邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1977, Part.2

気まぐれヴィーナス/桜田淳子(1977)

桜田淳子の19枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。作詞は阿久悠、作曲は森田公一である。

「去年のトマトは青くて固かったわ だけど如何 もう今年は赤いでしょう」という歌詞は少女から大人の女性へ的な表現ではもちろんあるわけだが、ぼやき漫才の人生幸朗がこれについて「1年経ったら腐っとるわい。責任者出てこい」というようなことを言って、妻で相方の生恵幸子から「何言うてんの。そういう歌やないの!」などとつっこまれていたことが思い出される。

それはそうとして、夏を感じさせる快活なサウンドと良い感じのボーカル、「プピルピププピルア」などというマリリン・モンロー的なスキャットなどもとても良い。

勝手にしやがれ/沢田研二(1977)

沢田研二の19枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは5週にわたり1位、年間シングルランキングでは4位、「第19回日本レコード大賞」「第8回日本歌謡大賞」「第10回日本有線大賞」などで大賞を獲得した。

家を出ていってしまう恋人に対して「勝手にしやがれ」と強がった態度を取るタイプの楽曲であり、タイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画に由来するが、内容は特に関係がない。この年にリリースされたセックス・ピストルズのデビューアルバムの邦題が「勝手にしやがれ!!」だが、発売は沢田研二「勝手にしやがれ」よりも5ヶ月ぐらい遅い。

テレビのパフォーマンスでは沢田研二が間奏で帽子を客席に投げ入れるアクションがお決まりであり、家でこれを真似して親から怒られる子供も少なからずいたような気がする。あとは、「夜というのに派手なレコードかけて 朝までふざけよう ワンマンショーで」というところがなんとなく楽しそうだと思った。作詞は阿久悠で、作曲が大野克夫である。

この翌年にリリースされた山口百恵「プレイバックPart2」では、車のラジオから流れる「ステキな歌」としておそらくこの曲が取り上げられ、「勝手にしやがれ 出ていくんだろう」などと引用されている。また、やはりこの翌年にリリースされたサザンオールスターズのデビューシングル「勝手にシンドバッド」のタイトルはこの曲とピンク・レディー「渚のシンドバッド」を組み合わせたもので、ザ・ドリフターズの志村けんがコントでマッシュアップして使っていた音源に由来している。

SOLID SLIDER/山下達郎(1977)

山下達郎のソロアーティストとしては2作目のアルバム「SPACY」に収録された楽曲で、シングルカットはされていないが、後にベストアルバム「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」に収録されたりもした。

AOR的なサウンドが特徴的な、ファンキーでとてもカッコいい曲である。「SPACY」は現在でこそシティポップの名盤として、2023年にリリースされた最新リマスターを施したアナログ盤も売れまくったのだが、当時の一般大衆的な音楽リスナーにはマニアックすぎたのか、それほど売れてはいなかったようである。

個人的には中学生の頃にヒットした「RIDE ON TIME」で山下達郎のことを知り、その翌々年にリリースされたアルバム「FOR YOU」などは聴きまくったのだが、夏休みの少し前に「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」が出たので旭川のミュージックショップ国原で買って、カセットテープを留萌の海水浴場に持っていき、ラジカセでビーチ・ボーイズのベストアルバムと交互に流し続けた。ビーチ・ボーイズを聴きはじめたきっかけは、早見優が好きだと言っていたことであった。

「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」にはヒットした「RIDE ON TIME」や当時の最新シングル「あまく危険な香り」なども入っていてとても良かったのだが、B面の3曲目に収録されていたこの曲も渋くてとても良いと感じていた。

こぬか雨/伊藤銀次(1977)

伊藤銀次のソロアーティストとしては最初のアルバム「DEADLY DRIVE」やシングル「風になれるなら」のB面に収録された曲である。

元々は伊藤銀次がごまのはえというバンドをやっていた頃につくった曲に、山下達郎とアイデアを出し合った歌詞を付け、一時的にメンバーとして在籍もしていたシュガー・ベイブのレパートリーになっていたのだが、ソロアーティストとしての楽曲として発表するにあたって、歌詞は書き直されている。

「ここにはスコールさえもない 表はそぼ降るこぬか雨さ」というフレーズが印象的なのだが、これは欧陽菲菲「雨の御堂筋」から影響を受けたものでもあるという。スローでドリーミーな感じがとても良く、シティポップの名曲としても再評価されがちである。坂本龍一がキーボードとホーン&ストリングスアレンジ、大貫妙子がコーラスとコーラスアレンジで参加している。

サブタレニアンふたりぼっち/佐藤奈々子(1977)

佐藤奈々子のデビューアルバム「Funny Walkin’」の1曲目に収録された楽曲である。作詞は佐藤奈々子、作曲は佐藤奈々子とデビュー前の佐野元春との共作、編曲は大野雄二となっている。

ウィスパー気味でアンニュイなボーカル、ビート文学などからの影響も感じさせられるかと思えば、「愛をつきさしてみたい」というようなフレーズにハッとさせられたもする歌詞など、シティポップ的ではあるのだが、そこから少しはみ出しているようなところがとても良い。

タイトルの「サブタレニアン」は「地下」という意味の英語であり、ボブ・ディランやジャック・ケルアックを思い起こさせるし、歌詞に出てくる「コニーアイランド」はこの前の年にリリースされたルー・リード「コニー・アイランド・ベイビー」からの連想かとか、そういえばコーラスにも「ワイルド・サイドを歩け」からの影響が感じられなくもない。

暑中お見舞い申し上げます/キャンディーズ(1977)

キャンディーズの14枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。作詞は喜多條忠、作曲は佐瀬寿一である。

「なぜかパラソルにつかまり あなたの街まで飛べそうです」というわけで、夏の魔法のようなものが感じられもするご機嫌なポップソングで、マイルドにセクシーなボーカルはもちろん、ホーンやロック的でもあるギターが効果的に用いられたアレンジ、一時的にハワイアン的になるところなど、本当に楽しい。

そして、この曲がヒットしている最中のコンサート会場でキャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」と、突然の解散発表を行うのであった。

気絶するほど悩ましい/Char(1977)

Charの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。作詞は阿久悠で、作曲は梅垣達志である。

高校生の頃からスタジオミュージシャンとして活動し、ロックバンド、スモーキー・メディスンの中心メンバーとしても注目された後のソロデビューであった。

世良公則、原田真二とのロック御三家として知られるなど、ニューミュージック時代のアイドル的にも見られがちだったが、この曲は特に歌謡ポップスに寄せているようにも感じられる。とはいえ、AOR的な感覚とのバランスが絶妙であり、「うまく行く恋なんて恋じゃない」というフレーズも印象に残った。

イミテイション・ゴールド/山口百恵(1977)

山口百恵の18枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。阿木燿子・宇崎竜童コンビによってつくられた楽曲である。

「声が違う 年が違う 夢が違う ほくろが違う」と、去年の恋人のことが忘れられず、どうしても比べてしまう、というようなことが歌われている。「ア・ア・ア イミテイション・ゴールド」と吐息を連想させる唱法を含め、明らかに性愛を匂わせているところもとても良い。

個人的にこの曲がヒットした夏には小学生だったのだが、ラジオや海水浴場などでよくこの曲を聴く度に、なんとなくドキドキしていたことが思い出される。

都会/大貫妙子(1977)

大貫妙子のソロアーティストとしては2作目のアルバム「SUNSHOWER」に収録された曲である。当時、アルバムから先行シングルとしてリリースされたのは「サマー・コネクション」だったが、後にシティポップスの名曲として知られるようになるのは、この「都会」の方であった。

シティポップの名曲なのだから、タイトルにもなっている「都会」を魅力的に描いているのかと思いきや、「値打ちもない華やかさに包まれ 夜明けまで付き合うというの」、さらには「その日暮らしは止めて 家へ帰ろう 一緒に」などと歌われている。音楽的にはマーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイング・オン」などからの影響が感じられる。

2014年にバラエティー番組「Youは何しに日本へ?」で、「SUNSHOWER」のアナログレコードを求めてアメリカからはるばる日本にやって来た男性が取り上げられた。この回は日本のシティポップが海外の音楽ファンの間で高く評価されていることを広く知らしめるきっかけとなり、日本国内でもシティポップのリバイバルがこれ以降、進行していったような印象がある。