邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1975, Part.3

センチメンタル/岩崎宏美(1975)

岩崎宏美の3枚目のシングルで、オリコン週間シングルでは前作「ロマンス」に続き、2曲連続して1位に輝いた。デビューした年に2曲連続で1位になったのは、史上初の快挙だったともことである。作詞が阿久悠で作曲・編曲が筒美京平という、これも前作と同じである。

歌詞では「十七才」であることがやたらと強調されているのだが、元々のタイトルは「感傷的な17才」だったとのことである。結果論にはもちろんなるのだが、「センチメンタル」の方がキャッチーで良かったと思う。

ディスコが日本で世間一般的なレベルにまで知られるようになるまでにはあと数年を要することになったような気もするのだが、アメリカなどではもうすでにポップミュージックのトレンドにもなっていて、筒美京平はいち早くそれを日本の歌謡曲に取り入れたディスコ歌謡を生み出し、それはマイルドにトレンディーであるのと同時に大衆的でもあって、大いに受けたのであった。

なごり雪/イルカ(1975)

イルカの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。

作詞・作曲は伊勢正三で、かぐや姫のアルバム「三階建の詩」に収録された楽曲のカバーバージョンである。

「『東京で見る雪はこれが最後ね』とさみしそうに君がつぶやく」と、春の別れについて歌われている。「今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった」というところもとても良い。

ちなみにこのイルカというアーティスト名なのだが、美術大学のフォクソング同好会時代に多くの人々がギターケースを持って下校する様を見て、「イルカの群れみたい」だと言ったことが由来となっているようである。

ソバカスのある少女/ティン・パン・アレー(1975)

ティン・パン・アレーの最初のアルバム「キャラメル・ママ」に収録された楽曲で、作詞は松本隆で作曲が鈴木茂である。ゲストボーカリストとして、南佳孝も参加している。

ボサノバ的なリズムにのせて、「泣かした事が昔ある」という「ソバカスのある少女」について歌われている。

ティン・パン・アレーは細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆という錚々たるメンバーが参加したユニットで、元々はキャラメル・ママという名前で活動をしていた。

北の宿から/都はるみ(1975)

都はるみの67枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、1976年の年間シングルランキングで3位を記録し、「第18回日本レコード大賞」「第7回日本歌謡大賞」「第9回日本有線大賞」などで大賞を受賞した。作詞が阿久悠で、作曲は小林亜星である。

演歌歌手として数々の楽曲をヒットさせた都はるみの代表曲であり、そのボーカルの魅力を堪能することができる。

「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」「あなた死んでもいいですか」というようなわりと重めなことが歌われているのだが、当時は大人から子供まで国民のほとんどが知っている流行歌として浸透していたような気がする。

函館出身のアイドル歌手、谷ちえ子が1977年のデビュー曲「花の女子高数え歌」で「私の場合は演歌が好きで 寒さこらえてセーターあんでます」などと歌っていた。

眠れぬ夜/オフ・コース(1975)

オフコース(当時はオフ・コース)の3作目のアルバム「ワインの匂い」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高48位を記録した。当時は小田和正と鈴木康博の2人組で活動していた。

「愛に縛られてうごけなくなる なにげない言葉は傷つけていく」という、恋愛のネガティブな側面をテーマにし、「愛のない毎日は自由な毎日」などと歌われている。

ニューミュージックブームでオフコースが一般大衆的にも大ブレイクを果たした後の1980年には西城秀樹がこの曲をカバーして、オリコン週間シングルランキングで最高10位のヒットを記録している。

木綿のハンカチーフ/太田裕美(1975)

太田裕美の4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、1976年の年間シングルランキングでは子門真人「およげ!たいやきくん」、ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」、都はるみ「北の宿から」に次ぐ4位を記録する大ヒット曲となった。作詞は松本隆で、作曲が筒美京平である。

都会に出ていった恋人が変わっていってしまうのを悲しみ、最後のプレゼントに涙を拭くための「木綿のハンカチーフ」をくださいと歌う物語性のある歌詞が特徴であり、昭和歌謡、アイドルポップス、松本隆作品、筒美京平作品、それぞれの最高傑作なのではないかともいわれがちである。

地方と都会とではいずれ感覚の上ではそれほど大差が無くなるのかもしれないのだが、物理的な距離は歴然と存在していて、それはけして簡単に無視できるほどのレベルではないという真実を可視化していたようにも感じられる。

およげ!たいやきくん/子門真人(1975)

フジテレビの子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」で放送されていた楽曲で、オリコン週間シングルランキングで1位なだけではなく、1976年の年間シングルランキングや歴代シングルランキングでも1位を記録し、日本で最も売れたシングルレコードということになっている。

子供や大人のおやつとして知られるたい焼きを主人公にした楽曲で、ある日、たい焼き屋を飛び出して海で泳ぐのだが、結局のところ釣り人に釣られて食べられてしまうという展開がサラリーマンの悲哀をもあらわしている、などと解釈されたりもしていたような気がする。

番組では生田敬太郎が歌うバージョンが当初は放送されていたのだが、途中から子門真人に代わり、レコードも発売された。子門真人は「仮面ライダー」の主題歌「レッツゴー‼︎ライダーキック」をはじめ、特撮ヒーローもの関連の楽曲などをいろいろ歌い、一部ではすでに有名だったシンガーである。

「ひらけ!ポンキッキ」で放送された映像にイラストで登場するたい焼き店店主のモデルになったのは、麻布十番にある浪花屋総本家の元会長だともいわれる。あの店はたい焼きももちろんなのだが、ラードを使用したソース焼そばが絶品だと個人的には思っている。

それはそうとしてこの曲は社会現象的をすら超越するレベルでとにかく売れまくり、当時、北海道の苫前町にまでこの曲をリピート再生しながらたい焼きの移動販売車が出現していたほどである。