ウィーザー「バディ・ホリー」について。

バディ・ホリーは1950年代のロックンロール黎明期において重要な役割を果たしたアーティストの1人で、「ザットル・ビー・ザ・デイ」「ペギー・スー」などをはじめとするヒット曲の数々やビートルズへの音楽的影響、エルヴィス・コステロや佐野元春にも見られるメガネをかけたロックンローラーのイメージや、しゃくりあげるように歌うヒーカップ唱法などで知られるのだが、1959年にツアー中の飛行機事故によって若くして亡くなっている。この日のことを「音楽が死んだ日」として取り上げて大ヒットしたのがドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」で、後にマドンナもカバーしていた。ちなみに私が初めてバディ・ホリーの名前を知ったのは、佐野元春「悲しきRADIO」の歌詞によってであった。

それから35年後、つまり1994年の9月7日、バディ・ホリーが生きていたとすれば58歳の誕生日であった。この日、アメリカのオルタナティヴ・ロック・バンド、ウィーザーが「バディ・ホリー」というタイトルのシングルをリリースした。デビュー・アルバム「ウィーザー(ザ・ブルー・アルバム)」の収録曲としてすでにその約4ヶ月前には発表されていたのだが、「アンダン~ザ・スウェター・ソング」に続く2枚目のシングルとしてカットされ、アメリカのモダン・ロック・トラックス・チャートで最高2位、全英シングル・チャートで最高12位を記録した。

この年のイギリスではオアシスのデビュー・アルバムとブラー「パークライフ」がアルバム・チャートで1位に輝き、スウェード、パルプ、マニック・ストリート・プリーチャーズといったバンドも充実したアルバムをリリースしたことから、ブリットポップがひじょうに盛り上がった印象が強いのだが、他のジャンルでも後に歴史的名盤とされる作品がいろいろ出ていた。トリップホップではポーティスヘッド「ダミー」やマッシヴ・アタック「プロテクション」、シンガー・ソングライターではジェフ・バックリィ「グレース」、アメリカのオルタナティヴ・ロックではグリーン・デイ「ドゥーキー」、ウィーザー「ウィーザー(ザ・ブルー・アルバム)」などである。

ニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなったのがこの年の4月で、その数日後にオアシスのデビュー・シングル「スーパーソニック」がリリースされている。グランジ・ロックの陰鬱さのようなものとポップでキャッチーなブリットポップとの対比を感じていたのだが、実はアメリカのオルタナティヴ・ロックにおいてもこの後にブレイクしたのはグリーン・デイやウィーザーのようなポップでキャッチーな音楽性を持つバンドだったことが思い出される。

ウィーザーの音楽性というのはオルタナティヴ・ロックにパワー・ポップの要素を絶妙にブレンドしたようなもので、実に分かりやすいところが魅力のように思える。日本のパンク・ロック・バンド、銀杏BOYZの「あいどんわなだい」では、「純情可憐な君」とやりたいことの一つとして、「杏仁豆腐食べたい」「手裏剣なげたい」と並んで「weezer聴きたい」が挙げられているのだが、それも納得というところである。

「バディ・ホリー」という曲はウィーザーの楽曲の中でもおそらく世間一般的に最も知られているのだが、ポップでキャッチーな魅力が溢れまくっていて、初めて聴いてすぐに好きになる人達も多いのではないだろうか。しかし、当時、フロントマンでソングライターのリヴァース・クオモはこの曲があまりにもキャッチーすぎて、アルバムの中で浮いてしまうのではないかとか、ノベルティー・ソング的に捉えられるのではないかなどと思い、収録したくはなかったという。この曲の収録を強く推したのが、プロデューサーのリック・オケイセックだったようだ。70年代後半から80年代にかけてヒット曲を連発したニュー・ウェイヴ・バンド、ザ・カーズの中心メンバーだった人である。

とてもポップでキャッチーなこの曲だが、歌詞の背景となったのはけして明るい状況ではない。当時、リヴァーズ・クオモにはアジア系の女性の友人がいたが、周囲の人々からからかわれることも多く、自分が彼女を守らなければいけないというような思いが歌詞に反映しているという。「奴らはどうして僕のガールフレンドをディスるんだ」ではじまり、「人が僕たちのことをどう言おうと気にしないよ。そんなことは気にしないさ」というフレーズもある。自分と彼女がバディ・ホリーと女優でコメディアンのメアリー・タイラー・ムーアのようだと歌い、これがタイトルにもなっているのだが、曲が書かれた当初はここがミュージカル映画で活躍したフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースだったという。このバージョンは「アローン-ウィーザー・アナザー・トラックス」というアルバムに収録されている。

スパイク・ジョーンズが監督をしたミュージックビデオにはオールディーズな感覚があり、この曲にもとても合っているように思えるのだが、1970年代にアメリカで大ヒットしたテレビ番組「ハッピーデイズ」のセットをモチーフにしているという。この番組は日本でも「全米人気No.1!青春ロック!ハッピーデイズ」というタイトルで東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が一時期、放送していたようなのだが、どれぐらいの知名度があったのだろうか。