ポップミュージックの歴史上これは特に最高なのではないかと思える500曲を選んでランキング化しようとしたのだが、いろいろやってみてやはり困難であることが発覚したので、発売された年代順に並べてみてある視点から見たポップソング年表のような感じにしてみようというのがこのシリーズである。
元々は例えばアメリカの「ローリング・ストーン」だとかかなり以前までであればイギリスの「NME」だとかといった海外のメディアが発表するオールタイムベストランキングの記事を見るのが大好きなのだが、自分自身が考えるそれとは当然のことながら絶妙に異なっているため、それならば完全に同意できるそれを自らつくってしまえば良いのではないかという安易な考えがベースにはあるのだが、結局ランキング化は断念し、このようなかたちになってしまったわけである。
Bessie Smith, ‘St. Louis Blues’ (1925)
ブルースの父と称されたりもするアメリカの作曲家、W・C・ハンディが1914年に発表した楽曲で、ポップソングとして最初に成功したブルース曲の1つとされている。W・C・ハンディがセントルイスのバーで出会った女性の夫の不在についての深い嘆きにインスパイアされたこの楽曲は様々なアーティストによってレコーディングされたが、最もポピュラーなのはルイ・アームストロングのコルネットの演奏などをバックにベッシー・スミスが歌ったバージョンで、後にグラミーの殿堂入りも果たしている。アメリカのプロアイスホッケーチーム、セントルイス・ブルースのチーム名はこの曲に由来し、日本では1970年に流行した落語家、林家木久蔵(現・林家木久扇)のエロティックな歌ネタ「いやんばか〜ん」のメロディーがこの曲をベースにしている。
Cab Calloway & His Orchestra, ‘Minnie the Moocher’ (1931)
1930年代のアメリカで絶大な人気を博したエンターテインメント要素の強いジャズシンガーでありバンドリーダー、キャブ・キャロウェイの最も有名な楽曲である。好色で奔放な女性の薬物中毒や夢想をテーマにしたこの楽曲の最大の特徴は、「ハイデハイデハイデホー」などナンセンスにも聴こえるフレーズのコールアンドレスポンスが繰り返されるところである。ベティちゃんの愛称で知られるアニメーションキャラクター、ベティ・ブープの短編映画「ベティの家出」にフィーチャーされたことでもポピュラーになったこの楽曲は、1980年の映画「ブルース・ブラザーズ」でのパフォーマンスによって、新たな世代のリスナーをも獲得することになった。
Robert Johnson, ‘Cross Road Blues’ (1937)
伝説的なブルースミュージシャンにしてソングライター、ロバート・ジョンソンの代表曲であり、十字路で悪魔に魂を売り渡した代わりに音楽的才能を手に入れたとする超自然的な説を象徴する楽曲でもある。とはいえ深読みを排したカジュアルな印象としてはヒッチハイクを試みるのだがなかなかうまくいかず、気分がだんだん暗くなっていくといった風情もあり、さらには当時の人種差別的な外出禁止令に伴う夜が近づくことにまつわる不安や恐怖を表出することによって、プロテストソング的なムードを醸しだしてもいる、というような解釈もある。ロバート・ジョンソンのレコーディング作品はひじょうに少なく、この曲をレコーディングした翌年には27歳の若さにして死去し、その原因も謎につつまれているのだが、その音楽的な影響はひじょうに大きく、後にエリック・クラプトンが在籍したロックバンド、クリームがこの曲を「クロスロード」として再解釈したことなどにもより、特に重要視されているようなところもある。
Billie Holiday, ‘Strange Fruit’ (1939)
「奇妙な果実」の邦題でも知られるタイトルはリンチにあい、木に吊り下げられた被害者の死体のことであり、この楽曲は人種差別を強く批判したプロテストソングである。新聞に掲載された写真に衝撃を受け、怒りに震えた教師、エイベル・ミーアポルによって作詞・作曲されたこの曲を当時、グリニッジヴィレッジのナイトクラブ、カフェソサエティの専属歌手であったビリー・ホリデイはステージの最後に歌うようになった。人種差別主義者の反応を恐れたレコード会社が難色をしめしたため、この曲のレコードは近所のレコード店店主が運営するインディーズレーベル、コモドアから発売され大ヒットした。
Judy Garland, ‘Over the Rainbow’ (1939)
ミュージカル映画「オズの魔法使」のために書かれた楽曲で、主人公のドロシー・ゲイルを演じた女優、ジュディ・ガーランドが劇中で歌って有名になった。邦題は「虹の彼方に」である。カンザスの農場での退屈な生活から抜け出したいというドロシーの想いをのせたこの曲は、映画から危うくカットされけてもいたのだが、なんとか免れたという経緯もあった。後に最初のゲイアイコンの一人としても知られるようになるジュディ・ガーランドは映画のための録音当時、16歳だったが、生涯を通じてこの曲を歌い続けた。
Woody Guthrie, ‘This Land Is Your Land’ (1945)
アメリカのフォークシンガーソングライター、ウディ・ガスリーの代表曲で、アーヴィング・バーリンの愛国的な楽曲「ゴッド・ブレス・アメリカ」に対しての批判的な反応として書かれた。アメリカ社会における貧富の差の是正を訴えるこの曲は1960年代のフォークソングブームで様々なアーティストによってカバーされることでさらに有名になり、その後もブルース・スプリングスティーンなど多くのアーティストによって歌い継がれている。
Hank Williams, ‘I’m So Lonesome I Could Cry’ (1949)
カントリーミュージックの歴史上、最も重要なアーティストの一人として知られるハンク・ウィリアムスの代表曲で、邦題は「泣きたいほどの淋しさだ」である。後に離婚することになる当時の妻とのこじれた関係性をテーマにしたこの曲はひじょうに痛切で胸を打ち、特に愛の終わりに生きる気力さえ失いかけている自らの心境を木の葉が枯れはじめたとき嘆き悲しむコマドリにあてはめたくだりなどは印象的である。この曲はよりキャッチーでアップテンポな「My Bucket’s Got A Hole In It(邦題:バケツの穴)」のB面として発売されたのだが、時を経るにつれ、より大きな人気を得るに至った。
