邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1976, Part.1
スローバラード/RCサクセション(1976)
RCサクセションの6枚目のシングルで代表曲の1つとして知られているが、当時はオリコン週間シングルランキングにランクインしていない。
元マネージャーの独立にまつわる騒動に巻き込まれ、不当に干されていたりもして、収録アルバム「シングル・マン」共々、発売が遅れた上にそれほど売れず、まもなく廃盤になったのであった。
その後、RCサクセションはメンバーチェンジなどもあってロックバンドとして生まれ変わり、1979年代辺りから話題になりはじめるのだが、この頃に音楽評論家の吉見佑子らが「シングル・マン」のような名盤を埋もれさせてはならないと再発運動をはじめる。
個人的には当時、旭川の中学生であり、1980年にミュージックショプ国原か西武百貨店のディスクポートで買った「オリコン・ウィークリー」の前身、「オリコン全国ヒット速報」でこれについての記事を読んだ記憶がある。
「スロー・バラード」が収録されたレコードを初めて買ったのは「シングル・マン」ではなく、1983年のライブアルバム「THE KING OF LIVE」であった。この年の夏に札幌の真駒内屋外競技場で行われたサザンオールスターズとの対バン的なライブイベント「HOKKAIDO SUPER JAM ‘83」に行った。その年の最新アルバム「OK」収録曲が中心のセットリストだったのだが、代表曲である「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」などと共に、「スローバラード」も演奏された。
「昨日は車の中で寝た あの娘と手をつないで 市営グランドの駐車場 2人で毛布にくるまって」という歌詞に憧れたり実際にそれをやってみた若者たちも当時、少なくはなかったと思われる。そして、「悪い予感の欠片もないサ」というフレーズがまたとても良い。
作詞・作曲は忌野清志郎&みかんとクレジットされているが、このみかんというのは当時の忌野清志郎の恋人だといわれている。演奏にはクレジットはされていないが、当時、来日中だったタワー・オブ・パワーのホーンセクションが参加している。かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のレコーディングに参加したのと同じ時期だろうか。
恋の弱味/郷ひろみ(1976)
郷ひろみの16枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。作詞は橋本淳、作曲・編曲は筒美京平である。
プレイボーイ的なイイメージの男性が1人の女性の魅力に翻弄され、なんだかとても余裕をなくしているような感じが、ポップでキャッチーなサウンドにのせて歌われている。
「オールナイトニッポン」火曜2部(1部は所ジョージ)で郷ひろみや筒美京平の素晴らしさをわれわれに教えてくれた近田春夫も、1978年のとても良いアルバム「電撃的東京」でカバーしている。
ファンタジー/岩崎宏美(1976)
岩崎宏美の4枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。作詞は阿久悠、作曲・編曲は筒美京平である。
ディスコミュージックの要素を歌謡曲に取り入れた、いわゆるディスコ歌謡的な楽曲である。アルバム「ファンタジー」もオリコン週間アルバムランキングで最高2位とヒットしたが、これには糸居五郎のDJが収録されていたりもした。
個人的にはとても良い曲だなと生まれて初めてかなり深いレベルで感じた曲として、ひじょうに強く印象に残っている。いま聴いてみても、個人的な音楽の趣味嗜好のエッセンスの一部がかなりこの曲に凝縮されているように思えたりもする。
小学3年が終わりかけた頃、苫前町の小さな本屋で本を見ていた時に、店内で流れていたこの曲に少しずつ心を奪われ、気がつくとそれまでに感じたことがなかった種類の切ない気分になっていたことが思い出される。あれ以来、ずっと大好きな曲である。
個人的に初めて買ってもらった歌謡曲のレコードは細川たかし「心のこり」で、「私バカよね おバカさんよね」という歌詞などが面白くて気に入っていたのだが、その年の年末までには「ロマンス」「センチメンタル」などがとても気に入っていたこともあって、「第17回日本レコード大賞」などの最優秀新人賞争いでは細川たかしよりも岩崎宏美の方を応援していた。
「ファンタジー」の歌詞には「地下鉄の出口でふと心に感じたあなたのまなざしを 立ちどまり私もただあなたを見つめてた」というフレーズがあるのだが、当時、苫前町の小学生だったので、「地下鉄」というものを見たこともなければ、一体どのようなものなのか想像することさえできなかった。それもあって、この曲そのものが当時は遥か遠い存在であった都会の情景を描写したファンタジーでもあったのだ。
春一番/キャンディーズ(1976)
キャンディーズの9枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。作詞・作曲・編曲すべて穂口雄右によるものである。
元々はアルバム「年下の男の子」収録曲であったが、シングルカットにあたってブラスが付け加えられている。
「もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか」という歌詞に、この曲が放つメッセージが凝縮されているように思える。
個人的にはっぴいえんどの音楽を後追いで知るのはこれよりもかなり後のことであり、「です・ます」調の歌詞といえば、キャンディーズの印象がひじょうに強い。
青春の坂道/岡田奈々(1976)
岡田奈々の4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高23位を記録した。作詞は雑誌「明星」に応募して入選した中司愛子の歌詞を原案にした松本隆で、作曲は森田公一である。70年代アイドルポップスファンの一部からひじょうに評価が高いNAVレコードからのリリースである。
「淋しくなると訪ねる坂道の古本屋 立ち読みをする君に逢える気がして」などと歌われもした文学性のようなものには、この真っ直ぐ気味なボーカルこそが相応しかったような気がする。
出演していた中村雅俊主演のテレビドラマ「俺たちの旅」のとある回ではこの曲が効果的にフィーチャーされていて、個人的に実際に視聴したのはリアルタイムでなかったものの、致死量レベルで切なくてとても良かった。その回のサブタイトルは「少女はせつなく恋を知るのです」で、とにかくそういう曲だということである。
夢で逢えたら/吉田美奈子(1976)
大瀧詠一が作詞・作曲をした楽曲で、いまや日本のポピュラー音楽を代表するスタンダードナンバーとしても知られ、カバーバージョンだけで4枚組CD-BOX(86曲収録!)が組めてしまうというかなり異常なことになっている。
とはいえ、その最初期のバージョンといえば吉田美奈子のアルバム「FLAPPER」に収録され、シングルカットもされなかったこれと、シリア・ポールのバージョンだといわれる。
「夢でもし逢えたら素敵なことね」というようなことがエバーグリーン気味なポップでキャッチーなメロディーにのせて歌われている。ポップミュージックというのはおそらくここではないどこかというか、やや夢見心地な境地にリスナーの感覚を連れていってくれるところにも価値があると思え、そういった意味でもこの曲は最強であり、おそらく吉田美奈子のバージョンがほぼディフィニティブであろう。
セクシー・バス・ストップ/浅野ゆう子(1976)
浅野ゆう子の8枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。
作詞は橋本淳で、作曲のJack Diamondの正体は筒美京平であった。当時の洋楽ポップスにおけるトレンドであったディスコミュージックを歌謡曲に取り入れたディスコ歌謡的な楽曲ではあるのだが、明らかに独特なものはつくり上げていて、より正当に評価されるべきなのではないだろうか、と感じたりもする。
筒美京平自身によるユニット、オリエンタル・エクスプレスが実はそれ以前にリリースしていて、オリコン週間シングルランキングでも最高25位とわりと好評であった。
浅野ゆう子は当時の日本のアイドルにしてはスタイルが良すぎたことなどもあり、いまひとつ大きくブレイクしていなく、やや大人になってからは男性週刊誌などにフォトジェニックな水着グラビアなどで登場しがちだったのだが、バブル景気真っ盛りの1980年代後半以降、いわゆるトレンディー女優として、浅野温子とのW浅野で大いに注目をあつめた。
横須賀ストーリー/山口百恵(1976)
山口百恵の13枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。作詞の阿木燿子、作曲の宇崎竜童が山口百恵に提供した最初のシングル曲である。
「これっきり これっきり もう これっきりですか」というフレーズがあまりにもキャッチーで大いに受けたことに加え、男性に従順なだけではなく、ある程度は意志的な女性像というものをイメージとして広めたのではないかともいわれる。
地方在住者にとってはそれほど有名ではなかったかもしれない横須賀という地名を、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などと共に、ある程度、広めたのではないかというような気もする。
この曲を含む当時のヒット曲をメドレー化したマイナー・チューニング・バンド「ソウルこれっきりですか」なる楽曲が、オリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録していたことも思い出される。