洋楽ロック&ポップス名曲1001:1957

The Everly Brothers, ‘Bye Bye Love’

エヴァリー・ブラザーズの最初のヒット曲で全米シングルチャートで最高2位、全英シングルチャートで最高6位を記録した。

フェリスとダイダリウス・ブーデロウのブライアント夫妻によって書かれたこの曲は、エヴァリー・ブラザーズが取り上げる以前に、約30組のアーティストからボツにされていたという。

この曲をアルバム「明日に架ける橋」でカバーしているサイモン&ガーファンクルは、子供の頃にこの曲のシングルを買うためだけにバスに乗ってレコード店に行ったと語っている。

Jerry Lee Lewis, ‘Whole Lotta Shakin’ Goin’ On’

ジェリー・リー・ルイスの最初のヒット曲で全米シングルチャートで最高3位、全英シングルチャートで最高8位を記録した。

デイヴ・”カーリー”・ウィリアムズとロイ・ホールによって書かれたこの曲は、有名になる前のクインシー・ジョーンズが率いるバンドをバックにしたビッグ・メイベルなど、何名かのシンガーによってすでにレコーディングされていたのだが、ジェリー・リー・ルイスはこれにブギウギ調のピアノを加えるなどして、オリジナルとはかなりテイストが異なったロックンロールクラシックに仕上げて大ヒットさせた。

ワイルドでエキサイティングな演奏スタイルが評判となり、ジェリー・リー・ルイスはロックンロール時代を代表するスターであり重要アーティストの1人として知られることになるのだが、この翌年に13歳のマイラ・ゲイル・ブラウンと結婚していたことが問題視されるなどして、ヒットは途絶えてしまうのであった。

The Crickets, ‘That’ll Be the Day’

バディ・ホリーがザ・スリー・チューンズとまず最初にレコーディングするが、その後で結成したザ・クリケッツによるバージョンが全米シングルチャート、全英シングルチャートのいずれにおいても1位に輝いた。

ビートルズの前身であるリヴァプールのスキッフルバンド、クオリーメンが初めてレコーディングした楽曲の1つとしても知られる。

バディ・ホリーとドラマーのジェリー・アリソンはジョン・ウェイン主演の西部劇映画「捜索者」を一緒に見に行ったのだが、何かを予言したり宣言するたびに「その日が来るさ」と言うのをかなり気に入って、それがこの曲のタイトルになったようだ。

The Everly Brothers, ‘Wake Up Little Susie’

エヴァリー・ブラザーズのヒット曲の1つで、全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートで最高2位を記録した。邦題は「起きろよスージー」である。

最初のヒット曲である「バイ・バイ・ラヴ」と同じくフェリスとブーデロウのブライアント夫妻によって書かれたこの曲は、高校生のカップルがデートをしていて、映画を見ているうちに眠ってしまい、気がつくと門限をとっくに過ぎているという微笑ましい内容なのだが、当時はこれが過激すぎるとして放送禁止になることもあったようだ。

ジョージ・W・ブッシュ元アメリカ大統領がお気に入りの曲に挙げていたり、映画監督のデヴィッド・リンチが初めて買ったシングルだったりもする他に、サイモン&ガーファンクルは1981年に行ったセントラルパークでのライブでこの曲をカバーしたのみならず、日本でもよく売れたライブアルバムからシングルカットもしていた。

Sam Cooke, ‘You Send Me’

ゴスペルグループ、ソウル・スターラーズのリードボーカリストだったサム・クックが、ソロアーティストとしてR&Bに転向して最初にヒットさせた楽曲である。全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートでは最高29位を記録した。

作詞・作曲者はサム・クックの弟であるL.C.クックということになっていたのだが、レーベルとの契約上の問題などからやむなくこうしたところもあるようで、現在ではサム・クックの自作曲として認識されている。

ソフィスティケイトされた音楽性とボーカルがR&Bのリスナーのみならず、ポップスファンにまで広く受け入れられ、後のアーティストたちにも大きな影響をあたえた。

Buddy Holly, ‘Peggy Sue’

バディ・ホリーのヒット曲の1つで全米シングルチャートで最高3位、全英シングルチャートで最高6位を記録した。

ザ・クリケッツではなくバディ・ホリー名義のレコードとして発売されたが、ザ・クリケッツのメンバーも演奏で参加している。

当初はバディ・ホリーの姪にちなんだ「シンディ・ルウ」という曲だったのだが、バンドのドラマーで共作者でもあるジェリー・アリソンが付き合っていた女性の名前から「ペギー・スー」に改題された。

バディ・ホリーはこの曲の続編にあたる「ペギー・スーの結婚」をレコーディングしたのだが、その少し後で飛行機の墜落事故によって亡くなり、その日は「音楽が死んだ日」と呼ばれ、ドン・マクリーン「アメリカン・パイ」のテーマにもなっている。

Elvis Presley, ‘Jailhouse Rock’

エルヴィス・プレスリーが主演した映画「監獄ロック」の主題歌としてリリースされ、全米シングルチャートで7週、全英シングルチャートでは3週にわたって1位を記録した。

エルヴィス・プレスリー「ハウンド・ドッグ」やベン・E・キング「スタンド・バイ・ミー」などでも知られる有名なソングライターコンビ、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによる楽曲で、パワフルでエネルギッシュな魅力がポップソングというフォーマットにおいて遺憾なく発揮されている。

イギリスでは2005年にエルヴィス・プレスリーがもし生きていれば70歳になったことを記念してこのシングルを再リリースすると、全英シングルチャートで2度目の1位を記録することになった。クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」、ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」に続いて史上3曲目であった。

Jerry Lee Lewis, ‘Great Balls of Fire’

ジェリー・リー・ルイスのヒット曲で、全米シングルチャートで最高2位、全英シングルチャートでは1位を記録した。邦題は「火の玉ロック」である。

エルヴィス・プレスリーに多くのヒット曲を提供したオーティス・ブラックウェルとプラターズのメンバーだったこともあるジャック・ハマーによる楽曲で、性愛的なニュアンスにも満ちたエキサイティングなロックンロールだが、ジェリー・リー・ルイスのキャラクターや演奏スタイルには完全にハマっていた。

映画「ジャンボリー」での演奏も大いに話題を呼んで、この曲は大ヒットしたのだが、13歳の女性と結婚していたことに対するバッシングが激しく、人気のピークは長く続かなかった。

それでもロックンロールのパイオニアの1人としての評価は揺らぐことはなく、そのオリジナリティは他の誰にも替えられないものである。

映画「トップガン」とその36年後の続編「トップガン マーヴェリック」において、いずれもこの曲がフィーチャーされている。