松田聖子「青い珊瑚礁」【Classic Songs】

1980年9月18日は木曜日だったので、もちろん夜9時からTBSテレビ系では「ザ・ベストテン」が放送されていたのだが、この日の放送で松田聖子「青い珊瑚礁」が田原俊彦「哀愁でいと」を抜いて、初の1位に輝いたのであった。夏のイメージがひじょうに高い楽曲だったにもかかわらず、ヒットのピークは意外にも秋だったということになる。しかも、この後、3週連続での1位となり、八神純子「パープルタウン」にその座を明け渡したのは10月9日の放送においてであった。

それにしても、田原俊彦「哀愁でいと」と松田聖子「青い珊瑚礁」の1位争いは、フレッシュアイドルの時代が到来したことを鮮烈に印象づけていたような気もするのだが、この当時はまだたまたまこの2人が売れているだけのようにしかおもわれていなかったかもしれない。70年代後半はとにかくニューミュージックが全盛だったうえに、歌謡ポップスの世界でも沢田研二、山口百恵、西城秀樹、郷ひろみなどといったビッグスターたちの人気がひじょうに高かったこともあり、フレッシュアイドルにとってはブレイクすることがなかなか難しかったような印象がある。

山口百恵が結婚、引退を発表したのは1980年3月7日、東京プリンスホテルで開かれた記者会見においてであった。その週の「ザ・ベストテン」では、クリスタルキング「大都会」が1位であった。それ以降、マスコミではポスト山口百恵は一体、誰なのかという話題が盛り上がってもいて、それがフレッシュアイドルのブレイクを期待するムードを高めたところがあるのかもしれない。それとはまた別に、80年代は沢田研二が落下傘を背負ったド派手な衣装で歌っていた、糸井重里が作詞をした「TOKIO」で幕を開けた印象があるのだが、時代が一気にライトでポップなものを志向しはじめたような雰囲気もあった。YMOことイエロー・マジック・オーケストラの社会現象的ともいえる大ブレイクや、漫才ブームなどもこの年に起こっている。山下達郎の「RIDE ON TIME」がカセットテープのCMソングとしてお茶の間に流れ、このシティ・ポップ的な楽曲がオリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録したりもした。

松田聖子のデビューシングル「裸足の季節」はこの年の4月1日に発売され、オリコン週間シングルランキングで最高11位を記録した。資生堂エクボ洗顔フォームのCMソングでもあり、「えくぼの秘密あげたいわ」というフレーズが印象的なのだが、CMに出演していたのは松田聖子ではなく山田由紀子であった。松田聖子にはえくぼができなかったためだともいわれている。「ザ・ベストテン」でランキング圏外ではあるのだが、注目すべき曲を紹介する「今週のスポットライト」のコーナーに、松田聖子はやはりこの年にデビューした岩崎良美と一緒に出演している。松田聖子は「裸足の季節」、岩崎良美は2作目のシングルとなる「涼風」を歌った。人気歌手、岩崎宏美の実の妹としても大いに話題になっていた岩崎良美はポスト山口百恵の有力候補とも見なされていたような気がする。その後、岩崎良美「涼風」は7月17日の「ザ・ベストテン」に10位で初登場するのだが、松田聖子「裸足の季節」は最高12位に終わっていた。

ところで松田聖子の2作目のシングル「青い珊瑚礁」が発売されたのは1980年7月1日であり、「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に出演した2日前のことであった。すでに最新シングルといえば「青い珊瑚礁」だったのだが、ランキングにはまだ入っていなかったため、「裸足の季節」を歌ったのだろうか。ちなみにこの「青い珊瑚礁」もオリコン週間シングルランキングでの最高位は87位とそれほど高くはなく、翌週には29位にジャンプアップしたものの、その後はじわじわと順位を上げていき、最高位の2位に到達したのは9月8日付のランキングにおいてであった。4週連続で2位を記録するのだが、最初の3週は長渕剛「順子」が1位で、4週目には田原俊彦の2作目のシングル「ハッとして!Good」が1位になっていた。「ハッとして!Good」はグリコアーモンドチョコレート、セシルチョコレートのCMソングにもなっていて、映像では田原俊彦と松田聖子という旬のフレッシュアイドルが共演してもいたのであった。ひじょうに爽やかで微笑ましい映像ではあったのだが、松田聖子の事務所には嫉妬した田原俊彦のファンからカミソリ入りの封筒が送りつけられたという噂もあった。松田聖子が初めてオリコン週間シングルランキングで1位に輝くのは、この次のシングル「風は秋色/Eighteen」によってであった。

「青い珊瑚礁」が「ザ・ベストテン」に初登場したのは8月14日の放送においてであり、札幌からの移動中だったため、羽田空港からの生中継となった。このシーンが当時の視聴者にはひじょうに印象にのこってはいたのだが、中継にはかなりの困難があったともいわれる。そして、それから5週後の9月18日の放送において、ついに1位に輝くわけだが、番組では福岡県久留米市の実家から母親の手づくりの弁当をお祝いに届けるという最高の演出を見せたのだった。さらに母が中継で登場すると、感激して思わず「お母さ~ん」と泣き叫んでしまった。この件は「ザ・ベストテン」の名場面としても知られるようになるわけだが、アンチ的なタイプの人たちにとっては「かわい子ぶりっ子」のレッテル貼りをはかどらせることにもつながっていった。

それにしても、当時は流行歌としてカジュアルに親しんでいたにすぎなかったこの曲を後に同じ年の他のヒット曲と一緒にコンピレーションCDで聴いてみたところ、演奏も松田聖子の伸びのあるボーカルも音楽的にひじょうにクオリティーが高いことに気づかされ、あの大ヒットとブレイクには必然性があったのだとも感じたのであった。個人的には当時、松田聖子の存在を好意的に感じてはいたものの、レコードを買うほどではまだなかったのだが、旭川の玉光堂というレコード店で何かのレコードを買った時にアーティストのステッカーがもらえるというキャンペーンがあって、その時に思わず松田聖子のを選んでしまうという感じではあった。この年の夏に、ブルック・シールズが主演した「青い珊瑚礁」という恋愛映画が公開されていたことも思い出される。