スピラー「グルーヴジェット(イフ・ディス・エイント・ラヴ)」について。

2000年8月26日の全英シングル・チャートにおいて、初登場1位に輝いたのはイタリアのDJ、スピラーによる「グルーヴジェット(イフ・ディス・エイント・ラヴ)」であった。週の半ばまではトゥルー・ステッパーズの「アウト・オブ・ユア・マインド」が1位だったのだが、最終的に逆転したことになる。結果的に初登場2位となったこの曲は、スパイス・ガールズのメンバーであったヴィクトリア・ベッカムがグループを離れ、初めて参加した曲としても話題となっていた。

1位に輝いた「グルーヴジェット(イフ・ディス・エイント・ラヴ)」もゲスト・ボーカリストをフィーチャーしていたのだが、それはオルタナティヴ・ロック・バンド、ジオーディエンスのボーカリストだったソフィー・エリス・ベクスターで、スパイス・ガールズのメンバーやデヴィッド・ベッカムの妻ほどの知名度はなかったといえる。当初、「グルーヴジェット(イフ・ディス・リント・ラヴ)」のボーカリストとしてセイント・エティエンヌのサラ・クラックネルに白羽の矢が立てられたりもしたようなのだが、実現はしなかったという。セイント・エティエンヌが大好きな私からしても、この曲にはサラ・クラックネルのキュートなボーカルよりも、どこかスモーキーでエキゾティックな感じもいだかせるソフィー・エリス・ベクスターで正解だったのではないかと思える。大ヒットしたことによる結果論に過ぎない可能性はひじょうに高いが。

1999年3月、スピラーはマイアミで開催されるカンファレンスに参加するため、早朝の飛行機に乗らなければならなかったのだが、それまで眠るのをやめ、飛行機の中で寝ることにした。それで、わりと最近に買ったサルソウル・レコードのコンピレーションからキャロル・ウィリアムス「ラヴ・イズ・ユー」のトム・モウルトン・バージョンなるものを繰り返し聴いていたらしい。そのうち、この曲のフレーズをサンプリングしたインストゥルメンタル曲ができたのでCDに焼き、それを持って空港に向かったのだという。

友人でドイツ出身のDJ、ボリス・ドゥルゴッシュが車で迎えにきてくれて、道中に何か新しい音楽はないかと聞かれたので、自分がつくったばかりの曲が入ったCDをカーステレオでかけたのだという。その時は会話が盛り上がっていて、この曲のことは話題にならなかったらしい。その夜、ボリス・ドゥルゴッシュがクラブでこの曲をかけると、たちまち話題になったのだという。その場にはいなかったスピラーは、知らぬ間に自身の「新曲」が話題になっていることに驚いたという。この曲が初めて流されたクラブの名前が「グルーヴ・ジェット」で、曲のタイトルの元にもなった。

イントロや曲の途中に飛行機の音のようなものが入っていて、ジェット気分を盛り上げたりもするのだが、たとえ東京の通勤電車の中でも、この曲を聴くとリゾート地のクラブにマインドトリップ的な強度は感じられたりもする。この曲はクラブで評判になり、ボーカルを入れたバージョンを制作しようという話になったのだろうか。ソフィー・エリス・ベクスターがフィーチャーされることになる。「これが恋ではないのだとすれば、どうしてこんなに良いのだろうか」というようなフレーズは、クラブ・ミュージックとして実に正しいように思え、答えはおそらく肉欲のようなものでもあるとは思うのだが、歌っていた当の本人、ソフィー・エリス・ベクスター自身はこのフレーズが好きではないと発言しているようだ。

この曲は発売されるやいなや大ヒットを記録するのだが、このタイミングでサンプリングに対して多額のお金が請求されたりもするようになったらしい。私はおそらくヒットしていた頃に、渋谷のHMVでCDシングルを買っている。ポジティヴァというEMI系のレーベルから出ていたのでわりと簡単に買うことができ、だからこそあれだけ売れたともいえるのだろう。

それで、この曲のミュージックビデオはタイで撮影されているのだが、これもまたエキゾティックでなかなか良かった。それよりも、スピラーが長身でとても目立つ。身長は約6.9フィート、つまり約2.1メートルだったといわれ、これによって全英シングル・チャートで1位になった歴代最も背が高いアーティストとしても記録されることになったのだという。それまでは、1967年に「レット・ザ・ハートエイクス・ビギン」で1位に輝いたジョン・ボールドリーが6.7フィートで最高だったという。

また、iPodといってもいまどきのナウなヤングにはピンとこないかもしれないが、要は現在のiPhoneの音楽プレイヤーとしての機能だけを持ったガジェットである。というか、iPhoneというのが、あのiPodに携帯電話の機能も付いた、というようなものだったわけである。しかも、当時はストリーミングサービスなどはまだ無かったので、パソコンにCDから取り込んだ音源をインポートしてやっと聴けるという、ひじょうに面倒なプロセスが必要であった。それでも、あれだけ多くの容量の音楽を外に持ち出して好きな時に聴けるということは、当時としては実に画期的なことであった。

iPodの最初のバージョンが発表されたは2001年10月23日であり、「グルーヴジェット(イフ・ディス・エイント・ラヴ)」がヒットしていた頃にはまだ開発中であった。それで、開発チームが当時、試用モデル的なもので初めて聴いた音楽がこの曲だともいわれているようだ。

というような様々なエピソードも興味深いのだが、とにかく曲そのものがポップスとしてひじょうに強力で、中毒性が高いということができる。とはいえ、このボーカルが入ったバージョンが初めてクラブでかかった時、インストゥルメンタルバージョンに慣れていたクラバー達の反応は正直微妙であり、スピラーは大丈夫なのだろうかと不安にもなったのだという。しかし、実際には大ヒットを記録したばかりか、その後も聴かれ続けている。