ホイットニー・ヒューストン「すべてをあなたに」【CLASSIC SONGS】

1985年10月26日の全米シングル・チャートでは、ホイットニー・ヒューストン「すべてをあなたに」がa-ha「テイク・オン・ミー」を抜いて初の1位に輝いていた。2位はスティーヴィー・ワンダー「パートタイム・ラバー」である。ホイットニー・ヒューストンのアメリカでのデビュー・シングル「そよ風の贈りもの」は1985年7月27日付の全米シングル・チャートで最高3位(上位2曲はポール・ヤング「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」、ティアーズ・フォー・フィアーズ「シャウト」であった)を記録したが、次のシングルにあたる「すべてをあなたに」以降、「恋は手さぐり」「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」「すてきなSomebody」「恋のアドバイス」「やさしくエモーション」「ブロークン・ハート」と7曲連続で1位に輝き、もちろんビッグスターの仲間入りを果たした。

ホイットニー・ヒューストンは1963年8月9日、アメリカはニュージャージー州ニューアークで生まれた。母親はエルヴィス・プレスリーやアレサ・フランクリンのライブでバックコーラスを務めたりもしたスウィート・インスピレーションズのリードボーカリスト、シシー・ヒューストンである。幼い頃から音楽に親しみ、聖歌隊で歌ったりもしていた。1983年にクラブで母親とパフォーマンスをしていたところが、アリスタ・レコードの社長、クライヴ・デイヴィスの目に留まり、ソロアーティストとしてデビューすることになった。

ソングライターのマイケル・マッサーはホイットニー・ヒューストンがまだデビュー前で無名だった頃に、「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」を歌っているところを見て感銘を受けた。この曲はマイケル・マッサーが作曲し、1977年にジョージ・ベンソンがヒットさせていた。そして、テディ・ペンダーグラスのアルバム「愛の贈りもの」をプロデュースした際に、収録曲でシングルカットもされた「ホールド・ミー」でのデュエット相手にまだ無名であったホイットニー・ヒューストンを指名した。そして、ホイットニー・ヒューストンのデビューアルバム「そよ風の贈りもの」の制作が決まると、ナラダ・マイケル・ウォルデン、ジャーメイン・ジャクソン、カシーフなどと共に、マイケル・マッサーも何曲かをプロデュースすることになった。「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」「ホールド・ミー」の他に、もう1曲ぜひホイットニー・ヒューストンでレコーディングしたいと思った曲が「すべてをあなたに」であった。

この曲はマイケル・マッサーとジェリー・ゴフィンによって共作され、1978年にマリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・Jrがリリースしていた。妻がいる男性を愛する女性が主人公のラヴバラードで、いわゆる不倫関係がテーマになっているのだが、マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・Jrは1969年から結婚生活を続ける夫婦であった。アーティスト名はデュオのようになっているが、リードボーカルはすべてマリリン・マックーである。このバージョンはそれほど注目されなかったのだが、作曲したマイケル・マッサー自身は気に入っていた。そして、おそらく女性リスナー受けするに違いないこの曲はホイットニー・ヒューストンが歌うのにふさわしいと考え、レコーディングされることになったのだった。

ホイットニー・ヒューストンの母、シシー・ヒューストンは娘に不倫の曲など歌わせたくはないと、この曲のレコーディングにはかなり消極的だったようだ。レーベルもシングルとしてリリースつもりはなかったということなのだが、マイケル・マッサーがかなり推したことによって発売されることになったのだという。しかし、結果的にはホイットニー・ヒューストンにとって初の全米シングル・チャート1位に輝き、翌年のグラミー賞では最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞することになった。そして、アメリカのみならずイギリスでも大ヒットして、1985年12月14日付の全英シングル・チャートでは、ワム!「アイム・ユア・マン」にかわって1位に輝いている。

ジャンルでいうとソウルやR&Bということになるのだろうが、クライヴ・デイヴィスが意図した通り、あえてより幅広いリスナーにアピールするような音楽性になっている。トム・スコットのサックスをフィーチャーしたことにより、80年代のブラック・コンテンポラリーらしさも感じられる。そして、ホイットニー・ヒューストンの素晴らしいボーカルを生かすため、アレンジがシンプルなのもとても良い。ミュージックビデオは不倫の恋をテーマにした曲の内容をなぞるようなものである。

このようなブラック・コンテンポラリー的な音楽は日本では都会的で洗練されたおしゃれな音楽として消費されやすく、そのうえ歌がとても上手かったり、デビュー前にはモデルもやっていたというルックスの良さも魅力であった。デビュー・アルバム「そよ風の贈りもの」の日本盤はジャケットアートワークが海外で発売されていたものとは異なり、水着姿のホイットニー・ヒューストンの写真が使われていた。帯に掲載されていたコピーも「たまらなく素敵!輝く太陽のもと、キュートな風の妖精からの爽やかな贈りもの。セクシーに誘惑されたい!」といううれし恥ずかしいものでとても良い。

当時、日本のテレビCMでこの曲が使われていた記憶があるのだが、インターネットでいろいろ検索して見ても証拠が一切見つからないため、もしかすると完全な思い違いかもしれない。サウンドのイメージにふさわしく、生活感が希薄なおしゃれな部屋で、ベッドでも布団でもなくフローリングの床にマットレスのようなものを敷いて寝起きするライフスタイルを都会的なものとしてアピールするような内容だったような気がする。土曜の夜遅くで、「ベストヒットUSA」がはじまるかはじまらないかぐらいの時間帯だったと記憶しているのだが、何せ証拠がまったく見つからないので、もしかすると幻覚だったのかもしれない。

とはいえ、東京での一人暮らし1年目で予備校生だった当時、四畳半の和室アパートの14インチテレビでこのCMを見て、ホイットニー・ヒューストンのレコードが欲しいと思ったような気がするのだ。西武・パルコ文化にどっぷり浸かっていて、アパートは巣鴨駅から徒歩5分ぐらいのところにあったため、レコードや本を買いにいくのは池袋が多く、それ以上に気合いを入れるとなれば六本木まで足を伸ばし、WAVEと青山ブックセンターであった。それで、渋谷にはほとんど行っていなかったのだ。しかし、その日はなんとなく渋谷に行ってみたくなって、山手線で出かけたのだった。当時、渋谷駅の前に露店が出ていて、輸入盤のカセットテープを千円ぐらいで売っていたりした。最新ヒットアルバムもほとんど揃っていて、LPレコードを買うよりもかなり安い。CDプレイヤーはまだ持っていなかった。それで、ホイットニー・ヒューストン「そよ風の贈りもの」を買ったのだった。輸入盤はシンプルに「Whitney Houston」というタイトルで、ジャケットアートワークも水着姿ではない。

池袋のビックカメラで買ったパステルブルーのソニーウォークマンに早速セットして、センター街や公園通りを歩いた。大盛堂書店に行くと、村上春樹の新刊「回転木馬のデッドヒート」が平積みになっていたので買った。「そよ風の贈りもの」のカセットテープはその後も気に入ってよく聴いていたのだが、大学に合格して小田急相模原に引越した後、相模台商店街のオーム堂というレコード店で日本盤のLPレコードも結局は買った。