The 500 Greatest Songs of All Time : 160-151

160. Losing My Edge – LCD Soundsyatem (2002)

LCDサウンドシステムのデビュー・シングルで、全英シングル・チャートで最高115位を記録した。

キリング・ジョーク「チェンジ」によく似たリズムが用いられ、歌詞にはカン、スーサイド、キャプテン・ビーフハート、ダフト・パンク、ビーチ・ボーイズといったアーティストの名前も登場する。

ジェームス・マーフィーがポスト・パンクの曲をかけるクールなDJとして一時的に注目されるが、やがて他のDJたちもそれを真似することによって、クールではなくなっていったという実体験を元に、トレンドの移り変わりの速さなどについて語られていく。

ポスト・パンク的なダンス・ミュージックということで、ダンス・パンクとかディスコ・パンクなどと呼ばれることもあった。

159. Niggas in Paris – Jay-Z & Kanye West (2011)

ジェイ・Zとカニエ・ウェストのアルバム「ウォッチ・ザ・スローン」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高5位、全英シングル・チャートで最高10位を記録した。

大スターであるジェイ・Zとカニエ・ウェストがいかにたくさん稼いでいて、いろいろやりまくっているかということについて、事実に基づいて語られる楽曲である。タイトルにもあるように、実際にパリでレコーディングされている。

ヒット・ボーイによる印象的なビートは、プシャ・Tに提供しようとしたものの却下されていたという。映画「俺たちフィギュアスケーター」におけるウィル・ファレルのセリフがサンプリングされてもいる。

158. Only Shallow – My Bloody Valentine (1991)

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのアルバム「ラヴレス」の1曲目に収録され、アメリカではプロモーション用のシングルも制作された。モダン・ロック・トラックス・チャートで最高27位を記録した。

予定していた以上に時間と費用が莫大にかかり、クリエイション・レコーズを倒産させかけたともいわれるアルバムだけあって、サウンドは実にユニークであり、このバンドにしか出せない革新性とポップ感覚に溢れている。

轟音ギターと耽美的なボーカルという特徴はこの曲でも発揮されていて、歴史的名盤のオープニングを飾るにぐさわしい楽曲となっている。

当時、イギリスの一部のインディー・ロックバンドが演奏する際に俯いた状態でギターを弾き、オーディエンスの方を向いていない傾向があったことから、まるで自分がはいている靴を凝視しているようだという意味でシューゲイザーなどと呼ばれたりもする。当時はその自己陶酔的にも見えがちな様子を揶揄するニュアンスで用いられたように思えるが、後にある種のインディー・ロックを指すサブジャンル名としてすっかり定着することになる。

157. I Am the Walrus – The Beatles (1967)

ビートルズのシングル「ハロー・グッバイ」のB面とEP「マジカル・ミステリー・ツアー」に収録された。作詞作曲はレノン=マッカートニー名義だが、実際にはジョン・レノンによって書かれた楽曲である。

サイケデリックでシュールレアリスティックな歌詞はルイス・キャロルやボブ・ディランなどの影響を受けていて、タイトルに入っている「ウォラス」はルイス・キャロル「鏡の国のアリス」の「セイウチと大工」に由来している。

ジョン・レノンが気に入っていたというプロコル・ハルム「青い影」や、1966年のビートルズ来日時にレコードを聴いた可能性がある日本民謡「斎太郎節」からの影響が指摘されることもある。

オアシスがライブでカバーしていて、1994年のシングル「シガレッツ・アンド・アルコール」のB面にはライブ・バージョンが収録されていた。その効果もあってか、A面の曲はすでにアルバムに収録され、売れまくっていたにもかかわらず、オアシスにとっては当時における全英シングル・チャートでの最高位を更新する7位を記録した。

156. Creep – Radiohead (1992)

レディオヘッドのデビュー・シングルでリリース当時はヒットしなかったが、翌年に全英シングル・チャートで最高7位、全米シングル・チャートで最高34位を記録した。とはいえ、これがレディオヘッドにとって最初のリリースだったわけではなく、この約4ヶ月前にEP「ドリル」でデビューしていた。

リリース当時、ヒットはしていなかったものの、「NME」で年間シングル・チャートの4位に選ばれるなど一部ではすでに注目されていて、個人的にも西新宿のラフ・トレード・ショップ12インチ・シングルを買っていた。好きな女性がいるのだが、自分には高嶺の花すぎるといういかにもインディー・ロック的な自己憐憫と自虐がベースとなっていて、ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」、ベック「ルーザー」などの感覚に共通するところもある。

イスラエルでヒットしたりアメリカのカレッジ・ラジオで火がついたりした後で、イギリスでもヒットしたのだが、その頃にはスウェードが大ブレイクしていたりして、イギリスのインディー・ロックが盛り上がりかけている気分はなんとなくあった。

レディオヘッドがブレイクしたきっかけはこの曲のヒットだが、音楽性を進化させバンドの存在そのものが大きくなっていくにつれ、この曲はライブでたまにしか演奏されなくなっていった。

ホリーズ「安らぎの世界へ」に似ていることが指摘され、作詞のアルバート・ハモンド、マイケル・ヘイゼルウッドもクレジットに加えられた。

155. Losing My Religion – R.E.M. (1991)

R.E.M.のアルバム「アウト・オブ・タイム」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高4位のヒットを記録した。

ジョージア州アセンズ出身にオルタナティヴ・ロック・バンド、R.E.M.は1983年のデビュー・アルバム「マーマー」がマイケル・ジャクソン「スリラー」を抑えて「ローリング・ストーン」誌の年間ベスト・アルバムに選ばれたことが話題になり、カレッジ・ラジオで大人気だったが、その後、少しずつ支持を広げていき、この頃にはすっかりメインストリームでも大人気のバンドとして認識されていた。

マンドリンの演奏が印象的なこの曲は報われない愛のようなものをテーマにしていて、タイトルや歌詞に単語としては入っているものの、宗教とはそれほど関係がないようである。

全英シングル・チャートでは最高19位だったが、同じアルバムからノベルティ・ソング的でB-52’sのケイト・ピアソンがゲスト参加した「シャイニー・ハッピー・ピープル」が最高6位を記録していた。

154. Green Onions – Booker T. & MG’s (1962)

ブッカー・T &MG’sがシングル「ブレイヴ・ユアセルフ」のB面としてリリースした後に、AB面を入れ替えて再発し、全米シングル・チャートで最高3位を記録した。

スタックス・レコードのハウス・バンドとしてオーティス・レディングやウィルソン・ピケットをはじめ、多くのアーティストのレコーディングに参加し、メンフィス・ソウルのサウンドを定着させたメンバーたちは、その合間に自分たちに楽曲をも録音していた。そのうちの1つがこの曲であり、ハモンドオルガンが印象的なインストゥルメンタル曲となっている。

イギリスではクラブなどでは人気があったようだが、リリース当時にはヒットしていなく、1979年の映画「さらば青春の光」で使われた翌年、全英シングル・チャートで最高7位のヒットを記録している。

153. Loser – Beck (1993)

ベックのメジャー・デビュー・アルバム「メロウ・ゴールド」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高10位を記録した。

ラップとフォークやカントリーをかけ合わせたようなユニークな音楽性はもちろんなのだが、オレは負け犬なのだから殺してくれないか、というような自暴自棄的なフレーズが当時のジェネレーションXというかスラッカー・ジェネレーション的な感覚ともマッチしていたように思える。

当初はインディー・レーベルで500枚しかプレスされていなかったが、カレッジ・ラジオを中心に評判となり、メジャーレーベルとの契約後に再リリースされた。

152. Subterranean Homesick Blues – Bob Dylan (1965)

ボブ・ディランのアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高39位を記録した。これがボブ・ディランにとって初の全米トップ40ヒットである。全英シングル・チャートでは最高9位を記録し、「時代は変る」に続く2曲目のトップ10ヒットとなっている。

ジャック・ケルアックやウディ・ガスリー、チャック・ベリーなどから影響を受けていて、当時のカウンター・カルチャー的な気分を背景とした歌詞やボーカル・パフォーマンスには、後のラップに通じるものも感じさせる。

また、フリップに書かれた歌詞のフレーズを次々とめくっていく映像は、ミュージック・ビデオのごく初期を代表する作品としても知られる。

151. Higher Than the Sun – Primal Scream (1991)

プライマル・スクリームのアルバム「スクリーマデリカ」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高40位を記録した。

かつてはインディー・ポップ的な音楽をやっていたプライマル・スクリームがダンス・ミュージックの要素を取り入れ、話題になったのだが、この曲ではさらにアンビエント・ハウスのジ・オーブとコラボレートすることによって、またしても新境地を切り拓いている。

ヒットするにはあまりにも実験的すぎたせいか、全英シングル・チャートでの順位はそれほど高くはなかったのだが、「NME」の年間ベスト・シングルでは1位に選ばれていた。