ワム!の名曲ベスト10(Best Songs of Wham!)

Netflixで「ワム!」というドキュメンタリー映画が新作として追加されていたので、暇つぶしに見てみたところなかなか良かった。タイトルから想像がつくように、1980年代に大人気だったポップデュオ、ワム!の足跡をコンパクトにまとめた映像作品となっている。

後にソロアーティストとしても大成功をおさめるジョージ・マイケルとその友人のアンドリュー・リッジリーによる2人組で、ジョージ・マイケルにあまりにも才能がありすぎたのと、よりアダルトな音楽性へとシフトしていく必然性があったとこ思われ、人気絶頂だったとはいえ、あの解散は不可避だったのだろうというのがごく一般的な認識であり、それはけして否定されてもいない。

とはいえ、ワム!というポップデュオの最もベーシックでコアな部分にあったのは、ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーとの友情であったという点については、この作品によって再認識させられたところである。

それで、もちろんこのようなポップでキャッチーな音楽が好きで好きで仕方がないのだが、それほど思い入れが強いかというとそうでもなく、それでも当時の青春といえなくもない時代のサウンドトラックとして印象深くはあるワム!の楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を選んでカウントダウンしていきたい。

10. Wham Rap! (Enjoy What You Do) (1982)

ワム!の記念すべきデビューシングルだが、発売当時は全英シングル・チャートで最高105位とそれほど売れていない。ジ・エグゼクティヴというバンドを解散した後、ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーが一緒につくった最初の曲であり、シュガーヒル・ギャング「ラッパーズ・ディライト」に合わせて、アンドリュー・リッジリーが「ワム! バム! アイム・ザ・マン!」などと適当にラップしていたところから発展していったらしい。

「ラッパーズ・ディライト」といえば、シック「グッド・タイムス」のベースラインを勝手に引用してヒットした、ヒップホップ黎明期の代表曲として知られるのだが、クイーン「地獄へ道づれ」などと同様に、やはりこの「ワム・ラップ!」も「グッド・タイムス」の影響下にあるといえる。

1982年といえばグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴ「ザ・メッセージ」が全英シングル・チャートでトップ10した年ではあるのだが、まだまだラップというかヒップホップ文化は一般的にはそれほどポピュラーではなかったのではないかと思われる。

この曲ではジョージ・マイケルがラップし、サッチャー政権下における失業者の立場から、やりたいことをやろうぜ的なメッセージのようなものを発してもいる。それでこの音楽的にはものすごくキャッチーなのだが、アティテュードとしては政治的メッセージもマイルドに含んでいる的なところが注目もされていたようだ。

楽曲のクオリティーやジョージ・マイケルのソングライターとしての才能が生かされたもっと良い曲は他にもいろいろあるのだが、この時代ならではの息吹というのかリアルでヴィヴィッドな感じが伝わりかねないという点において、やはりワム!とはそもそもこういうものでもあったのだ、という記録的な意味も込め、まずはこの曲を挙げておきたい。

この次のシングルが売れてワム!はブレイクするので、このデビューシングルも再リリースされて、全英シングル・ランキングで最高8位のヒットを記録した。

9. Young Guns (Go for It!) (1982)

デビューシングルが売れなかったので、もしかするとワム!は成功しないのではないか、というような弱気なムードも立ち込めていたようなのだが、結論からいってしまうと2枚目のシングルとしてリリースされた「ヤング・ガンズ」が全英シングル・チャートで最高3位のヒットを記録して、一気にブレイクすることになるのであった。

しかし、いきなりめちゃくちゃ売れまくったというわけではなく、初めはもう少し地味なチャートアクションだったのだが、人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演予定だった別のアーティストが出られなくなって、その代役として出演することになったワム!が見事にチャンスをモノにしたのであった。

曲の内容はまだ若いにもかかわらず、恋人の言いなりになって落ち着こうとしている友人に対して、人生をもっと楽しもうぜ、と提言するようなものとなっている。「トップ・オブ・ザ・ポップス」におけるパフォーマンスでは、メンバーも認めているように、いま見るとややダサく感じられるようなところもあるのだが、自分たちで考えたという振り付けも含め、何とか爪痕を残そうという必死さがうれし恥ずかしげにキマっていたりもして、なかなか味わい深いものがある。

結果的にこの「トップ・オブ・ザ・ポップス」への出演をきっかけにシングルの売り上げは飛躍的に伸び、初のヒットに繋がったというのだから正解以外の何ものでもなかったといえる。

この曲にはミュージックビデオも存在してもいるのだが、やはり伝説の「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演時の映像を堪能したいものである。

バッキングボーカルのシャーリーと、後にザ・スタイル・カウンシルにかかわり、ポール・ウェラーと結婚して離婚をするD.C.リーもこのパフォーマンスには参加している。

8. Bad Boys (1983)

ワム!の3枚目のシングルにして、ついには全英シングル・チャートで最高2位の大ヒットを記録したのが、この「バッド・ボーイ」である。この曲を1曲目に収録したデビューアルバム「ファンタスティック」は全英アルバム・チャートで1位に輝くなど、まさに時代の寵児的な扱いを受けることになる。

音楽性はポップでキャッチーでありながら、メッセージ性も強めなところが特徴ということで、レーベル側の要望としてはあえて大人たちに対抗する若者というイメージをつけたかったようである。それに応じてジョージ・マイケルがつくったのがこの曲であり、見事に大ヒットを記録してしまうものの、自身はまったく気に入っていないと後に証言するようになる。

このような事実を考慮すると、こうしてユニットにとっての名曲ベスト10を選んでみようとなった場合などには除外されがちでもあるのだが、この曲のキャッチーさにはポップ・ミュージックとしての強度が確実に備わっていて、やはり外すわけにはいかないだろうと感じずにはいられないわけである。

というか、この曲が全英シングル・チャートにランクインしている当時に、NHK-FMで初めて聴いて、なんだかとても楽しくて良い曲だなと感じ、それがワム!とのファーストコンタクトだったという個人的な体験も大いに影響している可能性はもちろん認める。

とにかく極度にキャッチーなイントロのフレーズを同じ高校の英国ポップス好きが笑顔で口ずさんでいた姿をいまでも青春の1ページとして輝かしく思い出すことができ、それだけでいくらジョージ・マイケル自身がこの曲を気に入っていなかったとしても、個人的にはこれぞワム!の名曲の1つだという印象は永遠に残り続けるような気はしている。

7. The Edge of Heaven (1986)

ワム!は1986年に解散を発表し、これがラストシングルとなるのだが、全英シングル・チャートでは4曲目の1位、全米シングル・チャートでは最高2位のヒットを記録した。

この時点でジョージ・マイケルのシンガーソングライターとしての実力はすでにかなり高く評価されていて、ワム!の解散発表についてもそれほど驚きはなかったような気もしているのだが、当時それほど熱心に動向を追っていたわけでもないので、実際のところははっきり覚えてはいない。

とはいえ、このシングルがリリースされた時点でワム!は解散することが決まっていたわけであり、その集大成的な満足感を得ることができるタイプのシングルであった。

ドゥーワップ的なイントロにはじまり、モータウンなどポップ・ミュージック史における良質なエレメンツをミッド80’sにおける最新型のポップ・ミュージックとしてアップデートしたかのような、素晴らしい楽曲である。

ワム!はもちろん80年代を代表する優れたポップデュオの1つとして広く知られているわけだが、当時も現在も深刻なロック批評的には軽視されがちな印象がある。しかし、当時からその才能を高く評価していたベテランアーティストとしてエルトン・ジョンがいて、1985年の歴史的チャリティーライブイベント「ライヴ・エイド」ではワム!と「僕の瞳に小さな太陽」を共演したりもしていたのだが、この曲のレコーディングにはピアニストとして参加している。

6. Freedom (1984)

ワム!の2作目のアルバム「メイク・イット・ビッグ」からの先行シングルとして1984年の10月にリリースされ、全英シングル・チャートで3週連続1位の大ヒットを記録した。その頃、アメリカではイギリスよりも数ヶ月遅れて「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がヒットチャートをかけ上がっていて、最終的には全米シングル・チャートで初のトップ40入りにして、3週連続1位を記録することになる。そして、この「フリーダム」がアメリカでやっとシングルカットされるのはこの翌年、1985年の7月になってからであった。

その頃までにワム!の人気はイギリスだけに止まらず、よりワールドワイドなものになっていたのだが、特に話題を呼んだのは西洋のアーティストとしては初めて中華人民共和国の北京で公演を行ったことであった。アメリカでのシングルカットに合わせて制作された「フリーダム」のミュージックビデオには、この北京公演の時の映像が使われてもいる。

歌詞の内容は恋人に対して一途な関係を望んでいて、いろいろな人たちと遊んだりするような自由は求めていない、というようなもので、曲調やサウンドにはワム!の多くのヒット曲と同様に、モータウンからの影響が感じられる。

ワム!のメンバー本人が出演したマクセルカセットテープのテレビCMでもこの曲が使われていて、日本のお茶の間にも流れていた記憶がある。

ジョージ・マイケルのデビューソロアルバムから先行シングルとしてリリースされた「フェイス」のイントロには「フリーダム」のメロディーが引用され、2作目のアルバム「リッスン・ウィズアウト・プジェディスVOL.1」からは「フリーダム」の続編的な楽曲ともいえなくはない「フリーダム!’90」がシングルカットされたりもした。

5. Everything She Wants (1984)

「恋のかけひき」の邦題で知られるこの曲はアルバム「メイク・イット・ビッグ」からカットされ、「ラスト・クリスマス」との両A面シングルとしてリリースされた。全英シングル・チャートで「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」、ジョージ・マイケルのソロ名義でリリースされた「ケアレス・ウィスパー」、そして「フリーダム」と3曲連続で1位に輝いていたワム!は、このシングルで4曲連続にして、イギリス国民にとってはとても価値があるとされているクリスマスNO.1も確実視されていた。

しかし、アフリカの飢饉を救う目的で立ち上げられたプロジェクト、バンド・エイドのシングル「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」があまりにも売れすぎたため、「ラスト・クリスマス」と「恋のかけひき」の両A面シングルは最高2位に終わった。そして、当時のイギリスやアイルランドの人気アーティスト達が集結したことが大きな話題となったバンド・エイドのシングルには、ジョージ・マイケルも参加していた。

アメリカではアルバム「メイク・イット・ビッグ」から「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「ケアレス・ウィスパー」に続いてシングルカットされ、3曲連続1位に輝いている。

「恋のかけひき」はアルバム「メイク・イット・ビッグ」収録曲の中でも、ジョージ・マイケルがシンセサイザーやシンセドラムによって、ほとんど1人で完成させたことが特徴的である。また、ワム!のヒット曲にはポップでキャッチーな題材を扱ったものが多いが、この曲の場合は結婚をして数ヶ月が経った男性がやや後悔をしかけたりしているのだが、妻が妊娠をしたりとすでに引き返せない状況になってしまったというビターな感覚が歌われている。

4. Club Tropicana (1983)

ワム!のデビューアルバム「ファンタスティック」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高4位のヒットを記録した。それまでのシングル「ワム・ラップ」「ヤング・ガンズ」「バッド・ボーイズ」がいずれもメッセージ性を含んでいたのに対し、この「クラブ・トロピカーナ」はただただ楽しげで、享楽的なムードが特徴となっている。

ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーによって「ワム・ラップ」の次につくられた曲で、ワム!が最初のレーベルと契約を結ぶきっかけとなるデモテープにも収録されていた。

ファンキーでダンサブルな楽曲にのせて、クラブ・トロピカーナはドリンク無料〜♪というようなことがご陽気に歌われるサマーチューンなのだが、当時、ワム!のメンバーやアンドリュー・リッジリーのガールフレンドでバッキングボーカルのシャーリーがよく通っていたニュー・ロマンティクス的なクラブの雰囲気がベースとなっていて、それに若者を対象にしたホリデー旅行プランの感じを加えたようなものらしい。

ザ・スタイル・カウンシル「ロング・ホット・サマー」などと共に1983年の夏を思い起こさせてくれるヒット曲であり、リアルタイマー的には稲垣潤一「夏のクラクション」や早見優「夏色のナンシー」などとも同じ夏を共有していたというどうでもいい情報というか昔話もあえて記録しておきたい。

個人的にはアズテック・カメラ「想い出のサニー・ビート」とブラー「ガールズ・アンド・ボーイズ」との間にこの曲がある印象なのだが、賛同を得られなくてもそれは仕方がないという諦めはなんとなくある。

3. Wake Me Up Before You Go-Go (1984)

邦題の「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がとにかく見事という以外にないのだが、実際にかなりウキウキするポップチューンなのである。イギリスではワム!はすでにかなりの人気者ではあったのだが、この曲で初の全英シングル・チャート1位に輝く。

一方、アメリカではそれほど売れていたというわけでもなかったのだが、この曲が初の全米トップ40ヒットにして1位獲得曲となった。レーベルを移籍してプロモーションがかなり本格的に行われたというのも大きな要因になっていると思われるのだが、ポップソングとしてのメジャーな感じが一気に増しているようにも感じられた。

タイトルはアンドリュー・リッジリーが母親に向けて書いた「出かける前に起こして」というメモに由来していて、「Wake me up」の「up」を誤って2回書いてしまったため、最後の「go」もわざと繰り返し、それが1960年代に流行したダンスの1つ、ゴーゴーをも連想させることになった。

ミュージックビデオでは「人生を選べ(CHOOSE LIFE)」というメッセージが大きくプリントされた、大きめのTシャツが印象的だが、あれは人気デザイナーのキャサリン・ハムネットによってデザインされたものである。

2. Last Christmas (1984)

世界で最もポピュラーなクリスマスソングの1つとして、世界的にはビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」、マライヤ・キャリー「恋人たちのクリスマス」、ザ・ポーグス「ニューヨークの夢」、日本では山下達郎「クリスマス・イブ」、松任谷由実「恋人がサンタクロース」などと同様によく知られているワム!「ラスト・クリスマス」は1984年のクリスマスシーズンに向けて、「恋のかけひき」との両A面シングルとしてリリースされた。

ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーがジョージ・マイケルの実家を訪ね、テレビをつけながらリラックスした時間を過ごしていた時、ジョージ・マイケルは子供時代に使っていた部屋に小一時間ほど閉じこもり、この曲を書き上げたのだという。レコーディングは1994年の真夏に行われ、シンセサイザーやシンセドラム、そりの鐘などすべての楽器をジョージ・マイケルが演奏している。気分を盛り上げるため、スタジオをクリスマスのデコレーションで飾りたてたという。

この年のワム!は絶好調で、「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「フリーダム」、ジョージ・マイケルのソロ名義でリリースされた「ケアレス・ウィスパー」が全英シングル・チャートで1位に輝いていた。そして、この曲が4曲目になるかとも思われたのだが、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロがエチオピアの飢饉を救済する目的で立ち上げたプロジェクト、バンド・エイドのシングル「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」がより多くの売り上げを記録したことにより、最高2位に終わった。当時のイギリスやアイルランドの人気アーティストたちが集結したことで話題になったバンド・エイドのシングルには、デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、U2のボノ、ザ・スタイル・カウンシルのポール・ウェラーなどと共に、ジョージ・マイケルも参加していた。

「ラスト・クリスマス」はその後、クリスマスシーズンの定番曲として知られるようになっていくのだが、全英シングル・チャートにも繰り返しランクインし、最初のリリースから36年を過ぎた2021年1月のチャートではついに1位に輝いたのであった。これはリリースから1位になるまでに要した期間の新記録となったのだが、その翌年にはNetflixの人気シリーズ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」で効果的に使用されたことがきっかけでリバイバルヒットしたケイト・ブッシュ「神秘の丘」によって更新された。

アメリカでは公式なシングルとして発売されていなかったため、当時は全米シングル・チャートにランクインしていなかったのだが、後に集計方法が変更され、2016年のクリスマスにジョージ・マイケルが亡くなった後に、初めてランクインを果たしている。

ポップでキャッチーなシンセポップだが、昨年のクリスマス翌日の失恋が歌われていて、その切なげな感じが特徴的でもある。スキー場などで撮影されたミュージックビデオもとても良く、ジョージ・マイケルが演じたキャラクターも新しい恋を見つけ、ハッピーエンドで終わっている。

1. Careless Whisper (1984)

イギリスやヨーロッパ各国ではジョージ・マイケルのソロ名義、アメリカではワム!フィーチャリング・ジョージ・マイケル、そして日本ではワム!のシングルとしてリリースされた。

サックスのイントロがひじょうに印象的なバラードで、それまでのワム!のヒット曲と比べても、大人の音楽リスナーにもじゅうぶんにアピールするであろう楽曲であった。イギリスでは1984年の夏にリリースされ、全英シングル・チャートで1位を記録したが、アメリカにおいても翌年にアルバム「メイク・イット・ビッグ」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで週間のみならず年間1位にまで輝いてしまったのだった。

日本では西城秀樹が「抱きしめてジルバ」、郷ひろみが「ケアレス・ウィスパー」のタイトルで日本語カバーしていた。オリコン週間シングルランキングでの最高位は、それぞれ18位と20位であった。

果たしてこれをワム!の楽曲とすべきなのかという意見もあったりはするのだが、ワム!のアルバム「メイク・イット・ビッグ」に収録されていたり、ソングライティングにジョージ・マイケルのみならずアンドリュー・リッジリーもかかわっていることなどから、ワム!の楽曲ということで良いのではないかという気が個人的にはしている。

ラヴバラードではあるのだが、複数の相手との情事を重ねていることに対する罪悪感のようなものが歌われてもいて、この辺りが楽曲のアダルトなムードにマッチしているように思える。当時はあまりにもヒットしすぎて、やや食傷気味というかさすがにもういいのではないかというような気も正直してはいたのだが、改めて聴いてみると都会的でアダルトなポップ・ミュージックとしてひじょうにクオリティーが高く、あの時代を象徴してもいながらエヴァーグリーンでもあるという、なかなかすごい楽曲であったということが認識できる。