レモンヘッズ「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」

レモンヘッズの5作目のアルバム「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」は1992年6月2日に発売されたが、当時はそれほど大きな話題になるわけでもなかった。レモンヘッズは1986年に当時10代であったイヴァン・ダンド、ベン・デイリー、ジェシー・ペレッツによって結成されたオルタナティヴ・ロック・バンド、Whelpsを前身としている。キャンディーのブランド名から取ってレモンヘッズに改名するが、表面は酸っぱいのだが中は甘いという意味も込められているようである。地元のインディー・レーベルから3作のアルバムをリリースした後、メジャーのアトランティックと契約をするのだが、移籍後最初のアルバム「ラヴィー」をリリースした後、オリジナル・メンバーはイヴァン・ダンドのみになっていた。ここまでごく限られたオルタナティヴ・ロック・ファンの間では知られていたものの、一般大衆向けにはそれほど大きく注目されていたというわけでもなかった。児童虐待をテーマにしたスザンヌ・ヴェガのヒット曲「ルカ」をオルタナティヴ・ロック調にカバーしたバージョンは、少し話題になっていた。

翌年、1991年の秋にリリースされたニルヴァーナのアルバム「ネヴァーマインド」が大ヒットして、オルタナティヴ・ロックがメインストリーム化する。メインストリームでメジャーなメディアなども次のニルヴァーナは誰か、という感じでオルタナティヴ・ロックのバンドがかつてない注目をあつめるようになっていった。とはいえ、ニルヴァーナの音楽はグランジ・ロックと呼ばれ、ラウドでヘヴィーでありながらポップでキャッチーでもあるのだが、陰鬱なトーンが特徴的であり、同じくオルタナティヴ・ロックだったとはいえ、レモンヘッズのそれとはタイプが異なっていた。初期においてはより共通点も多かったのだが、この頃にはパワー・ポップ的であったり、フォークやカントリーからの影響が感じられる音楽にシフトしていた。

しかし、楽曲の良さによってじわじわと評価を高めていき、イヴァン・ダンドのフォトジェニックさも人気を得るようになっていった。さらには映画「卒業」の20周年を記念してリリースしたサイモン&ガーファンクル「ミセス・ロビンソン」のカバーが評判になり、このバージョンは「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」のアルバムにも後に追加されるようになった。1992年の暮れに「NME」が発表した年間ベスト・アルバムでは、シュガー「コッパー・ブルー」、R.E.M.「オートマティック・フォー・ザ・ピープル」、スピリチュアライズド「レイザー・ガイデッド・メロディ」に次ぐ4位に選ばれていた。「ミセス・ロビンソン」のカバー・バージョンを追加しても約33分28秒、元々は約29分46秒という短さが、このアルバムの特徴でもある。オリジナルで12曲入りなので、1曲ずつが短いということになる。3分を超えているのは「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」「ラダーレス」のみで、他の曲は1~2分台である。CD時代でアルバムの収録時間がナチュラルに長くなりがちだった当時において、この短さはひじょうに印象的であった。

とはいえ、物足りなさを感じさせるかというとそんなことはまったくなく、何せ楽曲のクオリティーが総じて高いので、コンパクトでエッセンシャルというアルバムとして理想的な状態を体現していたともいえる。楽曲はオーストラリアを訪れたイヴァン・ダンドが、友人のアーティスト達とつくったものなどである。「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」というタイトルは、オーストラリアのTV司会者、レイ・マーティンの番組降板を報じる地元の新聞の見出しから取ったものだという。

レコーディングにはボストン出身のオルタナティヴ・ロック・バンド、ブレイク・ベイビーズで活動していたジュリアナ・ハットフィールドがベースとバック・ボーカルで参加しているのだが、キュートなボーカルは特に楽曲に彩を添えている。イヴァン・ダンドとジュリアナ・ハットフィールドの、付き合っているのかいないのかよく分からない、絶妙に微妙な関係もとても良かった。この後、イヴァン・ダンドは「ピープル」誌が発表した最も美しい50人のリストに選ばれたりもした。

このアルバムのリリース時には、アメリカのオルタナティヴ・ロックがメインストリーム化していく状況に関係があるようにも思われたのだが、その後、30周年記念バージョンのようなものまで発売されるに至ってから感じるのは、時代のトレンドなどとはそれほど関係がなく、純粋に楽曲や演奏がギター・バンドという形態におけるポップ・ミュージックとして、パーフェクトに近いものをコンパクトに実現しているところが、ただただとても良いなということである。