洋楽ロック&ポップス名曲1001:1979, Part.2
The Cure, ‘Boys Don’t Cry’
ザ・キュアーの初期の代表曲として知られるが、リリース当時はヒットしていなかった。1986年にボーカルを録り直し、リミックスされたバージョンが全英シングルチャートで最高22位を記録している。
男の子は感情を表に出すものではなく、泣くなどというのはもっての外だ、というような保守的な価値観が支配する環境で育ち、それがたまらなく苦痛でもあったロバート・スミスの心の叫びのようなものが、最高にポップでキャッチーなインディーポップとして結晶化しているようなところがとても良い。
野々村文宏、中森明夫と共に新人類トリオの1人として一部で知られていた田口賢司が、同じタイトルの小説を出していた。
Neil Young & Crazy Horse, ‘Hey, Hey, My My (Into the Black)’
ニール・ヤング&クレイジー・ホースのアルバム「ラスト・ネヴァー・スリープス」に収録され、シングルカットもされた楽曲である。アルバムの1曲目に収録された「マイ・マイ、ヘイ、ヘイ」はアコースティックで、最後に収録されたこの曲はエレクトリックである。激しいドラムスとファズギターが特徴的で、グランジロックにも通じる音楽性だということができる。
この曲はアメリカのニューウェイブバンド、ディーヴォとのコラボレーションから生まれ、エルヴィス・プレスリーやジョニー・ロットンに言及しながら、ロックンロールはけして死に絶えないというようなことをテーマにしている。
「消え去るよりも燃え尽きる方がましだ」という歌詞をニルヴァーナのカート・コバーンが遺書に引用していたことを受けて、ニール・ヤングは一時的にこの曲を演奏しなくなったが、遺されたメンバーの要請で考えを変えた。
カート・コバーンが亡くなった翌週にシングル「スーパーソニック」でデビューしたのが象徴的でもあったイギリスのロックバンド、オアシスによるカバーバージョンが、2000年のライブアルバム「ファミリアー・トゥ・ミリオンズ」 に収録されている。
Michael Jackson, ‘Don’t Stop ‘Til You Get Enough’
マイケル・ジャクソンのアルバム「オフ・ザ・ウォール」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートで最高3位を記録した。
兄弟とのグループ、ジャクソン5やソロアーティストとしてもすでにヒット曲をいくつも出していたのだが、レーベルをモータウンからエピックに移籍し、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えたこの楽曲はマイケル・ジャクソン自身が作詞・作曲した最初のヒット曲となった。
日本では「今夜はドント・ストップ」の邦題で知られ、マイケル・ジャクソン本人も出演したスズキのスクーター、ラブのテレビCMに使われていた(ヒットした時期よりも少し後だったが)。
AC/DC, ‘Highway to Hell’
オーストラリアのハードロックバンド、AC/DCのアルバム「地獄のハイウェイ」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高56位、全米シングルチャートで最高47位を記録したが、全英シングルチャートでは2013年に最高位を4位に大きく更新している。
印象的なギターリフとワイルドなボーカルが特徴で、収録アルバムが全米アルバムチャートで最高17位と、その人気をアメリカにも広げるきっかけとなったが、リリース翌年の2月にリードボーカリストのボン・スコットが急死たことにより遺作となった。
Michael Jackson, ‘Rock with You’
マイケル・ジャクソンのアルバム「オフ・ザ・ウォール」から2枚目のシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで「今夜はドント・ストップ」に続き2曲連続で1位、全英シングルチャートでは最高7位を記録した。
「ブギー・ナイツ」のヒットで知られる音楽グループ、ヒートウェイヴのメンバーでもあったロッド・テンパートンがカレン・カーペンターに提供しようとしたがボツになった楽曲だという。
ダンサブルでありながらスムーズな仕上がりで、ブラックコンテンポラリー(通称ブラコン)的な魅力も感じられるディスコヒットである。
これによってソウルミュージックやディスコポップのリスナーの間でマイケル・ジャクソンはビッグスターとして認識されることになるのだが、それに満足したわけではなく、さらにはロックやポップスのリスナーを魅了していこうという試みがこの後の作品につながっていく。
XTC, ‘Making Plans for Nigel’
XTCの3作目のアルバム「ドラム・アンド・ワイヤーズ」に先がけシングルとしてリリースされた楽曲で、全英シングルチャートで最高17位を記録した。邦題は「がんばれナイジェル」である。
子供の将来の進路を親の思い通りにさせようとするプレッシャーがテーマになっていて、作詞作曲をしたコリン・モールディングの実体験に基づいているところもあるという。
この曲をシングルとしてリリースしようという構想は早い段階からあったようで、レコーディングなどもかなり念入りに行われたようなのだが、バンドのフロントマンにしてもう1人のソングライターであるアンディ・パートリッジは自分の曲が軽視されているような気分にもなっていたという。
日本のロックバンド、Base Ball Bearがライブの出囃子に使った曲でもある。
Gary Numan, ‘Cars’
イギリスのニューウェイヴバンド、チューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンがソロアーティストとしてでリリースした最初のシングルで、全英シングルチャートで1位、全米シングルチャートで最高9位のヒットを記録した。
シンセサイザーのサウンドと無機質的なボーカルが特徴的な楽曲であり、空間としての車とヒトとの関係性のようなものがテーマになっている。
1987年にはリミックスバージョンが全英シングルチャートで最高16位、1996年にはビールのCMに使われたことによってリバイバルして、同じく最高17位を記録している。
80年代初頭、日本ではYMOを中心とするテクノブームが巻き起こるわけだが、ゲイリー・ニューマンは海外のテクノポップアーティストというような認識のされ方もされていたような気がする。