邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1951-1958

ミネソタの卵売り/暁テル子 (1951)

「ココココ コケッコ」というニワトリの鳴き声を模したと思われるフレーズも印象的な軽快で楽し気なこの楽曲は、1951年の日本津村謙「上海帰りのリル」に次ぐ2番目の売り上げを記録したともいわれている。つまり大ヒットである。

「リオのポポ売り」「チロルのミルク売り」に次ぐ、物売りシリーズ第3弾だったようだ。暁テル子の夫が日系アメリカ人だったことから、アメリカのミネソタというちめいがタイトルや歌詞に入ったということだが、ニワトリは「ココココ コケッコ」と日本的に鳴いているところもとても良い。

1970年代にハウス食品の袋入りインスタントラーメン、たまごめんのテレビCMにこの曲の替え歌が使用されていたのだが、それで初めてこの曲を知った世代の人たちも少なくはないと思われる。「私はハウスのたまごめん お味はケッコー 37円 なおケッコー」というような歌詞だった記憶がある。

バイヨン踊り/生田恵子 (1951)

生田恵子の「バイヨン踊り」は1952年に日本でレコーディングされたバージョンがおそらくヒットしたのではないかと思うのだが、ここで取り上げるのはその前年にブラジルでレコーディングされたバージョンである。

バイヨンというブラジル音楽を取り入れた楽曲であり、ブラジル録音バージョンの方が躍動感が圧倒的である。生田恵子はこれ以降、「東京ティティナ」などいくつかの楽曲をヒットさせ、それらもとても良いのだが、やはりこのブラジル録音の「バイヨン踊り」こそが至高なのではないかと思われるのである。

テネシー・ワルツ/江利チエミ (1952)

江利チエミは家計を支えるために12歳の頃からアメリカ進駐軍キャンプなどで歌いはじめ、とても人気があったのだという。パティ・ペイジの歌でヒットした「テネシー・ワルツ」のレコードは進駐軍の兵士からプレゼントされ、それは江利チエミにとってとても大切な楽曲になった。

レコード会社のオーディションには落ち続けていたのだが、ついにキングレコードとの契約が実現し、「テネシー・ワルツ」でデビューすることになった。英語と日本語の歌詞が混ざり合っているところも特徴であり、時代を先取っていたようにも思えなくはない。

江利チエミは後に俳優の高倉健と結婚をするが、親戚の横領事件などが原因で離婚することになる。それでも2人は心の中では生涯愛し合っていたともいわれ、1999年の映画「鉄道員」には主演した高倉健の希望で「テネシー・ワルツ」がフィーチャーされていたりもした。

リンゴ追分/美空ひばり (1952)

後のTBSラジオにあたるラジオ東京の開局記念に放送されたラジオドラマ「リンゴ園の少女」の主題歌シングルB面に収録され、挿入歌として使用されていたのが「リンゴ追分」だったのだが、こちらの方がより親しまれるようになった。望郷的な気分と物悲しさに加え、独特なリズムが味わい深くもある。

その人気は日本国内だけにとどまらず、ジャマイカのスカバンド、スカタライツにカバーされていたことも音楽ファンの間では特に話題になった。

お祭りマンボ/美空ひばり (1952)

タイトルが「お祭りマンボ」であるように、マンボのリズムが取り入れられているのだが、それでいてテーマは江戸っ子のお祭り気分というところがとても良い。

歌詞に出てくる「ピーヒャラピーヒャラ」というのが笛の類いをあらわしているのだろうということは想像できるのだが、「テンツクテンツク」というのがよく分からず、調べてみたところどうやら太鼓の音をあらわしているらしい。

ハイテンションなお祭り感覚が実に好ましいのだが、実はその間におじさんは家を焼かれ、おばさんはヘソクリを盗られるという災難に遭っていて、「いくら泣いてもあとの祭りよ」というオチが付いている。

ロック・アラウンド・ザ・クロック/江利チエミ (1955)

ビル・ヘイリーと彼のコメッツによって大ヒットした、ロックンロール黎明期を代表する楽曲の日本語カバーで、1955年11月にリリースされていた。

この曲は映画「暴力教室」で使われたことによって大ヒットしたともいわれているのだが、日本でも公開されて話題になっていたようである。同時期にダーク・ダックスも日本語カバーバージョンをリリースしていた。

江利チエミのボーカルはアメリカ進駐軍のキャンプで歌い、人気を得ていただけあって、迫力があってとても良い。

ハートブレイク・ホテル/小坂一也とワゴン・マスターズ (1956)

ロックンロールが誕生し、エルヴィス・プレスリーが圧倒的な人気を得るのだが、日本でその楽曲をいち早くカバーしたのが小坂一也である。

ワゴン・マスターズを率い、カントリー音楽のアイドル的な存在だったのだが、この時期以降はエルヴィス・プレスリーの楽曲をいろいろ取り上げるようになっていく。「NHK紅白歌合戦」にも選出され、「ハートブレイク・ホテル」を歌った年もある。

バナナ・ボート/浜村美智子 (1957)

ハリー・ベラフォンテのバージョンで有名な楽曲の日本語カバーで、リズム歌謡の1つとしても知られる。

バナナの荷揚げのことが歌われていたりもして、ワークソング的な側面もある。モデルとして活動していた浜村美智子のバージョンは、同時期にリリースされていた江利チエミや旗照夫のものよりもよく売れていたようである。

その後、実はカリプソはそれほど好みではないというようなことをインタヴューで言うなど、傍若無人気味なキャラクターが明らかになり、賛否両論があったようなのだが、このキャラクターこそが寧ろヒットの要因の1つなのではないかというような意見も出ているようである。

嵐を呼ぶ男/石原裕次郎 (1958)

石原裕次郎の主演映画「嵐を呼ぶ男」の主題歌で、大ヒットを記録した。

「俺らはドラマー やくざなドラマー 俺らがおこれば嵐を呼ぶぜ」という歌い出しからしてすでにすさまじいのだが、「この野郎、かかって来い!」からはじまるセリフ部分もまたとても良い。

映画は1966年に渡哲也、1983年に近藤真彦のカバーによってリバイバルしたりもしている。

ダイアナ/山下敬二郎 (1958)

ポール・アンカ「ダイアナ」のカバーバージョンで、ロカビリーブームを代表する1曲である。

サックスも最高だということはさておき、ミッキー・カーチス、山下敬一郎と共にロカビリー三人男と呼ばれるようになったりもする。

フジヤマ・ママ/雪村いづみ (1958)

ワンダ・ジャクソンのヒットで知られる楽曲の日本語カバーである。タイトルに入っている「フジヤマ」とは日本一の山こと冨士山のことである。

ロカビリー的なサウンドに乗せて歌われるボーカルにはとにかく迫力があり、パンチが効いていてとても良い。