The 500 Greatest Songs of All Time : 270-261
270. Free Nelson Mandela – The Soecial A.K.A. (1984)
スペシャルA.K.A.のアルバム「イン・ザ・スタジオ」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。
当時、アパルトヘイト(人種隔離政策)に反対したことによって不当に投獄されていたネルソン・マンデラの釈放を要求するプロテストソングである。
スペシャルズからテリー・ホールをはじめ3人のメンバーが脱退しファン・ボーイ・スリーを結成したのだが、ジェリー・ダマーズなど残されたメンバーらがスペシャルA.K.A.として活動を続けていた。
女性コーラスのうちの1人は後にソウル・Ⅱ・ソウルのボーカリストやソロ・アーティストとしても活躍するキャロン・ウェーラーである。
269. Race for the Prize – The Flaming Lips (1999)
ザ・フレーミング・リップスのアルバム「ザ・ソフト・ブレティン」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高39位を記録した。
以前はより前衛的で難解な音楽をやっていた印象もあるザ・フレーミング・リップスが、このアルバムではひじょうに分かりやすくなっていて、より多くのリスナーにアピールすることになった。
きらびやかでポップなサウンドが印象的なこの曲は、科学者同士の競争というポップソングとしてはなかなかユニークなテーマを扱っている。
とある日本語のサイトで結婚披露宴のBGMにふさわしい曲として挙げられているのを見て、おそらく曲の雰囲気だけで選ばれていたと思われるのだが、こういった受容のされ方もまたポップソング冥利には尽きるわけであり、乙なものといわざるを得ない。
268. Rockafeller Skank – Fatboy Slim (1998)
ファットボーイ・スリムのアルバム「ロングウェイ・ベイビー‼︎」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高6位を記録した。
ファットボーイ・スリムことノーマン・クックはかつてインディー・ロックバンド、ハウスマーティンズのメンバーであり、その後もビーツ・インターナショナルやフリークパワー、ピザマンといったアーティスト名においてヒット曲を出し続けていた。
ファットボーイ・スリムはビッグ・ビートと呼ばれるブレイクビーツを強調した電子音楽の代表的アーティストとしてひじょうに人気があり、リミキサーとしても大人気だった。日本ではお笑いコンテスト番組「M-1グランプリ」で芸人が登場する時の出囃子的な音楽の人としても有名である。
この曲については連呼される「ファンク・ソウル・ブラザー」というフレーズや、サーフ・ロック的なギターのフレーズなども特に印象的である。
267. Formation – Beyoncé (2016)
ビヨンセのアルバム「レモネード」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高10位を記録した。
2016年2月7日にミュージック・ビデオと共に突然発表され、その翌日にはスーパーボウルのハーフタイムショーで、新曲としてパフォーマンスされた。
アフリカ系アメリカ人としての誇りが歌われ、レイシズムを告発した、ひじょうに価値あるポップソングであり、この曲とビデオや収録アルバムは、ビヨンセのアーティストとしての重要性を飛躍的に高めていったように思える。
266. Animal Nitrate – Suede (1993)
スウェードのデビュー・アルバム「スウェード」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートでは最高7位とバンドにとって最初のトップ10ヒットとなった。
タイトルは亜硝酸アミルという薬物の名前とかかっていて、ドラッグの服用を含む淫靡な世界観が展開されている。スウェードは当時のイギリスのインディー・ロック系メディアの話題を独占していて、デビュー・アルバムは全英アルバム・チャートで初登場1位に輝き、史上最も速く売れたデビュー・アルバムなどともいわれていたような気がする。
スウェードのブレイクをきっかけになんとなくイギリスのインディー・ロックがまた盛り上がっているという感じになり、翌年にはオアシスのデビューやブラー「パークライフ」の大ヒットなどによって、ブリットポップが本格的にムーヴメント化していく。
とはいえ、個人的にはスウェードと現在ではブリットポップに分類されないことが多いマニック・ストリート・プリーチャーズのポップでありながら適度に暗くもあるところが特に好みではあった。
265. You’ve Lost That Lovin’ Feelin’ – The Righteous Brothers (1964)
ライチャス・ブラザーズが1964年11月にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。
邦題は「ふられた気持」だが実際にはふられたというよりも、気持ちが冷めてしまったというニュアンスが近いような気もする。
フィル・スペクターがプロデュースしているので、やはりウォール・オブ・サウンドなドラマチックな感じになっていてとても良い。
シラ・ブラックやディオンヌ・ワーウィックによるカバーバージョンもヒットしていたようなのだが、個人的にはダリル・ホール&ジョン・オーツのバージョンをライチャス・ブラザーズのオリジナルよりも先に聴いた。日本では「キッス・オン・マイ・リスト」のシングルB面に収録されていたからである。
264. Some Velvet Morning – Nancy Sinatra & Lee Hazelwood (1967)
ナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッドのデュエットソングで、全米シングル・チャートでは最高26位を記録した。
フランク・シナトラは娘であるナンシーのアーティストとしてのブレイクに力を貸してほしいとリー・ヘイゼルウッドに依頼をするのだが、その期待にじゅうぶんすぎるほど応え、ナンシー・シナトラはリー・ヘイゼルウッドの曲でヒットを連発する。さらにはいくつかのデュエットソングもリリースし、ついにはデュエットアルバム「ナンシー&リー」までリリースしてしまい、これがとても良い。
この曲はおそらくラヴソングのようではあるのだが、世界観がひじょうに感覚的であり、意味がよく分からない。しかし、そこが魅力でもある。後にプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーとファッションモデルのケイト・モスがデュエットしたバージョンなどもリリースされた。
263. Faster – Manic Street Preachers (1994)
マニック・ストリート・プリーチャーズのアルバム「ホーリー・バイブル」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高16位を記録した。
人気メンバーのリッチー・エドワーズが失踪する前の最後のアルバムであり、テンションはひじょうに高く、音楽的にはポスト・パンクやニュー・ウェイヴからの影響が感じられる。この前のアルバム「ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル」がハードロック的すぎてやや失望しかけたリスナーを取り戻して余りある実に素晴らしいアルバムであった。
マニック・ストリート・プリーチャーズが国民的人気バンドともいえるような支持を得るのはリッチー・エドワーズの失踪を乗り超え、3人組バンドとして再生してからなのだが、音楽的な真のピークはこの時期なのではないかという意見もあり、そのエッセンスが凝縮されているのがこの曲だといえる。
「ホーリー・バイブル」のレコードは同じ頃にリリースされたオアシスのデビュー・アルバムと一緒に西新宿にあったラフ・トレード・ショップで買ったことが思い出される。ピクチャー・ディスクだったはずである。
262. Typical Girls – The Slits (1979)
イギリスのニュー・ウェイヴ・バンド、ザ・スリッツの代表曲で、全英シングル・チャートでは最高60位を記録した。カップリング曲として収録された、マーヴィン・ゲイ「悲しいうわさ」のカバーもとても良い。この曲を収録したアルバム「カット」も最高である。
音楽的にクールで最高にカッコよく、これこそがニュー・ウェイヴという感じなのだが、曲の内容もいわゆる女の子らしさのようなものを押しつけられることに対する異議申し立てになっていてとても良い。
261. Love It If We Made It – The 1975 (2018)
The 1975のアルバム「ネット上の人間関係についての簡単な調査」からの先行シングルで、全英シングル・チャートでは最高33位を記録した。
ひじょうに多様なタイプの楽曲をやっているバンドではあるのだが、そこにメッセージ性があるところがとても良く、この曲などはその最たるもののように感じられる。
かつてのあらかじめ失われた世代どころではないぐらいの絶望と戦わざるをえないかもしれないいまどきのヤング・ジェネレーションなわけだが、それでいてペシミズムや韜晦的なアティテュードに陥るのではなく、ポジティヴなメッセージを発することこそがポップ・カルチャーの存在意義のひとつではないかとも思え、そういった意味ではまあまあ希望のような気もする。