シュープリームス「ベイビー・ラヴ」【CLASSIC SONGS】

1964年10月31日付の全米シングル・チャートでは、シュープリームス「ベイビー・ラヴ」がマンフレッド・マン「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」を抜いて、「愛はどこへ行ったの」に続く2曲連続しての1位に輝いた。これによってシュープリームスは2曲以上が全米シングル・チャートで1位を記録した最初のモータウン所属アーティストとなった。この後さらに「カム・シー・アバウト・ミー」「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」「涙のお願い」と続き、全米シングル・チャートで5曲連続1位という大人気ぶりであった。

当時のアメリカではビートルズの人気が過熱していたのみならず、他のイギリスのロックバンドも次々とヒットチャートを席巻していて、この現象はブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれていた。80年前半にMTVの影響などによって、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブをはじめとするイギリスのニュー・ウェイヴバンドが次々と全米シングル・チャートの上位にランクインするが、これは第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるようになった。その頃、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン勢と共に全米シングル・チャートをにぎわせていたアメリカのアーティストといえば、「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」などのマイケル・ジャクソンであった。これらの楽曲を収録したアルバム「スリラー」から最初にリリースされた「ガール・イズ・マイン」は、元祖ブリティッシュ・インヴェイジョンバンドでもあったビートルズのポール・マッカートニーである。マイケル・ジャクソンがリードボーカルをとっていた兄弟グループ、ジャクソン5が1969年にリリースしたデビューアルバム「帰ってほしいの」の原題は「Diana Ross Presents The Jackson 5」で、当初はダイアナ・ロスが見いだしたグループとして売り出された。しかし、それはモータウンのプロモーション戦略によるものであり、実際にはそうではなかったようだ。

「愛はどこへ行ったの」から「涙のお願い」まで、5曲連続で全米シングル・チャート1位を記録した、これらすべての曲を作詞・作曲したのはモータウンの専属ソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドであった。「愛はどこへ行った」のがシュープリームスにとって初の全米NO.1ヒットになったことによって、次のシングルが急がれていたのだが、「ベイビー・ラヴ」の発売はモータウンの社長、ベリー・ゴーディによって一度は却下されていた。曲自体は良いのだが、全体的に生き生きとしていなく、仕掛けのようなものが不足していると感じられたという。それで再レコーディングとなったわけだが、テンポを速めたりパーカッションを入れたりした以外に、ダイアナ・ロスが曲に入る前に歌う「ウーウーウーウー」というフレーズが追加された。恋人に冷たくされている時の悲しくて切ない気持ちが歌われたこの曲に、実にマッチしているといえるだろう。

個人的に洋楽を主体的に聴きはじめた頃、ダイアナ・ロス「アップサイド・ダウン」が大ヒットしていて、翌年にはダイアナ・ロス&ライオネル・リッチー「エンドレス・ラブ」のシングルを買ったりしている。シュープリームスのことはダイアナ・ロスがかつて在籍していたグループとして知った。80年代前半にはモータウンサウンドに影響を受けた楽曲が海外でも日本でもわりとヒットしがちだったので、モータウンというレーベルそのものにも興味がわいていた。その頃にヒットしていたモータウンサウンドから影響を受けたヒット曲といえば、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「マンイーター」、ビリー・ジョエル「あの娘にアタック」、原由子「恋は、ご多忙申し上げます」などがあるが、これ以外にもフィル・コリンズがシュープリームス「恋はあせらず」をカバーしてヒットさせたりもしていた。1984年に佐野元春が松田聖子に「ハートのイアリング」を提供した時に用いたペンネーム、ホーランド・ローズは、ホーランド=ドジャー=ホーランドにちなんでもいた。「元春レディオショー」こと「サウンドストリート」のリクエストはがきでホール&オーツのことを間違えてホーランド・ローズと書いているものがあって、オランダの薔薇というのはなかなか良いのではないか、と思ったのがメインの由来ではあったはずだが。

1985年に東京で一人暮らしをはじめてから何ヶ月かした頃、生まれて初めてヘッドフォンステレオが欲しいと思い、池袋のビックカメラでパステルブルーのウォークマンを買った。せっかくなのでウォークマンに入れて聴くカセットテープも何か買おうと思い、西武百貨店のディスクポートに行った。そこで「モータウン 25 No.1ヒッツ」というカセットを買ったのだが、これがもう素晴らしい内容で何度も繰り返し聴いていた。マーヴェレッツ「プリーズ・ミスター・ポストマン」が1曲目だったのだが、当時、高校時代に同じクラスだった女子と文通をしていて、彼女からの手紙が届くのを心待ちにしていた気持にも絶妙にマッチしていた。そして、2曲目に収録されていたのが、シュープリームス「ベイビー・ラブ」である。ダイアナ・ロスの切なげなボーカルが特にとても良く、すぐに大好きになった。このカセットにシュープリームスの最初の全米NO.1ヒット「愛はどこへ行ったの」は収録されていなく、それもあって「ベイビー・ラヴ」の印象はより強くなったのだった。