邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1983, Part.1

STILL I LOVE YOU/安部恭弘(1983)

安部恭弘の2作目のシングル「CAFE FLAMINGO」のB面に収録された曲である。

シングルB面曲ではあるのだが、稲垣潤一や寺尾聰の楽曲と同様にヨコハマタイヤのテレビCMに使われていたことで、聴いたことがある人たちはわりと多かったような気がする。

シティポップ的ながサウンドとボーカルではあるのだが、松本隆による歌詞がマイルドにハードボイルでもあり、そこがとても良い(「線路に倒れた俺を抱き起して泣きじゃくる君」など)。

個人的には1983年の夏休みに留萌の親戚の家に遊びにいった時に、ローカルなレコード店で稲垣潤一「エスケイプ」目当てで買った「MODERN WAVE Ⅱ」というコンピレーションアルバムにこの曲も収録されていた記憶がある。

当時は山下達郎や大滝詠一というよりは、このあたりの音楽のことをシティポップと呼んでいたような気がする。

う、ふ、ふ、ふ/EPO(1983)

EPOの5作目のシングルでオリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」共に最高7位のヒットを記録した。

資生堂のCMソングとして起用されたことがヒットの要因ではあったのだが、たまらなくポップでキャッチーな楽曲であり、聴いているだけで元気が出る感じを収録アルバム「VITAMINE E・P・O」がよく表している。

春めいた気分を感じさせる楽曲としてよく知られていて、資生堂のCMソングとしてヒットした後もキリンビール、江崎グリコ、日本マクドナルドをはじめ様々な企業のCMで使われている。

初恋/村下孝蔵(1983)

村下孝蔵の5作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」では最高位が7位であるにもかかわらず年間ランキングでは6位に入るロングヒットとなった。

「好きだよと言えずに初恋はふりこ細工の心」と歌われているように、多くの人々の記憶にあるのかもしれない遠い日の淡く切ない想いを呼びさますような楽曲である。

当初はまったく別の歌詞が付いていたということなのだが、プロデューサーの須藤薫が三田寛子をイメージして、放課後の校庭をイメージしたものに書き直してもらったようである。

三田寛子によるカバーバージョンも後にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高56位を記録した。

ファイト!/中島みゆき(1983)

中島みゆきのアルバム「予感」に最後の曲として収録された7分以上にもおよぶ楽曲である。当時シングルカットはされなかったのだが、わりと話題になっていたような気がする。

「あたし中卒やからね 仕事をもらえへんのやと書いた女の子の手紙」は「中島みゆきのオールナイトニッポン」に届いたものだとも思われるのだが、それがすべてであるかのような説は中島みゆき自身について否定されている。

「ファイト!闘う君の唄を闘わない誰かが笑うだろう」というフレーズが印象的なこの楽曲は世の中の様々な理不尽などに耐えたり抗ったりしながら生きている人たちへの応援歌となっている。

1994年にはテレビドラマ「家なき子」の主題歌にも使われていた「空と君とのあいだに」との両A面シングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。

君に、胸キュン。/イエロー・マジック・オーケストラ(1983)

イエロー・マジック・オーケストラの7作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」で最高3位のヒットを記録した。

この時点においてテクノブームはすでに終息して久しかったのだが、テクノポップが歌謡曲や流行歌にあたえた影響はひじょうに大きく、後にテクノ歌謡と呼ばれることになる様々な楽曲がイエロー・マジック・オーケストラのメンバーやそれ以外の人たちによって次々とつくられていた。

そして、まだ公表はしていなかったもののすでに解散ならぬ散開を決めていたイエロー・マジック・オーケストラが自らテクノ歌謡曲化したともいえるのが、カネボウ化粧品のCMソングでもあったこの曲である。坂本龍一はこの前の年にライバル企業である資生堂のCMソングとして忌野清志郎との「い・け・な・いルージュマジック」を大ヒットさせてもいた。

「かわいいおじさんたち」のコンセプトを具現化したかのようなミュージックビデオも、実に味わい深くてとても良い。

一本の音楽/村田和人(1983)

村田和人の3作目のアルバムでオリコン週間シングルランキングにはランクインしなかったが、当時、カセットテープのCMソングとしてよく流れていたことと、オリコン週間アルバムランキングで最高28位を記録した山下達郎プロデュースのアルバム「ひとかけらの夏」からの先行シングルということでわりと話題になっていたような気がする。

「一本の音楽が僕の旅のパスポート」などという安藤芳彦による歌詞はカセットテープのCMタイアップありきの内容であり、旅先にお気に入りの音楽を録音したカセットテープとウォークマンなどのヘッドフォンステレオを持っていくイメージである。プロデューサーを務めた山下達郎が「RIDE ON TIME」でブレイクしたのと同じ、マクセルのCMであった。

シティポップ的ではあるのだが、より雄大なスケール感も感じられたりしてとても良い。

め組のひと/ラッツ&スター(1983)

シャネルズがラッツ&スターに改名してから最初(通算10作目)のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」のいずれにおいても1位に輝いた。

資生堂のCMソングでアイシャドーも宣伝していたことから、「め組のひと」の「め」は「目」のことであり、「涼し気な目もと流し目 eye eye eye」とも歌われている。作詞の麻生麗二は売野雅勇の別名である。正式なタイトルは「め組のひと」の「め」が円で囲まれていて、江戸時代の消防団(町火消し)に由来していると思われる。

ファンカラティーナを取り入れたポップでキャッチーな曲調と、「めッ!」のところで目のところで横ピースをつくるポーズも印象的であった。2018年には倖田來未による2010年のカバーバージョンにのせて、このポーズをする動画をTikTokにアップロードするのが若者たちの間で流行したりもした。

夏色のナンシー/早見優(1983)

早見優の5作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高7位、「ザ・ベストテン」では最高4位を記録した。

静岡県生まれだがハワイで生活していた頃に現地でスカウトされたことがきっかけでデビューした帰国子女で、英語の発音がとても良いのが印象的であった(後に「早見優のアメリカン・キッズ」など英会話学習番組の司会も務める)。

個人的にはファンクラブに入るぐらいに大好きであり、早見優が大好きな音楽として挙げていたことをきっかけにビーチ・ボーイズを聴きはじめたりもした。ウェットさをほとんど感じさせないキャラクターがとても良いと思っていたのだが、なんとなく辛気くさいシングルが続いたりもしていて、大きなヒット曲は生まれていなかった。

その状況を変えたのが、自身が出演していたコカ・コーラのCMソングでもあった「夏色のナンシー」であった。筒美京平によるポップでキャッチーな楽曲であり、歌いだしの「恋かな Yes! 恋じゃない Yes!」(作詞はでデビュー当時の松田聖子の楽曲も手がけた三浦徳子)の時点でつかみは完璧であり、英語詞のところも発音がとても良い。

この曲がヒットした後、ベストテンの常連となり、中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美などと共に「花の82年組」として80年代前半のヒットチャートを彩っていく。ノリながらどこか冷めているように見えなくもないようなところにも、個人的には良さを感じていた。

2020年にテレビを見ていると「日清シーフードヌードル」のCMに早見優自身が歌っていると思われる「夏色のナンシー」の替え歌が使われていて、「イカかな Yes! イカじゃない Yes!」などと歌われていて味わい深かったのだが、最後に早見優が日清シーフードヌードルをすする映像が流れ、感激した記憶がある。

時をかける少女/原田知世(1983)

原田知世の3作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」で最高3位(日本テレビ系の「ザ・トップテン」では1位)を記録している。

筒井康隆の小説を原作とした原田知世の主演映画「時をかける少女」のテーマソングである。主演女優が主題歌を歌ってヒットするパターンは角川映画の先輩、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」を踏襲したように思える。あの曲は元々は来生たかおが「夢の途中」として歌う予定だったのを、監督の一存で急遽、薬師丸ひろ子が歌うことになって、来生たかおの姉で作詞を手がけていた来生えつこが激怒したというエピソードもあるのだが、「時をかける少女」は原田知世が姉の影響でその作品をよく聴いていたという松任谷由実によって提供された。

原田知世のレコードデビューは1982年なのだが「花の82年組」として語られることはあまりなく、それは角川映画の女優だというい印象の方が強いからかもしれないのだが、アイドル歌手として本格的にブレイクしたのもこの曲からであった。

そのボーカルパフォーマンスはけして技巧的ではないのだが、圧倒的ともいえる透明感やナチュラルさによって、楽曲のメッセージを無意識過剰的にも表現しているように思える。それはとても大切な人の不在ということなのだが、その意味の深さは聴き手が置かれている状況によっても様々であり、そういった意味でも邦楽ポップミュージック史における屈指の超名曲の1つだということができる。