ドレイク「サーティファイド・ラヴァー・ボーイ」について。

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ドレイクの最新アルバム「サーティファイド・ラヴァー・ボーイ」が去る9月3日にリリースされたのだが、当日から私のTwitterのタイムラインではこれを聴きながらわりと好意的なツイートがひじょうに目立っていた。週末にApple Musicのグローバルチャートを見ると、上位のほとんどをこのアルバムからの楽曲が占めている。ドレイクのニュー・アルバムがリリースというイベントに世界中が沸きに沸いているという印象を受けた。それで、海外メディアの反応はどうなのだろうと思い、チェックしてみたところ、どうにも全般的に芳しくはない。まあまあ評価しているものはいくつか見かけたのだが、大絶賛というのはまったく見かけず、かなり厳しめな評価というのはまあまあ見かけた。とはいえ、いくつかの収録曲がApple Musicで解禁後の24時間で最も再生された楽曲の記録を塗り替えたというようなニュースもあり、かなり聴かれていることだけは間違いがない。

それで、このアルバムについての個人的な感想なのだが、なかなか良いのではないだろうかというきわめて無責任かつ適当なものである。ドレイクというアーティストは00年代後半にリリースしていたミックステープが話題となり、2010年にリリースしたデビュー・アルバム「タンク・ミー・レイター」以降、全アルバムが全米チャートで1位に輝くという超メジャーなメインストリームのど真ん中を行っているようなアーティストである。カニエ・ウェストとの罵り合いのようなものもエンターテインメント化あいているようなところもあり、今回もニュー・アルバムのリリース日が近いことが話題になったりもした。あとはジェイ・Zやリル・ウェインをはじめとするゲスト・アーティストの多さと豪華さも特徴である。そして、演奏時間が約1時間26分とやたらと長い。30分台ぐらいのアルバムもけして少なくはない昨今、おそらく特にそう感じられるのだろう。そして、アルバムジャケットのアートワークには様々な肌と衣服の色をした妊婦たちの絵文字、デザイナーは90年代に様々なお騒がせ案件もあったイギリスの現代美術家、ダミアン・ハーストである。これもやたらと不評だという文章を見かけた。

「有害な男性らしさ」と和訳されることが多い「Toxic Masculinity」という概念については、このアルバムについてドレイク自身も自覚した上で言及しているようなのだが、その辺りがもしかすると分が悪いというか、芳しくないと思わせるところなのかもしれない。特に21曲入りのアルバムの早くも3曲目に収録されている、リル・ウェインをフィーチャーした「ガールズ・ウォント・ガールズ」では、「Yeah, say that you a lesibian, girl, me too」というフレーズが出てきたりもして、これにはまあそういった反応を呼んでしまうのもやむを得ないだろうと思わされてしまう。

このアルバムの1曲目には「シャンペイン・ポエトリー」という曲が収録され、いきなりビートルズ「ミッシェル」のカバー・バージョンがサンプリングされている。かなりの大ネタなわけだが、ドレイクぐらいの大物になると、これぐらいやってくれた方がむしろ痛快というか、そのような気分になってもくるのだ。それで、苦みばしった男の苦悩のような呟きが都会的で洗練されたサウンドに乗せて展開される。これがいかにもなドレイク節とでもいうようなものだが、一般大衆が期待するイメージに忠実に応えているようにも思える。

そして、7曲目に収録された「ウェイ・2・セクシー」はミュージックビデオも制作されているぐらいなので、アルバムの中でも推している方の曲なのだろう。この曲は1990年代の初めの方にヒットした、ライト・セッド・フレッド「アイム・トゥー・セクシー」を引用している。ライト・セッド・フレッドはスキンヘッドのゲイ男性がボーカリストのグループで、どこかノベルティー的でもあるのだが、だからそこが良いんじゃない的なポップ感覚として、インディー・ポップファンにもわりと評判が良かった。マニック・ストリート・プリーチャーズ、セイント・エティエンヌ、フラワード・アップが当時、所属していたヘヴンリー・レコーズでトリビュートEPをリリースしていたはずである。この曲を引用しただけのことはあり、その内容もやはり人によってはちょっとやり過ぎではないだろうかと感じたり、そこにポップスのスリルを感じる人もいたりでいろいろであろう。

ただし、このアルバムは変わりばえがしないというか、一定のクオリティーは保たれているが、冒険心に圧倒的にかけていて退屈というような評価が下されている場合も少なくはない。個人的にはこのビートルズとライト・セッド・フレッドとの振り幅というのも、かなり楽しめてはいる部分ではあるのだが。

あと、8曲目に収録された「TSU」なのだが、これはおそらく性的な職業に就いている女性のことを歌っているのだが、彼女には夢があり、それを支援するというある種のファンタジー的なことが歌われていて、これにも賛否両論があるようである。しかし、ずっといえることはけして露悪的には感じられず、おそらく悪気はないということである。それで、この曲にはクリストファー・クロスの名前がクレジットされてもいるのだが、どうやらイン・シンクがカバーした「セイリング」をサンプリングしているようである。こういった内容の曲のヨット・ロックを持ち出してしまう感じが個人的にはあまりにも正しすぎて大好きではあるのだが、エッジな音楽ジャーナリズム的には認めてはいけないという事情も分からなくはない。

それから、そこそこ良い曲は収録されてもいるので、もっと曲数を減らして絞り込めばトータル的にもっと良いアルバムになったのに、というようなクオリティ・コントロールを推奨するような意見もあるように思える。確かにそれはそうでまったくの正論なのだが、個人的にはそれほど良くない曲が入っているとも思えず、確かに長いしムラはあるようにも思えるのだが、ずっと流していてわりと良い感じというか、他人が作ったプレイリストかラジオを聴いている感じで、そういったゆるい感じもわりと良いのではないかと思えてしまう。そして、とにかくたくさん出来たので出しまくってしまいたいとでもいうようなエンターテインメント精神というか、そういったところに良さを感じてしまう。

というわけで、結論としてこのアルバムはかなり良いのではないかということになってしまうわけだが、そういう意見がわりと少ない理由もなんとなく分かってしまう、というようなところもある。このアルバムでも引き続きドレイクは売れまくってしまうと思うのだが、他に異なった精神性を持つポップ・ミュージックはいまやいくらでもあるため、これはこれで良いのではないかというような気もするのだが、そうでもないのだろうか。というか、そもそも問題はそこではないのかもしれない。個人的に「有害な男性らしさ」的な価値観にはどちらかというと、被害を受けているケースの方が多いのではないかと自覚していて、常日頃から憎しみを募らせている方ではないかと思うのだが、それでもちょっと手厳しすぎるのではないかと感じるほどに、このアルバムはなかなか良いのではないだろうか。それとも、問題はまた別のところにあるのか。

ドレイクについては現在のアメリカのメインストリームど真ん中のメジャーなアーティストとして聴いているのだが、個人的に特に目新しさのようなものは期待していなく、それでもそれに近いようなところはじゅうぶんにあるのではないかと感じる。それもかなり絶妙なバランスでであり、たとえばある時期の五木ひろしや桑田佳祐のように、らしさのようなものを突き詰めていくのを深く味わう、ということでは十分ではないのだろうか。

とはいえ、それほどポップ・ミュージック批評的なものに左右されているわけでもなく、やはりこのアルバムを聴くと、メジャーに売れているポップスの醍醐味のようなものはやはり感じられるな、と思うのであった。

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