邦楽ロック&ポップス名曲1001: Preface

Preface

日本のポピュラー音楽としてこれまでに発表されてきた楽曲の中から、これは特に重要なのではないかと思えたり、とても良いのではないかと感じられる1001曲をセレクトし、ほぼ年代順に並べていこうというのがこの特集のコンセプトである。

このような企画は日本のポピュラー音楽に精通したプロの方々によるアンケートや投票のようなものに基づいて行われがちな印象もあるのだが、例によってライトでカジュアルなポピュラー音楽ファンに過ぎない一般人1名のみによって行われるものである。

主観と客観をトムとジェリーのように仲よくけんかさせたつもりではあるのだが、やはり個人的な趣味や嗜好、思い出補正のようなものが絶妙に反映しているであろうことは明白である。それでもこれは一度ちゃんとやっておかなければいけないのではないか、と思ってやってみるわけだが、今後、楽曲の入れ替えや内容の補足、訂正などが入る可能性もじゅうぶんに考えられる。

実は数ヶ月前に「邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500」というのをやってみて、あの時点では当時における個人的な究極ではあったのだが、主観と客観とでは主観に寄り過ぎているのではないかとか、個人的な日常における日本のポピュラー音楽の影響力が俄然強め(©亀井絵里 ex モーニング娘。)だったり、21世紀以降の楽曲が少なすぎたりという反省があり、それらをふまえた上でのアップデート版のようなものをできれば5年後ぐらいまでにやれたら良いな、というような思いはあった。

それでいろいろライトでカジュアルなポピュラー音楽ファンに過ぎない一般人なりにリスナー活動をマイルドにやってはいたのだが、その当面の結論として、ランキングではなく年表的なそれとしてまずはこれをやっておこうという気分にはなったわけである。

それでとりあえずはやっていくわけだが、それにあたってまずはそのライトでカジュアルなポピュラー音楽ファンに過ぎない一般人というのが日本のポピュラー音楽とどのような感じで関わってきたのかということについては適当にふれておくと同時に、客観性を一切考慮しない主観的に最も大好きな日本のポピュラー音楽の楽曲というのをまずは発表してはおきたい。

いわゆるベビーブーマーと呼ばれているよりも少しだけ後に生まれて、ビーチ・ボーイズでいうとアルバム「ペット・サウンズ」とシングル「グッド・バイブレーション」の間だったようである。北海道の片田舎であり、家にはステレオとオープンリールのテープレコーダーのようなものがあり、ある時期にカセットレコーダーが導入された。

親が購入したと思われるジャズのレコードや山岳ソングのようなもののソノシートなどの他に、流行歌のレコードとしてはカルメン・マキ「時には母のない子のように」、新谷のり子「フランシーヌの場合」、ヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」などのシングル盤が家にあって、面白がってよく再生していたような記憶がある。モンキーズの4曲入りEPもあったのだが、あれは叔母が買ったものだったらしい。

大ヒットした皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」やアニメ(当時は「テレビまんが」と呼ばれていた)、特撮主題歌のレコードは買ってもらっていた。初めて買ってもらった大人の歌のレコードは細川たかし「心のこり」のシングルで、「私バカよね おバカさんよね」という歌詞が面白かったからである。その年の新人賞を細川たかしと争った岩崎宏美の3枚目のシングル曲「ファンタジー」が書店で流れているのを聴き、この曲すごく良いなと生まれて初めてぐらいの強度で感じた。

小学校高学年で当時の感覚では超大都会であった旭川に引っ越し、招待されたクラスメイトの家でさだまさし「雨やどり」などを聴く。ピンク・レディーが大人気であり、冬休みに留萌の親戚の家に遊びに行った時に、ヨシザキというレコード店で叔母に「UFO」のシングル盤を買ってもらった。

それから普通に流行歌をカジュアルに好きになるのだが、中学生の頃にYMOことイエロー・マジック・オーケストラのテクノポップが社会現象的に盛り上がり、友人がレコードを持っていたので個人的にはテクノ御三家の1つ、プラスチックスを推していた。

田原俊彦、松田聖子のデビュー以降、アイドルポップスが盛り上がり、山下達郎「RIDE ON TIME」のヒットによって現在でいうところのシティ・ポップ的なサウンドも次第にお茶の間化していく。翌年には大滝詠一「A LONG VACATION」が大ヒット、個人的には佐野元春にハマりまくり、同じぐらいのタイミングで洋楽も聴きはじめる。初めて買った洋楽のシングルがポール・マッカートニー「カミング・アップ」、アルバムがすでに旧譜ではあったがビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」であった。

それから「ロッキング・オン」「ミュージック・マガジン」「宝島」「ビックリハウス」を愛読し、「よい子の歌謡曲」に投稿し、東京に憧れるタイプのマイルドにサブカル志向な地方在住男子高校生として生活(ハイライトは高校2年の夏休みに札幌で体験したRCサクセションとサザンオールスターズの野外対バンライブこと「Super Jam ’83」である)をした後に卒業後に上京(斉藤由貴、菊池桃子、尾崎豊らが「卒業」というタイトルのそれぞれ別の曲をリリース)、プロ野球では阪神タイガースが優勝し、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像が道頓堀川に投げ入れられたりしていた。

大学入学後は通学の利便性から小田急相模原に住んでいたが、ソニー系の日本のロックが盛り上がりはじめ、そのメインストリームから絶妙にズラした「ロッキング・オンJAPAN」が創刊され、個人的には大学やアルバイトやその他のことでいろいろ忙しくなったりもしたので、日本のヒットチャートとはやや疎遠になりはじめる。おニャン子クラブが大人気だったのだが、大学のオリエンテーションから帰ってきた後すぐに知ることになったとある事件にショックを受けすぎて、アイドルとは意識的に距離を置くようにもなった。

1980年代後半には一時期、岡村靖幸とエレファントカシマシばかり聴きまくる時期を経て、実は自分でも音楽をつくったりもしていたのだが、1990年にフリッパーズ・ギターのアルバム「カメラ・トーク」に衝撃を受けすぎてきっぱりとあきらめる。それから高校の修学旅行で初めて訪れて以来の聖地であった六本木WAVEで少しだけ働かせていただいたり、「渋谷系」的な感覚がなんとなく好きかもしれないと思ったりはしながらも、基本的には洋楽中心のリスナー生活であり、日本のポピュラー音楽については、ごく一部の大好きなアーティスト達を除いてはコンビニエンスストアやレンタルビデオショップの店内で耳にする程度になった。

その後、普通の会社員として働いていたりもしたのだが、1990年代後半から日本のヒットチャートを把握していなければいけない業種に就いたりもしたため、オリコン週間シングルランキングを読み込んだり「COUNT DOWN TV」を視聴し続けたりということを業務として行うようになる。

それからはまあ惰性や蛇足のようなものでもあったりはするのだが、ポピュラー音楽はずっと楽しいし、日常生活においてとても重要なものではあるわけで、こういうことをやるに至っている。

ということは必然的に80年代あたりが濃いめになって、特に21世紀以降については薄くなりがちなのではないかということは想像に難くなく、実際そうなっているに違いない。個人的な記憶としてはやはり10~20代の頃にリアルタイムで聴いていたものの方が印象が強いのだが、だからといって最近の日本のポピュラー音楽をそれほど良いと思わないかというとそんなことはまったくて、寧ろ確実に進化しているのではないかと感じたりもするのである。

とはいえ、ポピュラー音楽というのは基本的に若者のためのものである方が健全なのではないかというような思いはあるのと、やはり最近の日本のポピュラー音楽のいくつかを良いと感じたとしても、リアルタイムの10~20代あたりが感じる強度には到底かなわないだろうし、自分自身がそれぐらいの年代だった頃に大人達に対してもそう感じていた。

それらをふまえてのきわめて個人的なのだが、客観性も意識した特集だということである。

それで、次回からその1001曲を少しずつゆっくりと発表していくわけだが、まずは個人的にこれまでに発表されてきた日本のポピュラー音楽の楽曲で最も大好きな1曲は発表しておきたい。

それは、WHY@DOLLの「ラブ・ストーリーは週末に」である。

WHY@DOLLは「ホワイドール」と読み、かつて活動していた2人組ガールズユニットである。音楽的にはアイドルポップスに分類されると思うのだが、シティポップやディスコミュージックからの影響が感じられたりもする。

この楽曲は2017年2月28日にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高43位を記録したシングル「キミはSteady」のカップリング曲である。

キュートなボーカルとシティポップ的なサウンドとのバランスが絶妙であり、特にイントロのサックスなどがやり過ぎではないかと感じられるほどなのだが、それもまたとても良い。

タイトルはテレビドラマ「東京ラブストーリー」のオープニングテーマ曲として1991年に大ヒットした小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」を思い起こさせるのだが、あのトレンディー感覚にまつわる憧れのようなものを現在的に再構築したかのような快楽を享受することができた。

というわけで、次回から少しずつ地道にやっていきたい。