The 500 Greatest Songs of All Time : 310-301

310. Acquiesce – Oasis (1995)

オアシスのシングル「サム・マイト・セイ」のB面に収録された曲だが、人気と評価はひじょうに高い。

ノエル・ギャラガーはデビュー・アルバム「オアシス」のレコーディングに向かう途中、電車が遅延している間にこの曲の一部を書いたという。「黙認」を意味するタイトルの「アクイース」という単語は、その時に誰かが電話で話していた会話に出てきたのを拝借したとのこと。

コーラスにおけるギャラガー兄弟のかけ合いが印象的で、私達はお互いを必要とし合い、信じ合っているというような歌詞を含め、兄弟の絆について歌われているように思われがちだが、実際にはより広い意味での友情をテーマにしたものだという。

ミュージック・ビデオでももちろんオアシスの音源が使われているのだが、出演しているのは日本人のバンドである。

309. Leader of the Pack – The Shangri-Las (1964)

シャングリラスが1964年9月にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。当時の邦題は「黒いブーツでぶっとばせ」である。

暴走族的なグループにリーダーであるイカした男の子に恋をして付き合うのだが、親からの反対によって泣く泣く別れを告げることになり、悲しみに暮れた彼はバイクで暴走し、そのまま事故死してしまうという内容である。

イギリスのラジオでは放送禁止になったが、全英シングル・チャートでは最高11位を記録した。放送禁止になった背景には映画「さらば青春の光」でも描写されているモッズとロッカーズの対立を刺激しないかという懸念もあったのではないかといわれている。その後、1972年に最高3位、1976年に最高7位と1970年代に2回リバイバルしている。

この曲のレコーディングには無名時代のビリー・ジョエルもピアニストとして参加していたようなのだが、何せいくつものバージョンが録音されたため、レコードになったのが自分の演奏なのかについては確証がないということである。

1985年にはヘヴィーメタルバンドのトゥイスティッド・シスターズがカバーしていた。

308. True Faith – New Order (1987)

ニュー・オーダーが1987年7月にリリースしたシングルで、初のベストアルバム「サブスタンス」にも新曲として収録された。全英シングル・チャートで最高4位、全米シングル・チャートにもこの曲で初めてランクインし、最高32位を記録した。

バーナード・サムナーによる歌詞はドラッグ体験をテーマにしたものでもあったが、この曲のポテンシャルを確信していたプロデューサー、ステファン・ヘイグのアドバイスで少し書き直されている。しかし、ライブではオリジナルの歌詞で歌われることも多いようだ。

ニュー・オーダーは音楽性をよりダンス・ミュージック寄りにシフトしていた時期で、ベーシストのピーター・フックがこれに抵抗気味であったことなどにより、メンバー間のムードは険悪だったという。

「オールナイトフジ」の水着ファッションショー的なコーナーでもBGMとして使われていた記憶がある。ミュージックビデオはこの曲のビデオに合わせて前衛的な見た目の人同士が殴り合ったり、並んで後ろ向きに飛んだりするという、クセが強めのものとなっている。

307. Hong Kong Garden – Siouxsie & The Banshees (1978)

スージー&ザ・バンシーズのデビュー・シングルで、全英シングル・チャートで最高7位を記録した。邦題では「香港庭園」と漢字表記される。

タイトルはかつて実在した中華料理店に由来しているが、そこではスキンヘッドの人種差別主義者たちが店で働いている中国人たちに嫌がらせをすることがあり、それを見てスージー・スーは心を痛めていたという。

イントロなどで聴くことができるオリエンタルなフレーズと全体のニュー・ウェイヴ感が絶妙にマッチした、とても良い楽曲であり、ソニック・ユースのサーストン・ムーアもお気に入りの1曲に挙げている。

306. What a Fool Believes – The Doobie Brothers (1978)

ドゥービー・ブラザーズのアルバム「ミニット・バイ・ミニット」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位に輝き、翌年にはグラミー賞で年間ベストレコード賞と年間ベスト楽曲賞を受賞している。AOR/ヨット・ロックの名曲として知られる。

マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスによる共作曲で、ケニー・ロギンスのバージョンの方が先にリリースされたが、シングルカットはされていなかった。すでに別れてしまったかつての恋人と、いまもまだやり直せると信じている男の愚かさがテーマになっている。

1991年にはマット・ビアンコによる小洒落たカバー・バージョンが、少し話題になっていたような気もする。

305. Get Up, Stand Up – The Wailers (1973)

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「バーニン」の収録曲で、代表曲の1つでもある。

立ち上がり、闘うことをあきらめるな、というひじょうに汎用性の高いメッセージソングだが、ボブ・マーリーは厳しい環境の中で生きるハイチの人々にインスパイアされてこの曲を書いたという。

ボブ・マーリーがライブで生前最後にパフォーマンスしたのもこの曲であった。

304. Radio Free Europe – R.E.M. (1981)

R.E.M.のデビュー・シングルとしてリリースされた後、1983年のデビュー・アルバム「マーマー」のために再レコーディングされたバージョンが全米シングル・チャートで最高78位を記録した。

初期のR.E.M.は歌詞が聴き取りにくい上にレコードに歌詞カードも付いていなく、仮に聴き取れたとしても意味がよく分からないなどともいわれていた。「ローリング・ストーン」誌でマイケル・ジャクソンを抑えて「マーマー」が年間ベスト・アルバムに選ばれたことがわりと話題になっていたような気がする。

タイトルはアメリカ合衆国議会が出資して東ヨーロッパやロシアなどをサービスエリアとする実在のラジオ局に由来していて、音楽は国境を越える的なポップソングのようでもあるが、アメリカの覇権主義を皮肉っているようにも聴こえなくはない。

303. All Around the World – Lisa Stansfield (1989)

リサ・スタンフィールドのデビュー・アルバム「アフェクション」から先行シングルとしてリリースされ、先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで1位に輝いた。

スタジオでイアン・デヴァニーがピアノで弾いていたメロディーに合わせ、リサ・スタンフィールドが適当に「ビーン・アラウンド・ザ・ワールド・アンド・アイ、アイ、アイ♪」などと歌ってみたところ、居合わせた一同から笑いが起こり、いや待てよ、これはすごく良いのではないかということで、そのまま歌詞になったのだという。

当時のトレンドであったソウル・Ⅱ・ソウル的なリズムやストリングスの感じやバリー・ホワイト的なムードなどが見事にハマり、イギリスのみならずアメリカでも全米シングル・チャートで最高3位のヒットを記録した。

1992年のシングル「タイム・トゥ・メイク・ユー・マイン」には、この曲をバリー・ホワイトとデュエットしたバージョンも収録されていた。

302. Buffalo Gals – Malcolm McLaren & The World’s Famous Supreme Team (1982)

マルコム・マクラレンが1982年にリリースしたシングルで、後にアルバム「俺がマルコムだ!」にも収録された。全英シングル・チャートでは最高9位を記録している。

セックス・ピストルズのマネージャーとして「ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル」などのペテン師的なイメージで知られるマルコム・マクラレンだが、まだまだニューヨークで流行の最新カルチャーという印象であったヒップホップを、この曲でいち早く取り入れている。

ミュージック・ビデオでもスクラッチやブレイクダンス、グラフィティアートいった、当時のヒップホップ・カルチャーが取り上げられていてとても良い。

後にネナ・チェリー「バッファロー・スタンス」、エミネム「ウィズアウト・ミー」などでサンプリングされたりもした。

301. (You Gotta) Fight for Your Right (To Party!) – Beastie Boys (1986)

ビースティ・ボーイズのデビュー・アルバム「ライセンス・トゥ・イル」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高7位を記録した。

典型的に陽気なパーティーソングのパロディーのつもりだったが、いつしかそれそのものとして支持された結果のヒットであった。ヒップホップとハード・ロックのクロスオーヴァー的な音楽性も大いに受けていたのだが、一方でホモソーシャル的なイメージに抵抗を示す音楽ファンも少なくはなかった。

「ライセンス・トゥ・イル」はヒップホップのアルバムとしては初めて全米アルバム・チャートの1位に輝いたことでも話題になった。