洋楽ロック&ポップス名曲1001:1993, Part.2
Bjork, ‘Human Behaviour’
ビヨークのソロ・デビューシングルで、全英シングルチャートで最高36位を記録した。
アイスランドでは12歳の頃に童謡を歌ったレコードでデビューし、すでに人気者であった。その後、インディーロックバンド、シュガーキューブスのボーカリストとして、世界的にも注目される。
ソウル・Ⅱ・ソウルのネリー・フーパーをプロデューサーに迎えたソロデビューアルバム「デビュー」では、クラブ・ミュージック的な音楽性にシフトし、そのユニークなボーカルがより幅広いリスナーから支持されるようになった。
イギリスでは「NME」「メロディ・メーカー」といったインディーロックファンが好む媒体のみならず、「i-D」「THE FACE」といったクラブカルチャー的でもある雑誌にもよく取り上げられるようになり、クールでトレンディーなポップアイコンとしてのイメージが定着した。
とはいえ、「デビュー」はこの年の「NME」年間ベストアルバムにおいて、ブー・ラドリーズ「ジャイアント・ステップス」、スウェード「スウェード」などを抑え、1位に選ばれてもいる。ミシェル・ゴンドリーが監督した摩訶不思議なミュージック・ビデオもとても良い。
Liz Phair, ‘Fuck and Run’
アメリカのシンガーソングライター、リズ・フェアのデビューアルバム「Exile in Guyville」に収録された楽曲でシングルカットはされていないのだが、代表曲の1つとして知られる。
アルバムタイトルはクラシックロックの金字塔ともいわれるローリング・ストーンズ「メイン・ストリートのならず者」にインスパイアされていると思われるのだが、その極上のロックンロールはもちろん素晴らしいのだが、無意識過剰に横溢しているかもしれないトクシックマスキュリニティ的な感覚を正しく反転させているようなところも痛快である。
この楽曲はカジュアルセックスについて、けして大袈裟にではなくスポークンワード的なナチュラルさで歌っているところが最大の特徴で、当時はわりとセンセーショナルだったかもしれないのだが、それがそうでもなくなったより良い未来に聴き直していたとしても、その先見性とポップソングとしての純粋な魅力を再認識させられるのであった。
Smashing Pumpkins, ‘Today’
スマッシング・パンプキンズのアルバム「サイアミーズ・ドリーム」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高69位、全英シングルチャートで最高44位を記録した。
以前からアメリカのカレッジチャートなどではかなり上位にランクインしていたのだが、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒット以降、オルタナティブロックがメインストリーム化してからは初めてのアルバムであった。
オルタナティブロックとしてはややハードロック的な要素がなんとなく強めなようにも感じられていたスマッシング・パンプキンズなのだが、この曲は今日はこれまでで最も素晴らしい日であり、明日のためには生きられない、というようなことを歌ったバラードである。
メロディーな美しさもあり、希望に満ち溢れたポジティブな楽曲として捉えられることもあるのだが、実際にはビリー・コーガンが深刻な自殺願望をいだいていた頃のことが書かれていて、それゆえの解放感がポップソングとしての強度にもつながっているように思える。
The Breeders, ‘Cannonball’
ブリーダーズのアルバム「ラスト・スプラッシュ」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで最高44位、全英シングルチャートで最高40位を記録した。
ブリーダーズはピクシーズのキム・ディールによるサイドプロジェクトとしてはじまったバンドだが、アメリカではこの曲によってピクシーズがどの曲でも記録していない全米シングル・チャート入りを果たしている。また、イギリスでは「NME」「メロディー・メイカー」の両誌において年間ベスト・シングルに選ばれている。
フェミニンなオルタナティブロックで、マイルドな実験性やピクシーズでおなじみのサウンドの強弱を効果的に用いた構成が特徴的である。
ミュージックビデオはソニック・ユースのキム・ゴードンによって監督されている。
Nirvana, ‘Heart-Shaped Box’
ニルヴァーナのアルバム「イン・ユーテロ」からリードシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高5位を記録した。アメリカではシングルが発売されなかったが、ビルボードのモダンロックトラックチャートでは1位を記録した。
アルバム「ネヴァーマインド」の大ヒットによってバンド自体がブレイクしたのみならず、オルタナティブロックのメインストリーム化という地殻変動というかポップミュージックの歴史を変えるような事態を生じさせてしまったニルヴァーナは次も同じようなアルバムをリリースしていればかなり売れたかもしれないのだが、それは本意ではなかったらしく、スティーヴ・アルビ二をプロデューサーに迎えたかなり生々しくパンキッシュなサウンドにシフトしていった。
それでレーベル側もあわてて、少なくともシングル向けの楽曲ぐらいはとマイルドに仕上げ直したうちの1つがこの曲であった。カート・コバーンが妻であったホールのコートニー・ラヴとの不安定だが情熱的な関係について書いたラヴソングという解釈がわりと一般的だが、やはりいわゆる普通のラヴソングとはかなりテイストが異なっていて、そこがリアルで生々しくも感じられる。
アントン・コービンが監督したミュージックビデオの不穏なポップネスとでもいうべき世界観もまた、カート・コバーンの再び引き返すことが出来ない未来を暗示しているようで、それはアメリカが象徴する高度資本主義社会のそれとも多分に重なっているような気もする。
Nirvana, ‘All Apologies’
ニルヴァーナのアルバム「イン・ユーテロ」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高32位、アメリカではモダンロックチャートで1位を記録した。
すべての謝罪などと直訳することもできるこの楽曲は、カート・コバーンが妻のコートニー・ラヴと娘のフランシス・ビーンに捧げていると語られたりもしていたのだが、結婚(Married)と埋葬(buried)で韻が踏まれているなど、やはり一筋縄ではいかなさを深く感じさせたりもする。
人生とは一体何なのだろうか、というような哲学的テーマが深く埋め込まれたこの楽曲が、何食わぬ顔でコンテンポラリーなモダンロックチューンとしてごく一般的に流通していたということが、いま思うとかなり味わい深かったわけだが、この曲がシングルカットされた約4ヶ月後にカート・コバーンは自宅にて死体として発見され、死因はショットガンによる自殺だと公表されたのであった。