邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1977, Part.4
THE TOKYO TASTE/ラジ(1977)
ラジのソロアーティストとしてのデビューアルバム「HEART to HEART」、シングル「COOL DOWN」のB面に収録された南佳孝とのデュエット曲で、作詞は高橋ユキヒロ・クリス・モズデル、作曲は高橋ユキヒロ・後藤次利である。
ムーンライダーズの妹分的なガールズグループ、ポニーテールを脱退した後のソロデビューであり、解散したサディスティック・ミカ・バンドの一部元メンバーたちによって結成されたサディスティックスのアルバムにも別バージョンが収録されている。作詞・作曲にかかわった高橋ユキヒロ、後藤次利もサディスティックスのメンバーであった。
タイトルがあらわしているように東京をテーマにしたシティポップ的な楽曲であり、「飛びかう騒めき すり抜けネオン 繰り返すいつもの夜」と表層的な感じがとても良い。
冬の稲妻/アリス(1977)
アリスの11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。
谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の3人組で、ニューミュージックのバンドだが「ザ・ベストテン」などのテレビにも出演し、ビジュアルイメージも含め、大衆的な人気を得た。
当時、「オールナイトニッポン」を聴いていると、「あなたは稲妻のように」とこの曲の歌いだしからはじまるモーリスギターのCMが流れることがあり、「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」言われていたことが思い出される。
谷村新司はラジオパーソナリティーとしてもひじょうに人気が高く、文化放送で放送されていた「セイ!ヤング」「ペパーミントストリート 青春大通り」の「天才・秀才・ばか」のコーナーはKKベストセラーズの「ワニの豆本」から何冊も本が出ていた。
てぃーんずぶるーす/原田真二(1977)
原田真二のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高6位を記録した。作詞は松本隆で作曲が原田真二である。
当時、かなり鳴り物入りでデビューした印象があり、この後、「キャンディ」「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングルをリリースしたことも話題になった。アイドル的な人気も高く、世良公則、Charと共にロック御三家などともいわれていたが、音楽性もひじょうに高く評価されていた。
甘いルックスと歌声、洗練されたメロディーに、若者の苦悩のようなものをテーマにした松本隆の歌詞も絶妙にマッチして、新感覚の日本のポップスを感じさせるものがあった。
迷い道/渡辺真知子(1977)
渡辺真知子のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。作詞・作曲は渡辺真知子自身である。
ニューミュージックブームであった当時、自らがつくった曲を歌う人たちのことをシンガーソングライターと呼ぶことなどが、地方の小学生でも知っているレベルにまで広がっていっていた。
そして、職業作家が書いた曲を歌う歌謡曲の歌手よりも、自分で曲もつくっているニューミュージックの人たちの方がなんとなくすごいのではないか、という気分のようなものがあったりもしたのだが、実際には職業作家が提供した楽曲を歌っているニューミュージックのアーティストも結構いたし、そういう序列の付け方は完全に間違っている。
とはいえ、ニューミュージックはとてもよく売れていたし、それもあって歌謡曲の新人がなかなかブレイクできないような状況があった。一方、ニューミュージックの新しいアーティストは次々と登場し、ヒットチャートも賑わせていた。
この翌年の大晦日、「第29回NHK紅白歌合戦」には庄野真代、ツイスト(世良公則&ツイストから改名)、サーカス、さとう宗幸、渡辺真知子、原田真二といったミューミュージック系のアーティストたちが初出場し、続けて歌うというニューミュージックコーナーのような時間帯もあった。
この曲は「現在・過去・未来」からはじまる歌詞にもインパクトがあり、「まるで悲劇じゃないの」というところについては、西城秀樹と斉藤こず恵が一緒にやっていた番組(文化放送「ヒデキとこず恵の楽しいデート」)でこの曲をかけるにあたり、「悲劇」だったか「喜劇」だったかという話になり、斉藤こず恵が「ヒデキじゃない?」といっていたことをなぜかずっと覚えている。
しあわせ芝居/桜田淳子(1977)
桜田淳子の21枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。「第20回日本レコード大賞」では金賞と作詞において西條八十賞を受賞している。作詞・作曲は中島みゆきである。
「ザ・ベストテン」の第1回では3位で、4位の「わかれうた」と共に、中島みゆき作品が2曲続けてランクインしていた。
中島みゆき自身の楽曲と同様に、それほどキラキラばかりしているわけではない女性の恋愛におけるマイルドな不幸を絶妙なポップ感覚で表現しているのが特徴であり、桜田淳子のポップシンガーとしての新境地を開拓しているようにも思える。
ハイサイおじさん/喜納昌吉&チャンプルーズ(1977)
喜納昌吉&チャンプルーズの代表曲であり、1969年に最初のバージョンが沖縄でヒットした後に、メジャーデビューアルバムに収録され、シングルとしてもリリースされた。
「ハイサイ」は沖縄の言葉で「こんにちは」のことであり、この曲の「おじさん」には実在のモデルが存在するということである。
沖縄のポップスというのが当時としてはひじょうに新鮮であり、しかもこの軽快でキャッチーな感じがまたとても良い。
志村けんがコントでよく歌っていた「変なおじさん」の歌のメロディーは、この曲がオリジナルである。
貿易風にさらされて/マザー・グース(1977)
マザー・グースの4枚目にして最後のシングルで、作詞・作曲はメンバーによるものだが、プロデュースを山下達郎が手がけている。
金沢出身の3人組で、美しいコーラスがとても魅力的なグループだったが、それほど売れることもなく、1978年に解散した。しかし、2010年代以降のシティポップブームで再評価され、特に「シュワッとはじけて踊りだす」というフレーズも印象的なこの曲は7インチシングルが何度か再発されたりもしている。
わな/キャンディーズ(1977)
キャンディーズの16枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。作詞は後にプラスチックスにも参加する島武実、作曲・編曲は穂口雄右である。
解散を翌年に控えたキャンディーズがさらなる大人のポップスに挑んだ楽曲で、前作までのランにかわってミキがメインボーカルを歌っている。
「でも あいつはしくじった (fall in you)」のところだけでもひじょうに聴きごたえがあり、スリリングなのだが、全体的に大人のアイドルポップスの究極型とでもいうべきクオリティーの高さに改めて驚かされたりもする。
UFO/ピンク・レディー(1977)
ピンク・レディーの6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで10週連続1位、「第20回日本レコード大賞」では大賞を受賞した。「ザ・ベストテン」の第1回でもこの曲が1位であった。作詞は阿久悠で、作曲・編曲は都倉俊一である。
宇宙をイメージしたであろう銀ピカの衣装を着て、頭の上で「UFO」とやる振り付けも当時の日本で生活していた人たちならば、世代を問わず印象に残っているのではないだろうか。国民的ともいえる人気はこの頃がピークだったかもしれない。個人的にも冬休みに親戚の家に遊びにいった時に、留萌のヨシザキというレコード店でこの曲のシングルを買ってもらった記憶がある。
映画「スター・ウォーズ」はアメリカなどではすでに公開されていて、日本でも話題にはなっていたものの、実際に公開されたのはこの翌年であった。とはいえ、宇宙やSF的なものへの関心が高まりつつあったような印象はなんとなくある。そこで「近頃少し 地球の男にあきたところよ」である。
日清焼そばU.F.O.のテレビCMにもピンク・レディーが出演したため、「UFO」の大ヒットにあやかった商品名だったのではないかとずっと勘違いしていたのだが、日清焼そばU.F.O.の発売はピンク・レディー「UFO」よりも1年早い1976年である。パッケージがUFOのように円形であることも関係しているようには思えるのだが、U.F.O.は「うまい、太い、大きい」を略したものだという。