ビリー・ジョエル「グラス・ハウス」について。

1980年5月17日付の全米シングル・チャートではブロンディ「コール・ミー」が5週目の1位となり、ニュー・ウェイヴがメジャー・シーンにおいても勢いを増してきているのを感じさせる。2位はクリストファー・クロスの「風立ちぬ」である。大瀧詠一が松田聖子に提供した「風立ちぬ」がリリースされたのは翌年の秋であり、この曲とは一切関係がない。緑色のジャケットにフラミンゴのイラストが印象的なデビュー・アルバム「南から来た男」からのシングル・カットで、クリストファー・クロスにとってはじめてのヒットとなった。日本では翌年にベストセラーになった田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」の主人公、由利のお気に入りであったことも知られている。当時は顔写真を一切公開せず、ミステリアスなイメージがあった。グラミー賞主要部門独占が大きな話題になったが、顔写真が公開されると一部に残念がるような声が聞かれたような記憶もあるが、気のせいだったかもしれない。3位のエア・サプライ「ロスト・イン・ラブ」は、「なんとなく、クリスタル」の由利よりもややコンセプトが甘めの女子大生に人気があったと聞かされているAORの人気グループである。

この週の7位にビリー・ジョエル「ガラスのニューヨーク」がランクインされているが、この順位になって3週目の足踏み状態であり、上昇中をあらわす星マークも取れてしまっている。実際にこれがこの曲の最高位となった。この曲はアルバム「グラス・ハウス」からの最初のシングルだったが、前々作「ストレンジャー」からの「素顔のままで」、前作「ニューヨーク52番街」からの「マイ・ライフ」がいずれも3位だったことを考えるとやや淋しい順位ではあるのだが、アルバムは1位になっていた。

「グラス・ハウス」はそれまでのビリー・ジョエルのアルバムに比べるとややロック色が濃いのだが、それは当時のニュー・ウェイヴの流行に呼応したものだったらしい。この年にリリースされたポール・マッカートニーのシングル「カミング・アップ」もニュー・ウェイヴからの影響が感じられるものであり、こちらは全米1位を記録している。そして、ビリー・ジョエルは「グラス・ハウス」から2枚目のシングルとして「ロックンロールが最高さ」をカットするのだが、歌詞にパンクやニュー・ウェイヴという単語が入り、それでロックンロールが最高さと歌われるこの曲によってビリー・ジョエルは初のシングルでの全米1位に輝くことになる。

当時、中二病という言葉はなかったが、私は中学2年生であった。タレントの伊集院光によって考案されたといわれているらしきその言葉は自意識過剰気味な中学二年生あたりの精神性を揶揄したものであり、大人になってもそれを保持し続けている様を「中二病をこじらせている」などと言うらしい。そして、中二病の症例の1つとして、「洋楽を聴きはじめる」というのが挙げられている。確かに私がはじめて洋楽のレコードを買ったのは中学2年生の頃であり、それはポール・マッカートニー「カミング・アップ」であった。元ビートルズだとかそういうことで買ったのではなく、ラジオでかかっていて単純にカッコよくて欲しいと思ったからである。旭川市立光陽中学校の近くにあった、時計店とレコード店が一体化したようなお店で買った記憶がある。

当時、中学校から家に帰るとNHK-FMをつけて、本や雑誌を読みながら夕食ができるまでの時間を過ごしていた。北海道にはまだ民放のFM局がなかった。「軽音楽をあなたに」という番組でビリー・ジョエルの特集が組まれていた。ビリー・ジョエルは1978年の夏に口笛のイントロが印象的な「ストレンジャー」がオリコン最高2位の大ヒットになっていて、当時、小学生だった私でも知っていた。また、当時の日本ではアメリカ文化がやたらとカッコいいというイメージがあった。若者に大人気だった雑誌「ポパイ」はロサンゼルスなどの西海岸の文化を主に伝えていたが、一方でニューヨークの都会的なイメージもわりと好まれていたような記憶がある。この頃、私は「行ってから読むか読んでから行くか-タモリのNew York旅行術」という本を買っていた。先ほど正確なタイトルを調べようとインターネットで検索していて、Amazonではこの本に1万円を超えるプレミア価格がついていることを知った。もちろんおそらくもう捨ててしまって、実家にももうない。この年の夏休み、私は父にはじめて東京に連れてきてもらったが、そのときには旭川のイトーヨーカドーで買った「U.S.A.」という文字とアメリカの地図が印刷されたTシャツを気に入って着ていたような気がする。また、ニュー・ミュージック歌手として人気があった八神純子が「54日間のアメリカ人」というアメリカ滞在記を出していた。私はいまブログを書いているように、当時から身の回りのあれこれを大学ノートに書き記していて、東京滞在記には「4日間の東京人」というタイトルを付けていた。ダサすぎる。あと、中学1年のときに買ってもらった自転車は、カリフォルニアロードという名前であった。

このような背景もあってか、1978年にリリースされたビリー・ジョエルのタイトルは原題が「52ND STREET」だったのだが、日本では「ニューヨーク52番街」というタイトルでリリースされた。ビリー・ジョエルは実際にニューヨーク出身であり、当時の日本ではこれを強調しない手はない。よって、わりと都会的なイメージがあったのだが、田中康夫「なんとなく、クリスタル」では「ニューヨークの松山千春」と註釈されていた。

そして、「グラス・ハウス」である。1980年の3月にリリースされたこのアルバムは、ガラスで出来た家に向かってビリー・ジョエルが石を投げようとしているところが描かれている。その服装は革ジャンとブルージーンズであり、いかにもロック的なイメージづくりが行われているといえるだろう。イギリスではより以前までのビリー・ジョエルの作風に近い「レイナ」が、先行シングルとしてリリースされた。アメリカでも当初はその予定だったようなのだが、結局はアルバム1曲目で、よりロック的な「ガラスのニューヨーク」がリリースされた。原題は「YOU MAY BE RIGHT」であり、ここでもニューヨークという単語は日本でわざわざ付けたものである。「グラス・ハウス」のB面1曲目に収録された「I DON’T WANT TO BE ALONE」にも、「孤独のマンハッタン」という邦題が付けられている。

レコードに針を落とすと、まずガラスの割れる音が聴こえ、それからイントロがはじまる。パーティーをぶち壊したとかクレイジーとかルナティックだとか、いかにも悪そうな単語がたくさん入っていて、輸入盤のLPレコードを買った私は歌詞を英和辞典で調べながら、これがロックなのだと当時は本気で盛り上がっていた。ファッションプラザオクノの地下にあった玉光堂に行くと、大学生ぐらいのカップルがレコードを見ていて、ビリー・ジョエルのことを話していた。男性の方は昔は聴いていたけどね、というような言い方をしていた。ビリー・ジョエルは洋楽入門編のような存在であり、少しするといずれは卒業していくものなのか、と思った。私はずっとビリー・ジョエルを好きでいようと思い、一時期は聴かなくなったが、あれから38年経ったいま、こうしてブログに書いている。その頃、玉光堂でLPレコードを買うとおそらくCBS・ソニーの販促用の袋に入れてくれて、そこには「グラス・ハウス」やボズ・スキャッグス「ミドル・マン」などのジャケットが印刷されていた。

「ポパイ」を読んでいると、アメリカでレコード・ジャケットの形をしたチューインガムが発売されているというコラムが載っていた。そのラインナップの中には「グラス・ハウス」も入っていた。おそらく銀座のソニー・プラザなどで売っているのだろうが、旭川にそんな店はない。コラムによると歌詞も印刷されているということだったが、そんな小さな文字が読めるのだろうかと疑問に思った。ところがある日、旭川の西武百貨店に行くとこれが売られていて、シングル・レコードぐらいの価格でガムとしては高いとは思ったのだが、思い切って買ったのだった。ジャケットのミニチュアはよく出来ていたが、歌詞は「ガラスのニューヨーク」1曲のものだけが印刷されていた。ガムはピンクで日本のものとは違う甘ったるい匂いがしたのだが、勿体なくてしばらく食べなかった。結局そのうちに食べたと思うし、あのジャケットのミニチュアがどこに行ったのかさっぱり覚えていない。

このガムのことを思い出してインターネットで調べていたら、2016年まで更新されているホームページがあり、通信販売も行われていたようである(現在は管理人の病気により販売を行っていないようである)。「Chu Bops」という商品名で、ショッピング・リストのページでは何が発売されていたかも一覧できる。当時の新作以外にエルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ローリング・ストーンズの旧作のものも発売されていたようである。

「ガラスのニューヨーク」のビデオにはガラスの割れる音が入っていなく、レコードには収録されていない「1、2、1,2,3,4!」というカウントからはじまる。そして、レコードの音源ではなく、このために録音されたものが使用されているようである。全編がバンドによる演奏シーンで構成されている。当時のアメリカでいうところのニュー・ウェイヴとはおそらくザ・ナックやカーズのようなものだったのではないかという可能性があり、そう考えると、「ガラスのニューヨーク」のビデオは確かにニュー・ウェイヴっぽいと言えなくもない。この曲は1982年に桑田佳祐が嘉門雄三名義でリリースしたライブ・アルバム「嘉門雄三&VICTOR WHEELS LIVE!」でカヴァーされている。

「ロックンロールは最高さ」のビデオもまたバンドでの演奏シーンであり、この赤いジャケットの写真はシングルのジャケットや音楽雑誌などでも見た記憶がある。ビールを瓶から飲むシーンがあり、イントロでウィスキーを飲んで噴き出すという「カサブランカ・ダンディー」における沢田研二のパフォーマンスを思い出させるが、あれはこの前の年であり、おそらくまったく関係はない。途中でエルヴィス・プレスリーの歌い方を真似するような箇所や、痙攣したようなユニークな動きを見せる場面もある。

その後、「ドント・アスク・ミー・ホワイ」がシングル・カットされ、全米19位を記録した。次にアメリカでは「真夜中のラブコール」が4枚目のシングルとしてカットされ、これは全米36位であった。この曲のビデオはドラマ仕立てになっていて、歌詞の内容と同じように恋人同士の長距離通話が題材になっている。日本ではファンの間で人気があったという「レイナ」がシングル・カットされ、「真夜中のラブコール」はそのB面に収録された。

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