邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:90-81

90. 飾りじゃないのよ涙は/中森明菜 (1984)

中森明菜の10枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」などで1位に輝き、1985年のオリコン年間シングルランキングでは6位にランクインした。

井上陽水によって提供された楽曲であり、「私は泣いたことがない」とはじまるインパクトのある歌詞も含め、デビュー3年目にしてすでにトップスターであった中森明菜の新たな魅力を引き出すことに成功している。

この曲のセルフカバーを収録した井上陽水のアルバム「9.5カラット」も大いに売れて、1985年のオリコン年間アルバムランキングではワム!「メイク・イット・ビッグ」を抑えて1位に輝いた。

89. ミッドナイト清純異性交遊/大森靖子 (2013)

大森靖子のアルバム「絶対少女」の収録曲で、当時、モーニング娘。のリーダーであった道重さゆみのことが歌われている。

当時、新進気鋭のシンガー・ソングライターとして注目されていた大森靖子は純粋にハロー!プロジェクトや道重さゆみのファンであり、この翌年にavexからメジャーデビューし、NHKのテレビ番組のスタジオでモーニング娘。からの卒業、芸能活動の無期限休止を目前にしていた道重さゆみと絶妙なタイミングで会うことができた時には、感激のあまり涙を流していた。

この曲には道重さゆみが地元の山口県に住んでいた頃によく行っていたというときわ公園の名前や、ラジオ番組「モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース」で話されていたエピソードを思わせるフレーズなども多く、個人的にこのラジオ番組の書き起こしなどもやっていたことがある身としてはなかなか感慨深いものがあった。実際にこの曲を初めて聴いたのも、大森靖子の存在を知ったのも、このラジオ番組であった。

この曲はアイドルファンのヲタ芸の1つとして知られる、PPPH(パンパパンヒュー)という応援スタイルにも対応していて、アイドルポップス的に盛り上がれるところもとても良い。道重さゆみが芸能活動を再開してからは、楽曲提供やコラボレーションなどをわりと頻繁に行うようになっている。

88. 吐息でネット。/南野陽子 (1988)

南野陽子の11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」では最高2位のヒットを記録した。カネボウ化粧品のCMソングにも起用されていた。

当時の女性アイドルでは中山美穂、南野陽子、工藤静香、浅香唯の人気が特に高く、コンビニエンスストアにもこの4人の写真を印刷したうちわが納品されたりしていた。個人的に当時はすでにもう大人であり、アイドルを追いかけている年齢でもないだろうという自覚があったり、その他の理由でちゃんと見ていたわけではないのだが、南野陽子については特に正統派美少女すぎてほとんど興味を引かれていなかった。

ところがつい数年前、今回のこれのように過去の日本のポップスを振り返っていた時に、当時は相互フォローだったのだが現在は疎遠になってしまったとあるユーザーの方から南野陽子とかどうなんですか、というような質問のようなものを受け、ちゃんと聴いていなかったので改めて聴いてみたところ、なんともいえぬ上品さと個性的なボーカルがとても良く、なぜこれまでちゃんと聴いてこなかったのだろうと激しく後悔したのであった。特にこの曲はかなり良く、「あなたに染まりたいもっと」のところなどには思わず身もだえしてしまうレベルである。

87. Pretender/Official髭男ism (2019)

Official髭男ismの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位、デジタルシングルランキングでは通算5週にわたって1位に輝いた。

令和以降にリリースされた楽曲の中でも特にクオリティーが高く、ポップソングとしての強度はかなりのものである。「グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない」という悲しい諦念は世代を問わずに多くの人々が経験するものだと思うが、この曲の場合は「世界線」という単語の使い方に新しさが感じられる。

86. 雨あがりの夜空に/RCサクセション (1980)

RCサクセションの9枚目のシングルで、代表曲でもあるのだが、オリコン週間シングルランキングにはランクインしていない。

「こんな夜におまえに乗れないなんて こんな夜に発車できないなんて」という歌詞が印象的なこの曲は、実際に忌野清志郎の愛車が雨にやられて走らなくなったエピソードをベースにしているが、これが女性関係のセクシャルなダブルミーニングになっているところがとても良く、やるせないブルージーな気分が最高にロックなのである。

個人的にはアルバム「ラプソディー」収録のライブバージョンの方がかなり好きである。

85. STAY GOLD/Hi-STANDARD (1999)

Hi-STANDARDのアルバム「MAKING THE ROAD」に収録された曲で、バンドにとっての代表曲である。

日本のロックバンドの楽曲ではあるのだが、J-POPとはまったく異なり、歌詞は英語で音楽的にも海外でも通用するメロディアスなパンクロックである。これが日本でもものすごく売れて、アルバムはオリコン週間アルバムランキングで最高3位を記録した。主催したロックフェスティバル、AIR JAMも大盛況で、パンクロックのシーンを日本で定着させた功績はひじょうに大きい。

84. 誘われてフラメンコ/郷ひろみ (1975)

郷ひろみの13枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

日本のポップミュージック史を代表する男性アイドルの1人であり、その中性的なボーカルはワン&オンリーな魅力に溢れている。

楽曲そのものの人気度でいうならばもっと代表曲と呼ぶにふさわしいものは他にもたくさんあるのだが、このボーカルの特異性がわりと強めに生かされているのではないかと感じられるのがこの曲で、「アーアーアアア、アーアアーア」と繰り返された後、「真夏の匂いは危険がいっぱい」と歌うそのボーカルこそがかなり危険である。

83. ミ・アモーレ/中森明菜 (1985)

中森明菜の11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングや「ザ・ベストテン」で1位、1985年のオリコン年間シングルランキングでは、チェッカーズ「ジュリアに傷心」に次ぐ2位を記録した。

松岡直也が提供したラテンフュージョン的な楽曲を、驚くべき表現力で見事に歌いこなした素晴らしいレコードである。歌詞やタイトルなどが異なる12インチ・シングル「赤い鳥逃げた」もこの翌々月に発売され、1位に輝いた。

82. ギブス/椎名林檎 (2000)

椎名林檎の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。

オルタナティヴロック的でありながらJ-POPのメインストリームでもしっかりと売れていた椎名林檎は、当時の音楽リスナーにとってひじょうに刺激的な存在だったわけだが、この曲には「だってカートみたいだから あたしがコートニーじゃない」という歌詞もあり、もちろんニルヴァーナのカート・コバーンとホールのコートニー・ラヴのことなのだが、このあたりも好ましく感じられた。

この曲は椎名林檎が17歳の頃に交際していた相手にあてられていて、カートとコートニーのくだりもニルヴァーナのファンであった彼の影響によるものだということである。「ぎゅっとしていてね ダーリン」のところには、いつも聴いていて胸がしめつけられるような感覚にさせられる。

81. 天体観測/BUMP OF CHICKEN (2001)

BUMP OF CHICKENの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。

「見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」というわけで、この曲がヒットしていた頃、このような何のギミックもない真っ直ぐなロックの曲がちゃんと売れるなんて、なんて健全な時代になったのだろうと感じたことが思い出される。

イントロのギフレーズは流れ星のイメージを、8本のギターを使って表現したものだということである。