マニック・ストリート・プリーチャーズ「ホーリー・バイブル」について。
マニック・ストリート・プリーチャーズの3作目のアルバム「ホーリー・バイブル」は、オアシスのデビュー・アルバムと同じ週に発売された。同じ日に発売されたと書かれている記事もあるのだが、1日違いだったという記録もある。いずれにしても同じ週の全英アルバム・チャートのオアシスのデビュー・アルバムは1位、マニック・ストリート・プリーチャーズ「ホーリー・バイブル」は6位に初登場している。ちなみにその間にランクインしていた4作とは、カレーラス、ドミンゴ、パヴァロッティ「世界3大テノール’94 夢の競演」、ウェット・ウェット・ウェット「愛にすべてを~ベスト・オブ Wet Wet Wet」、シンディ・ローパー「グレイテスト・ヒッツ」、ブラー「パークライフ」である。イギリスではこの時点での最高位を更新したが、ヨーロッパの他の国やイギリスではランクインしていなく、イギリス以外でのランクインとしては日本のオリコン週間シングルランキングで記録した最高48位がある。日本では1994年9月15日の発売で9月26日付で初登場、その週の上位にはDEEN「DEEN」、Mr.Children「Atomic Heart」、竹内まりや「Impressions」などがランクインしていた。
イギリスではこの年の8月29日にオアシスのデビュー・アルバム(邦題が「オアシス」で原題が「Definitely Maybe」)、30日にマニック・ストリート・プリーチャーズ「ホーリー・バイブル」が発売されたと、知りうる限り最も確からしい情報ではなっていて、その翌日に日本では小沢健二「LIFE」が発売されている。私は「オアシス」と「ホーリー・バイブル」を同じ日に西新宿のラフ・トレード・ショップで買ったが、「LIFE」はマルイシティ新宿地下1階にあったヴァージン・メガストアで発売されているのいを確認しただけだった。
さて、1994年といえばオアシスのデビュー・アルバムとブラー「パークライフ」が大ヒットして、これで一気にブリットポップが盛り上がったという印象が強いのだが、マニック・ストリート・プリーチャーズ「ホーリー・バイブル」、スウェード「ドッグ・マン・スター」、パルプ「彼のモノ 彼女のモノ」など、他にもイギリスのインディー・ロック・バンドによる評価の高いアルバムがリリースされていた。ちなみに今日、海外メディアなどでブリットポップを振り返る企画などを見ると、オアシス、ブラー、パルプ、スウェード、ザ・ヴァーヴ、エラスティカ、ブー・ラドリーズ、スーパーグラス、アッシュ、ザ・ブルートーンズとこの辺りはブリットポップとされているのだが、マニック・ストリート・プリーチャーズとレディオヘッドは除外されている場合が多い。当時はいわゆるUKインディー・ロック全般をブリットポップとして見ていたようなところもあり、この境い目というのがよく分からない。特にスウェードとマニック・ストリート・プリーチャーズはファンもかなり被っていたような印象がある。
それはそうとしてマニック・ストリート・プリーチャーズだが、デビュー・アルバムを大ヒットさせてすぐに解散するというようなことを言っていたような気がするが、結果的にあれからずっとやっていて、しかもリリースしたアルバムはすべて全英アルバム・チャートの上位にランクインさせ続けている、国民的人気バンドといっても過言ではない状態である。当時、このような姿はまったく想像できなかった。そして、この「ホーリー・バイブル」はマニック・ストリート・プリーチャーズの最高傑作だといわれる場合が多い上に、バンドのキャリアにおいてもひじょうに重要な作品である。
まず、マニック・ストリート・プリーチャーズは1986年にいとこ同士だったジェームス・ディーン・ブラッドフィールドとショーン・ムーアに加え、ニッキー・ワイヤーやその他のメンバーによって結成された。そのうち脱退するメンバーがいたり、リッチー・エドワーズが加入したりして、よく知られている4人組となる。ヘヴンリー・レコーズから1991年にリリースされたシングル「モータウン・ジャンク」がジョン・レノンが死んだ時には笑ってしまった、というような歌詞を含んでいることが話題になったりもしていたのだった。
当時はマッドチェスター・ムーヴメントの余韻がまだ残っていた頃で、インディー・ロック・バンドといっても、ダンス・ミュージックの要素を取り入れている音楽がひじょうに多かった。そのような状況で、パンク・ロック的なイメージと音楽性のマニック・ストリート・プリーチャーズの存在は懐古趣味的にも思えたし、なんだかインチキ臭く見られるようなところもあった。「NME」の取材でそのことを指摘されると、リッチー・エドワーズは自分自身の腕にカミソリで「本気」を意味する「4 REAL」と彫って、流血となり騒然とするということがあったりもした。その時のことが写真も含めセンセーショナルに報じられたりもして、ますますインチキ臭く見る人達も増えていったように思える。というか、実は私もこの頃にはまだそっち側だったことは告白しておきたい。六本木WAVEの休憩室で、その時の写真が載った「宝島」のページを、フレンチポップや映画音楽を好む色白の男子がとても嫌そうに見せびらかしていたことが思い出される。
それで、この「4 REAL」事件のリッチー・エドワーズなのだが、当時、バンドのメンバーで最も人気があったと思えるのだが、ボーカリストではなくリズムギターと作詞を担当していた。演奏面においてはそれほど重要な役割を果たしてはいなかったのだが、それでもバンドの象徴的な存在であった。一方、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドはリードボーカルとギターというひじょうに重要な役割を担っていながら、リッチー・エドワーズやニッキー・ワイヤーの方が人気があったという、他のバンドとは少し違っているところがあった。
デビュー・アルバムの「ジェネレーション・テロリスト」はメンバーが豪語していたレベルの大ヒットにはならず、バンドはこの1枚で解散もしなかったのだが、評価は次第に高まっていった。というのも、消費文明の空虚さをテーマにした「享楽都市の孤独」や、女性の性的搾取という問題に斬り込んだ「リトル・ベイビー・ナッシング」など、その楽曲は実は知的でひじょうにユニークなものであるということが、少しずつ知られていったからである。
それで、1993年には2作目のアルバム「ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル」がリリースされる。先行シングルの「絶望の果て」はひじょうにドラマティックな名曲であり、ひじょうに期待したのだが、アルバムそのものはアメリカのマーケットを狙ったとかでハード・ロックに近いようなサウンドになっていた。楽曲そのものは悪くないと思うのだが、サウンドがどうにもあまり好みではないと個人的には思っていたところ、メンバーや多くのファンの感想も似たようなものだったようだ。
それで、3作目のアルバムではルーツであったパンク・ロックに回帰しているらしいと、雑誌の記事などでは読んでいたのだった。その後、「NME」の付録に発売前の「ホーリー・バイブル」のダイジェストとメンバーのコメントが収録されたソノシートというか、フレキシディスクが付いてきた。先行シングルの「ファスター/PCP」の時点でその傾向は見られたのだが、このソノシートというかフレキシディスクを聴いて、これは本当にかなり良さそうだと思ったのだった。いま思うと、パンクロックというよりはポスト・パンクからの影響がひじょうに強いように思える。
楽曲には当時、精神的にひじょうに危険な状態にあったというリッチー・エドワーズの心象風景を反映したかのようなダークでヘヴィー、それでいてインテリジェントなものになっている。また、当時のマニック・ストリート・プリーチャーズはミリタリー的な衣装を着たりイメージを打ち出すことも多かったように思える。「トップ・オブ・ザ・ポップス」で「ファスター」を演奏した時にはジェームス・ディーン・ブラッドフィールドが目出し帽のようなものを被っていたのだが、それがテロリストを想起させるとかで放送していたBBCに苦情が殺到したらしい。
このアルバムを買った週のことを思い出すと、オアシスのデビュー・アルバムがとにかくとても良くて何度も繰り返し聴いていたいのだが、マニック・ストリート・プリーチャーズのこっちもかなり良くてもっとちゃんと聴きたいという、贅沢な悩みをかかえていたような気がする。それで、「ホーリー・バイブル」は世界的なセールスはそれほどでもなかったが、評価はひじょうに高く、その後も再評価されるようになっていく。
そして、このアルバムがリリースされた翌年、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドとアメリカにプロモーションで渡航する直前にリッチー・エドワーズが失踪し、その後も見つからず、13年後の2008年には死亡宣告が出されることとなった。バンドは解散も考えたのだが、リッチー・エドワーズの家族からの激励もあり、3人組でバンド活動を継続、1996年にリリースした3人組になってから最初のシングル「デザイン・フォー・ライフ」が全英シングル・チャートで最高2位の大ヒットを記録する。それからずっと売れ続けている。
マニック・ストリート・プリーチャーズが3人組になってからさらに売れるようになった原因としては、サウンドが万人に受けやすくなったことにより、そもそもにドラマティックだったりキャッチーだったりするメロディーの良さが伝わりやすくなったり、ブリットポップのブームに乗ったようなところもあったのではないかと思う。
「ホーリー・バイブル」はその1つ前のアルバムであり、その後の作品にはない切迫感や緊張感のようなものが感じられはするのだが、メロディーがキャッチーな曲もわりとあったりはする。それとポスト・パンク的なサウンドとのバランスが絶妙に良い。オアシスやブラーよりも、ワイヤーやマガジンなどの系譜で聴かれるべきなのかもしれない、などと感じたりもする。曲と曲の間に入っているいろいろなコンテンツからの引用、セリフや効果音のようなものもコンセプトアルバムっぽくてとても良い。マニック・ストリート・プリーチャーズの長いキャリアの中でもわりと異色なアルバムともいえ、同時にやはり最高傑作ではないかと改めて感じるのである。