The 500 Greatest Songs of All Time : 100-91

100. Umbrella – Rihanna feat. Jay-Z (2007)

リアーナのアルバム「グッド・ガール・ゴーン・バッド」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで7週連続1位、全英シングル・チャートでは10週連続1位など、世界的に大ヒットした。

全英シングル・チャートで10週以上連続連続して1位を記録したのは1994年のウェット・ウェット・ウェット「愛にすべてを」以来、全米、全英いずれものシングル・チャートで5週連続以上の1位を記録したのは1997年のエルトン・ジョン「キャンドル・イン・ザ・ウインド〜ダイアナ元皇太子妃に捧ぐ」以来であった。

苦難や困難が降りかかった時にそれから身を守ってくれる人のことを雨に対しての傘にたとえ、私があなたにとってのそれになるわ、ということが歌われたとても深くて熱いラヴソングである。

ジェイ・Zのラップがとてもカッコよく、リアーナが「アンブレラ」と歌ったあとで「エラ、エラ、エラ」と繰り返すところが印象的でとても良い。

99. California Love – 2Pac feat. Dr. Dre and Roger Troutman (1995)

2パックがデス・ロウ・レコードに移籍してから最初のシングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートでは最高6位を記録した。

2パックとドクター・ドレーという当時の西海岸ラップ・シーンにおける大物2人の共演に加え、1980年代後半に「ウォナ・ビー・ユア・マン」をヒットさせたことなどで知られるロジャー・トラウトマンの加工したボーカルをフィーチャーしていることも特徴である。

この曲のヒットから数ヶ月後、2パックはボクシングの試合を観戦した後に何者かによって銃撃され、25歳の若さでこの世を去ることになった。ヒップホップの東西抗争の犠牲になったともいわれ、翌年には東海岸ラップの大物であったノトーリアス・B.I.G.が射殺されている。

98. I Wanna Dance with Somebody (Who Loves Me) – Whitney Houston (1987)

ホイットニー・ヒューストンのアルバム「ホイットニーⅡ〜すてきなSomebody」から先行シングルとしてリリースされ、全米、全英いずれのシングル・チャートでも1位に輝いた。

全米シングル・チャートではデビュー・アルバム「そよ風の贈りもの」からシングルカットされた「すべてをあなたに」「恋は手さぐり」「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」に続き4曲連続1位を記録し、さらにこの後も「やさしくエモーション」「恋のアドバイス」「ブロークン・ハート」と7曲連続で1位に輝いた。

デビュー・アルバムの段階で歌唱力の高さが評価されていて、特にバラードの印象が強かったのだが、注目された2作目のアルバムからの先行シングルとして、アップテンポでキャッチーなこの曲がリリースされ、かなりのメジャー感を感じたものである。当時は少し軽めな印象も受けたのだが、時間が経ってから聴いてみると、いかにも80年代的なダンスポップ・サウンドに素晴らしいボーカル・パフォーマンスで、リアルタイムで聴いていた時以上にずっと好きになった。

作詞・作曲は「恋は手さぐり」と同じくジョージ・メリルとシャノン・ルビコムで、ボーイ・ミーツ・ガールというユニット名で「スター・トゥ・フォール」をヒットさせたりもしていた。

97. Kiss – Prince and the Revolution (1986)

プリンス&ザ・レヴォリューションのアルバム「パレード」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートでは最高6位を記録した。「パレード」プリンス自身が主演した映画「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」のサウンドトラック・アルバムだったが、プリンスを一般大衆的にも超メジャーにした映画「パープル・レイン」とは異なり、いろいろな面で失敗していた。

しかし、この曲はヒットした上に評価もひじょうに高かった。当時のプリンスといえば、毎年ニュー・アルバムをリリースし続け、しかもそれらのほとんどがことごとくその時点におけるポップ・ミュージックの最新型をアップデートするような革新的なものであり、かなりすごいことになっていたわけだが、この曲は贅肉を徹底的に削ぎ落としたかのようなシンプルなサウンドでありながら強靭なファンクネスが宿っているという、実に驚くべきものであった。

個人的には土曜日の真夜中の果て、というか日曜日の明け方近くに「オールナイトフジ」に出演していた女子大生たちなどがゆるめに踊っている画面のBGMとしてこの曲を初めて聴いて、これはかなりカッコいいのではないかと感じたことが思い出される。

96. Buffalo Stance – Neneh Cherry (1988)

ネナ・チェリーのデビュー・アルバム「ロウ・ライク・スシ」から先行シングルとしてリリースされ、全英、全米シングル・チャートでいずれも最高3位を記録した。

ヒップホップの要素も取り入れたキャッチーでありながらストリート感覚も感じられる素晴らしいポップソングである。マルコム・マクラレン「バッファロー・ギャルズ」がサンプリングされているが、この曲のタイトルに入っている「バッファロー」という単語はクールなファッション・クリエイター集団の名称に由来する。

ボム・ザ・ベースのティム・シムノンがプロデュースし、ミュージック・ビデオにはマッシヴ・アタックのマッシュルームが参加するなど、当時の音楽も取り扱うイギリスのスタイル雑誌「i-D」「THE FACE」的な感覚がワールドワイドにも広がっていく、とても良い時代だったと遠い目をする人たちも少なくはないような気もするが、もしかすると気のせいかもしれない。

95. A Design for Life – Manic Street Preachers (1996)

マニック・ストリート・プリーチャーズのアルバム「エヴリシング・マスト・ゴー」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。

それまでのマニック・ストリート・プリーチャーズが全英シングル・チャートで記録した最高位は「NME」創刊40周年記念アルバム「ルビー・トラックス」のためにレコーディングされた映画「M★A★S★H マッシュ」及びテレビドラマ「マッシュ」主題歌「もしも、あの世にゆけたら」のカバー「スーサイド・イズ・ペインレス」の7位であり、オリジナル曲となると「ローゼズ・イン・ザ・ホスピタル〜囚われた快楽」の15位であった。

つまりこの曲で記録した最高2位というのは大躍進であり、しかも同じアルバムから「エヴリシング・マスト・ゴー」「ケヴィン・カーター」「オーストラリア」もトップ10ヒットとなり、マニック・ストリート・プリーチャーズはすっかり人気バンドとなった。

人気メンバーであったリッチー・エドワーズがアメリカ公演の直前に失踪し、いろいろ考えた末に残されたメンバー3人で続けることにして最初のシングルであり、音楽性はより聴きやすく変化したところはあるのだが、労働者階級のアンセムとでもいうべきテーマ(愛について語ったりはせず、ただ酔っぱらいたいだけ、浪費することなどは許されず、それは破滅を招くと教えられてきた、というようなことがアンセミックなサウンドとメロディーにのせて高らかに歌われている)は、メジャーなヒット曲としてはあまりにユニークに感じられた。

94. Cannonball – The. Breeders (1993)

ブリーダーズのアルバム「ラスト・スプラッシュ」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高44位、全英シングル・チャートで最高40位を記録した。

ブリーダーズはピクシーズのキム・ディールによるサイド・プロジェクトとしてはじまったバンドだが、アメリカではこの曲によってピクシーズがどの曲でも記録していない全米シングル・チャート入りを果たしている。また、イギリスでは「NME」「メロディー・メイカー」の両誌において年間ベスト・シングルに選ばれている。

フェミニンなオルタナティヴ・ロックで、マイルドな実験性やピクシーズでおなじみのサウンドの強弱を効果的に用いた構成が特徴的である。

ミュージック・ビデオはソニック・ユースのキム・ゴードンによって監督されている。

93. The Message – Grandmaster Flash & The Furious Five (1982)

グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴが1982年の夏にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで最高62位、全英シングル・チャートで最高8位を記録した。

1970年代にニューヨークのブロンクスで誕生したといわれるヒップホップだが、当初は純粋なパーティー・ミュージックであった。後に強いメッセージ性を含む音楽としても知られるようになっていくが、その契機となったのがこの曲だといわれる。

歌詞は貧困や暴力といったストリートのリアルを描写し、シンセサイザーを効果的に用いたサウンドも印象的である。パブリック・エナミーのチャック・Dが後にブラック・アメリカにとってのCNNだと呼ぶようになるタイプのラップは、この曲が無ければ生まれなかったかもしれない。

92. Just Like Heaven – The Cure (1987)

ザ・キュアーのアルバム「キス・ミー、キス・ミー、キス・ミー」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高29位、全米シングル・チャートでは40位と初のトップ40入りを果たしている。

ザ・キュアーで最も有名な楽曲かもしれないこの曲なのだが、アルバムからは3枚目のシングルであり、特に一押しということでもなかったかもしれない。全英シングル・チャートでは先にシングルがリリースされていた「ホワイ・キャント・アイ・ビー・ユー?」の21位、「キャッチ」の27位よりも順位を下げている。

アルバムで最初に聴いた時にもザ・キュアーにしては明るくて軽すぎるのではないかと個人的に感じてもいたのだが、ロバート・スミスは当初からこの曲に自信があったようだ。当時、プライベートでも恋愛が充実していたようで、その気分が楽曲にも反映しているように思える。ダイナソーJrによるカバー・バージョンも味があって良い。

91. Fools Gold – The Stone Roses (1989)

ストーン・ローゼズが「ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー」との両A面シングルとしてリリースし、全英シングル・チャートで最高8位を記録した。

「シー・バングス・ザ・ドラムス」のシングルリリースイベントをマンチェスターのレコード店で行った時に、オーナーがお礼にCDをくれることになり、ジョン・スクワイアはジャケットが気に入ったのでいろいろなブレイクビーツを収録したコンピレーションを選んだらしい。それにたまたま入っていたジェームス・ブラウン「ファンキー・ドラマー」のビートをベースにつくられた曲である。

1980年代後半にイギリスのマンチェスターを中心に発生したマッドチェスター・ムーヴメントを象徴する楽曲であり、インディー・ロックとダンス・ミュージックをミックスした音楽性が特徴である。イギリスの人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」にストーン・ローゼズとハッピー・マンデーズというマッドチェスター・ムーヴメントを代表する2大バンドが出演し、それぞれこの曲と「マッドチェスター・レイヴ・オンEP」から「ハレルヤ」を演奏した1989年11月30日放送回はムーヴメントのハイライトでもあった。

インディー・ロックにヒップホップ的なビートを取り入れたこの曲のドラムスとベースを、ヒップホップ界の大御所、RUN D.M.C.が「ホワッツ・イット・オール・アバウト」でサンプリングしたというのもすごい。

歌詞は1948年の映画「黄金」にもインスパイアされているということだが、ストーン・ローゼズが成功したことによって起こった利権などをめぐるいざこざをも反映しているという。