ブロンディ「ハート・オブ・グラス」

1979年の全英シングル・チャートでは、ブロンディの「ハート・オブ・グラス」がイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ「ヒット・ミー」に替わって1位になっているのだが、この曲はニュー・ウェイヴとディスコソングをミックスした当時としてはひじょうに画期的なものであり、現在でもポップミュージック史上ひじょうに重要な楽曲の一つとして高く評価され続けている。

90年代でいうとブラー「ガールズ・アンド・ボーイズ」などはこれにひじょうに近いわけだが、「NME」のクリスマス特別号でブラーは「恋の平行線」のジャケットのパロディーもやっていたような気がする。誇張したイギリス性のようなものをユーモアたっぷりにやり切った「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」の次がディスコ・ポップの「ガールズ・アンド・ボーイズ」というのはひじょうに攻めているのではないかと軒並み好評で、実際に全英シングル・チャートで最高5位とその時点ではブラーにとって過去最高のヒットを記録したし、その年の「NME」年間ベストシングルでもオアシス「シガレッツ&アルコール」「リヴ・フォーエヴァー」などを抑えて1位に選ばれていた。

ブロンディが「ハート・オブ・グラス」をリリースした時には全英シングル・チャートで4週連続1位を記録した上に、アメリカでも全米シングル・チャートで1位に輝くなどひじょうに売れていたので、基本的には大絶賛だったのかと思いきや、ニュー・ウェイヴのバンドがディスコソングをやることに対しての反発は結構あったのだという。初期からのブロンディのファンだけではなく、バンドのドラマーであるクレム・バークまでもがこの曲をライブでやりたがらなかったという。

当時、パンク/ニュー・ウェイヴとディスコミュージックは共に旬のポップミュージックとしてよく売れていたわけだが、メインストリームにおいては圧倒的にディスコの方が売れていたと思われる。「ハート・オブ・グラス」が初めて1位になった週の全英シングル・チャートを見てみても、4位にヴィレッジ・ピープル「Y.M.C.A.」、5位にアース・ウインド&ファイアー「セプテンバー」、12位にシック「おしゃれフリーク」などをはじめ、後にディスコ・クラシックと呼ばれるようなタイプの曲がいくつもランクインしている。

パンク/ニュー・ウェイヴにピュアであるほどディスコに対しての反発が強かったのではないかと思われるのだが、反ディスコを表明する「Disco Sucks!」なるスローガンが一部で流行したり、シカゴではディスコミュージックのレコードを爆破するディスコ・デモリッション・ナイトなるイベントが催されるなどといった動きもあったようである。

ブロンディはといえばそもそもライブでドナ・サマー「アイ・フィール・ラヴ」、ラベル「レディ・マーマレード」といったディスコソングのカバーもやっていたというのだが、ディスコミュージック的なオリジナルソング「ハート・オブ・グラス」をリリースするに至って、商業主義に身を売ったと批判され、クールではない存在として見なされるようにもなったのだという。

バンドにとってはそれもまた上等というような気分でやっていたようで、実際に一般大衆はこの曲を圧倒的に支持したこともあって、結果的には成功だったといえるのだろう。

とはいえ、この曲は当時のディスコブームに便乗して新たにつくられたというわけでもなくて、ブロンディが結成されてからまだそれほど経ってはいない1974年かその翌年あたりには原型ができていたという。当時はカップルであったボーカリストのデビー・ハリーとギタリストのクリス・スタインによって書かれ、正式なタイトルはなく「ディスコ・ソング」と仮に呼ばれていたが、歌詞から取った「Once I Had A Love」としてデモテープがつくられていたという。この音源は現在、アルバムのボーナストラックなどで聴くことができる。

この曲についてはバラードやレゲエなど様々なパターンが試されたのだが、なかなか上手くいかずに未発表のままだったという。そして、「恋の平行線」の制作時にプロデューサーのマイク・チャップマンに持っている曲をすべて出すようにいわれ、最後の方にこの曲を出してみたところ好評であり、これをちゃんと完成させようということになったようだ。

リズムマシンの導入がディスコポップ化につながったわけだが、当時はレコーディング技術が現在ほど発展していなく、リズムを少しずつマニュアルで入力しなければいけなかったり、ドラムの生音と合わせる必要があり、それはひじょうに骨が折れる仕事だったという。クレム・バークはビー・ジーズ「ステイン・アライヴ」のグルーヴを参考にして、ドラムスを叩いていたようだ。

歌詞は「Once I had a love and it was a gas」というフレーズではじまり、これはかつて恋をしていてとても楽しかったというような意味であろう。これに続くのが、当初は「Soon turned out to be a pain in ass」、うんざりするようなことだということに気づいたというような意味を持っていた。「gas」と「ass」で韻を踏んでいるわけだが、「ass」はお尻のことでもあるためラジオで流すのには相応しくないなどということで、同じく「gas」と韻が踏める「heart of glass」、ガラスのハートというフレーズが採用され、タイトルにもなったようである。

この曲は日本でもオリコン週間シングルランキングで最高30位、9.7万枚の売上という記録が残っているため、まあまあ売れていたということになるのだろうか。この曲のヒットによってすっかりニュー・ウェイヴとディスコミュージックをミックスしたタイプの曲を得意とするようになったブロンディは1980年に映画「アメリカン・ジゴロ」のテーマソングとして、ジョルジオ・モロダーの作曲・プロデュースによる「コール・ミー」を大ヒットさせた。アメリカやイギリスのシングル・チャートで1位になったのみならず、日本でもオリコン週間シングルランキングで最高19位、33.7万枚の売上を記録した。当時、原宿の歩行者天国で踊っていた竹の子族のラジカセからもよく流れていたという。

「ハート・オブ・グラス」がヒットしたのはMTVが開局する以前だったのだが、海外にプローモートする目的でミュージックビデオは制作されていた。ある年代以上の方ならばご存知の通り、ミュージックビデオのことをある時代まではプロモーションビデオと呼ぶのが一般的で、その後にビデオクリップと呼ぶ方が通であるというような風潮になっていったような気もする。

それはそうとして、この「ハート・オブ・グラス」はポップソングとしてもちろん素晴らしいのだが、ミュージックビデオにおけるデビー・ハリーの画面映えの良さというのか、ポップアイコンとしての存在感をはじめ、映像的にもポップ感覚に溢れていてとても良いものである。ちなみにこの曲のミュージックビデオのはじめの方にニューヨークの伝説のディスコ、スタジオ54の外観が映っていて、ここで撮影されたと思われていることもあるようなのだが、実際には短命に終わったどこか別の場所だということである。