートルズの名曲トップ40, Pt.1 (40-31)
ポップ・ミュージック史上最も重要なアーティストは一体誰なのかという問いがあったとして、解散から50年以上が経っていたとしてもいまだにビートルズを挙げる人たちは一定数いるのではないかと思われ、いくつかの理由によってそれは妥当でもある。
というわけで、インターネット上には様々なメディアや個人によってつくられたビートルズのベストソングリストが数え切れないほど存在している。とはいえ、こんなんなんぼあっても良いですからね、というわけで、それぞれにとってのディフィニティヴなものがいくつもあった方が楽しいのではないかとも感じられる。
そこでここでもやってみたわけだが、なんとなく「全米トップ40」のカウントダウンを連想できるからというのが主な理由で、タイトルもベスト40ではなくトップ40なわけだがそれほど深い意味はない。
40. Love Me Do (1962)
純粋に曲のクオリティーだけでいうともっと40曲のうちに入れるべきものがあるような気もするのだが、イギリスでのデビューシングルで最初のヒット曲という点と、ハーモニカのサウンドとボーカルのハーモニーが特徴的な、これがリパプールサウンドなのだとかつて教育された記憶などもあることなどから、やはり入れておくべきなのではないかという気分になった。
ちなみにこの曲がレコーディングされた当時、ビートルズのオリジナル曲はまだ弱いと見なされていたようで、デビューシングルもこの曲ではなく後にジェリーとペイスメーカーズがヒットさせた「恋のテクニック(原題:How Do You Do It」になる可能性があったという。
アメリカでは1964年にリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。
39. Yer Blues (1968)
「ホワイト・アルバム」の異名でも知られるアルバム「ザ・ビートルズ」に収録されている曲で、クレジットはレノン=マッカートニーだが、実際にはジョン・レノンによって書かれた楽曲である。
ブルース音楽のパロディーになっていて、当時のイギリスでのブリティッシュブルースブームに反応したものだとも考えられる。
ビートルズの他のメンバーと一緒にインドのマハリシ・マヘーシュ・ヨギーの元で修業をしにいった時にできた曲らしく、さびしくて死にたいというような歌詞は、その時の心理状態をリアルに反映したものらしい。
38. Drive My Car (1965)
アルバム「ラバー・ソウル」に収録され、シングルカットはされていないがひじょうに人気が高い曲である。
いつか映画スターになるからその時には運転手にしてあげるというようなことを女性がいう歌詞の内容は、シラ・ブラックと当時の恋人との関係性にインスパイアされたともいわれている。
それまでのビートルズの作品よりもベース音が強調されているのは、オーティス・レディング「リスペクト」などのスタックス・サウンドに影響されたものだという。
車のクラクションをあらわしている「Beep beep」というフレーズが印象的である。
37. Revolution (1968)
「ヘイ・ジュード」のシングルB面に収録され、全米シングル・チャートで最高12位を記録した。
「ザ・ビートルズ」のためのセッションから生まれた曲だが、シングルバージョンの他に「レヴォリューション1」とサウンドコラージュ的な「レヴォリューション9」がアルバムには収録されている。
この曲がリリースされた頃は政治の季節であり、各地で学生や市民による抗議行動が盛んに行われていた。主義主張には賛同するものの、暴力的なやり口には疑問を感じていたジョン・レノンの心境が反映した曲になっている。
80年代にはナイキのCMに無断使用されたとして、訴訟沙汰になったりもしていた。
36. Yesterday (1965)
アルバム「ヘルプ!」の収録曲だが、アメリカではシングルとしてもリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。
クレジットはレノン=マッカートニーだがポール・マッカートニーによる楽曲で、弦楽四重奏にのせて失恋の悲しみについて歌われている。
日本でもひじょうに人気が高く、ビートルズの代表曲として紹介されることもある。
35. Taxman (1966)
アルバム「リボルバー」の1曲目に収録された曲である。
ザ・ジャム「スタート!」などにも引用されたベースラインやサイケデリックな雰囲気が特徴的で、音楽的な実験性も感じられる。
イギリスの税金があまりにも高いということがテーマになっているが、同じ年にリリースされたザ・キンクス「サニー・アフタヌーン」にも同系統のくだりがあったはずである。
34. Don’t Let Me Down (1969)
シングル「ゲット・バック」のB面に収録され、全米シングル・チャートで最高35位を記録した。
クレジットはレノン=マッカートニーになっているがジョン・レノンによって書かれた曲で、後に妻となるオノ・ヨーコに捧げたラヴソングになっている。
2021年にドキュメンタリー番組が公開されたゲット・バック・セッションでも何度も演奏されていたが、ヘヴィーでブルージーな心の叫びが感じられる。
33. Here, There And Everywhere (1966)
「リボルバー」に収録された美しいラヴソングで、レノン=マッカーニーのクレジットでポール・マッカートニーによって書かれている。
ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」のリスニングパーティーに参加したポール・マッカートニーが「神のみぞ知る(原題:God Only Knows)」にインスパイアされて書いたともいわれている。
32. The Long And Winding Road (1970)
レノン=マッカートニーのクレジットでポール・マッカートニーによって書かれた曲で、アルバム「レット・イット・ビー」からシングルカットされ、全米シングル・チャートでビートルズにとって最後の1位に輝いた。
元々はレイ・チャールズ・バンドが演奏しそうなシンプルなアレンジを想定していたのだが、アルバム制作にあたりプロデューサーのフィル・スペクターがオーケストラや合唱などを付け加えてリリースされたため、ポール・マッカートニーがブチ切れるという件もあった。
31. Got To Get You Into My Life (1966)
「リボルバー」からあまりにも選びすぎなのではないかという気がなんとなくしていたのだが、収録アルバムのバランスなどはまったく考慮せずに選んでいたところこのような結果にいまのところはなっている。
レノン=マッカートニーのクレジットでポール・マッカートニーによって書かれ、モータウンサウンドにインスパイアされている。ブラスセクションの使い方が実に良い感じである。
後にアース・ウィンド&ファイアーによるカバーバージョンが全米シングル・チャートで最高9位を記録した。