U2「焔(ほのお)」について。

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U2の4作目のアルバム「焔(ほのお)」は1984年10月1日に発売された。原題は「The Unforgettable Fire」で、メンバーがシカゴ博物館で見た広島や長崎で被爆した人々による絵にインスパイアされたということである。U2のディスコグラフィーにおいては、初期の代表作「闘(WAR)」とメガヒットを記録した「ヨシュア・トゥリー」との間にリリースされたスタジオ・アルバム(「闘(WAR)」の後にライブ・アルバム「ブラッド・レッド・スカイ=四騎=」があった)ということになるが、プロデューサーにブライアン・イーノとダニエル・ラノワを初めて迎え、音楽性が大きく変わったり、先行シングルの「プライド」が初の全米トップ40ヒットになったということからも、ひじょうに重要な作品だということができる。

このアルバムがリリースする以前のU2だが、イギリスでは前作の「闘(WAR)」が初のアルバム・チャート1位、シングル「ニュー・イヤーズ・デイ」がトップ10入りと、トップバンドへの道を順調に歩んでいるという印象であった。アメリカでもシングルはトップ40入りしていなかったが、「闘(WAR)」はアルバム・チャートで12位まで上がっていて、かなり注目されていたとはいえる。日本においては、北海道旭川南高等学校の体育準備室で調子にのった2年の男子が「U2聴いて憂うつ(ゆーうつ)になるよりましだべ」などと軽口を叩いていたぐらいなので、ロック好きの間での知名度はあった。

音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVが1981年の夏にアメリカで開局し、特に若者の間で大人気となり、やがてヒット・チャートにも影響をあたえていく。日本でもテレビ朝日系の「ベストヒットUSA」をはじめ、洋楽のビデオを流すテレビ番組が増えていった。そして、MTVは1984年10月から、テレビ朝日系で日曜の深夜で放送されはじめた。その頃に、U2「プライド」のビデオもよく流れていた。

ボーノの力強くもユニークなボーカルと、エッジの鋭いギターサウンドが特徴のU2だが、「プライド」においてはその魅力をまったく損なわずにキャッチーさが付け加わったようなところがあり、全英シングル・チャートでは過去最高となる3位、全米シングル・チャートでは最高33位で初のトップ40入りを果たした。当時の全米シングル・チャートにランクインしていた曲でも、ロック的には格別に内容が濃く、それゆえにこれぐらいの順位が限界なのかなという気もなんとなくしていた。

この年の秋といえばアメリカではワム!「ウキ・ウキ・ウェイク・ミー・アップ」、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「アウト・オブ・タッチ」、マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」がヒットして、イギリスではボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロが主宰したチャリティー・プロジェクト、バンド・エイドがひじょうに話題になっていた。デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ワム!といった人気バンドのボーカリストやスティングやポール・ウェラーといった人気者に混じって、U2のボーノもソロ・パートを歌っていたことで、イギリスではすでにこのクラスの人気があるのだ、ということを思い知らされた。

U2の初期のアルバムはスティーヴ・リリィホワイトによってプロデュースされ、3作目の「闘(WAR)」は一つの到達点とでもいうべきクオリティーの作品となった。この路線でやり続けても人気は上がっていったような気もするのだが、バンドとしてはさらなる変革を望んでいたようである。プロデューサーの候補は他にもいたようなのだが、いろいろあった末に、ブライアン・イーノにオファーしたのだった。デヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズのプロデュースで定評があったが、当時のU2にはあまり合わないのではないかと、レーベルも危惧していたという。そして、ブライアン・イーノ自身がほとんど乗り気ではなく、ダニエル・ラノワも連れていったのだが、そこで見たU2のあまりにも真っ直ぐで熱の込もったパフォーマンスに度肝を抜かれたといわれている。

90年代以降のU2にはポスト・モダンなトリックスター的な印象も強いのだが、この頃はとにかく真摯さが特徴というようなところもあり、それゆえにどこかひねくれた表現を好みがちなニュー・ウェイヴファンの中には受け入れていない人達も少なくはなかったような気がする。

初期のU2にはニュー・ウェイヴ的なところとスタジアム・ロックにも通じる感覚が絶妙なバランスで共存していたような印象があるのだが、このアルバムにおいて、さらにアンビエントだったりエクスペリメンタルだったりするところが加わり、実に興味深い状態となっていた。翌年の「ライヴ・エイド」におけるどこか宗教的ともいえるパフォーマンスに続いて、よりアメリカ性を追求した1987年のアルバム「ヨシュア・トゥリー」の大ヒットへとつながっていくのだが、その過程でよりルーツ的な方向に向かっていって、さらにその次の「魂の叫び」ではB.B.キングやメンフィス・ホーンズと共演までしてしまう。「焔(ほのお)」に「7月4日」「プレスリーとアメリカ」「MLK~マーティン・ルイーサー・キング牧師に捧ぐ」といった、いかにもアメリカを連想させる曲があったり、「プライド」は当初、当時のアメリカ大統領であったロナルド・レーガンをテーマにしていたのだが、マーティン・ルーサー・キング牧師についての本を読んだことによって、書き直すということもあったようだが、ここに至るには、新作をつくりはじめてはみたのだが、どうもヨーロッパ的すぎるのではないか、もうちょっとアメリカ的な要素があった方が良いのではないだろうか、という考えなどもあったらしい。だからといって、走り出したら止まらないというか、ここまで傾倒していってしまう真っ直ぐさと勢いのようなものがやはりすごかったのではないだろうか、という気はする。

ブライアン・イーノとダニエル・ラノワによるスタジオワークについてもメンバーはどんどん吸収していって、自ら変化していったのだという。「ヨシュア・トゥリー」はあまりにも世界的に売れてしまい、それ以降、U2はすっかり大御所バンドとなっていくのだが、その過程で初期のニュー・ウェイヴっぽさというのは薄れていったような印象がある。「焔(ほのお)」はそのグラデーション期とでもいうべきぐらいの作品であり、ニュー・ウェイヴっぽさを残しながらも次のフェイズに向かいかけている、とても良い具合が味わえる唯一のアルバムなのではないか、というような気もする。

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