ジョン・メレンキャンプ「ジャック&ダイアン」

「ジャック&ダイアン」はアメリカのシンガーソングライター、ジョン・メレンキャンプの5作目のアルバム「アメリカン・フール」からシングルカットされ、全米シングルチャートで4週連続1位の大ヒットを記録した楽曲である。

しかし、上記の説明は厳密には正確ではない。というのも、この曲がヒットした当時、ジョン・メレンキャンプのアーティスト名はジョン・クーガーだったからである。デビュー当時にはジョニー・クーガーであった。本名のジョン・メレンキャンプでは田舎っぽすぎて売れなさそうなどの理由で、当時のマネージャーが付けたアーティスト名である。

ジョン・メレンキャンプはそれがとても嫌だったので抵抗したのだが、アーティスト名を変えなければレコードは出せないと言われたため、渋々従うことになった。レーベルはジョニー・クーガー、あるいはジョン・クーガーにニール・ダイアモンドのような音楽をやってほしかったのだが、本人はまったくそうは考えていなかった。

とはいえ、「アイ・ニード・ア・ラヴァー」「夜が泣いている」といった楽曲が全米シングルチャートでトップ40入りしたりして、少しずつ人気は高まっていった。そして、1982年のアルバム「アメリカン・フール」からシングルカットされた「青春の傷あと」が全米シングルチャートで最高2位のヒットを記録する。1位を阻んだのは映画「ロッキー3」の主題歌で全米シングルチャートで6週連続1位を記録したサバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」であった。

1982年の夏に全米シングルチャートでヒューマン・リーグ「愛の残り火」が1位になって、いよいよイギリスのシンセポップがアメリカのヒットチャートをも侵食し、第2次ブリティッシュインベイジョンが本格的に盛り上がっていく予兆を感じさせていた。

とはいえ、ジョン・クーガー「アメリカン・フール」は純然たるアメリカンロックである。そして、「青春の傷あと」の次にシングルカットされた「ジャック&ダイアン」がスティーヴ・ミラー・バンド「アブラカダブラ」(エミネムが2024年にヒットさせた「フーディーニ」でサンプリングした楽曲である)を抜いて、全米シングルチャートで1位に輝いた。

1981年にアメリカで開局したMTVが大流行したことによって、洋楽は聴くだけではなく見て楽しむものという認識が日本のリスナーの間でも広まりつつあったのだが、MTVそのものが日本に上陸するのはまだ少し先で、テレビ朝日系で放送されていた「ベストヒットUSA」がまずはとても大きかった。

小林克也が司会でアメリカの最新ヒットチャートを紹介したり、洋楽のミュージックビデオ(当時はプロモーションビデオという呼び名がポピュラーだったが)が次々とオンエアされる。という噂はなんとなく知るようになっていたのだが、北海道では放送されていなく、個人的にはしばらく見ることができなくて悔しい思いをしていたのだった。

それがやっとこさ1982年の秋から放送されることになり、ビデオテープに録画しては何度も繰り返し見ていた。「ジャック&ダイアン」はそのごく初期の頃に1位だった楽曲として印象に残っている。収録アルバムの「アメリカン・フール」も全米アルバムチャートで1位になったので、旭川の平和通買物公園にあったミュージックショップ国原かファッションプラザオクノ地下の玉光堂で輸入盤のレコードを買った。

ジャックとダイアンというカップルのことを歌った楽曲なのだが、ジョン・メレンキャンプは当初、ライブ会場のオーディエンスにインスパイアされ、異人種間カップルの物語としてこの曲を書いた。しかし、それでは売れにくいとアドバイスを受けて、歌詞を書き直したりもしている。

そして、意外にもこの楽曲にはデヴィッド・ボウイのスパイダーズ・フロム・マーズでもお馴染みのミック・ロンソンがかかわっている。ジョン・メレンキャンプが実は捨てかけていたこの曲のポテンシャルをミック・ロンソンが見いだし、結果的に大ヒットさせた。

ジョン・メレンキャンプの音楽性というのは先述の通り紛れもないアメリカンロックであり、一部ではハートランドロックとも呼ばれるサブジャンルの典型例の1つとして見なされがちであった。グラムロックの印象が強いミック・ロンソンとはそれほど親和性を感じないのだが、これがハマってしまったのであった。

ちなみにジョン・メレンキャンプは若かりし頃にニューヨーク・ドールズの曲名にちなんでバンド名を付けたというトラッシュというグラムロックバンドで活動していた過去があり、そう考えるとそれほど不自然ではないような気もしてくる。

演奏がそれほどうまくいっていなかったため、リズムを保つなどの目的のためにハンドクラップを入れていて、後から消すつもりだったのだが、なかなか良かったのでそのまま残したようだ。

また、曲の途中の大きなドラムブレイクがひじょうに印象的ではあるのだが、前年にヒットしたフィル・コリンズ「夜の囁き」の影響も受けているような気がする。

輝いていた青春を振り返るノスタルジックな楽曲のようにも感じられるのだが、「人生は続いていく、生きる喜びがなくなってからもずっと」というビターな真実をも歌っているところが、深みをあたえている。

それは大抵の普通の人々にとってのリアルであり、それをエバーグリーンなポップソングに仕上げているところに、この楽曲ならではの価値があるように思える。

個人的には16歳の誕生日にこの曲が全米シングルチャートで1位だったのだが(ちなみにイギリスでミュージカル・ユース「パス・ザ・ダッチー」、日本ではあみん「待つわ」が1位であった)、大人になってから聴き直すとまたさらに意味が濃く感じられるというのも良いものである。

ジョン・メレンキャンプは「アメリカン・フール」の大ヒットによって発言権が増したのか、次のアルバム「天使か悪魔か」ではアーティスト名をジョン・クーガー・メレンキャンプ、1991年のアルバム「ホエンエヴァー・ウィ・ウォンテッド」ではついに本名のジョン・メレンキャンプとすることに成功する。

ポップミュージックは現実のつまらなさやしんどさを束の間でも完全に忘れさせてくれるかもしれないとても素晴らしいものなのだが、中にはそのつまらなさやしんどさそのものをそれほど悪くはないと思わせてくれるものもあり、これにも価値はあるのではないかと個人的には考え、そういった意味で「ジャック&ダイアン」はその最たるものの1つなのではないかと強く感じたりはするのであった。