ローリング・ストーンズの名曲ベスト20

1962年7月12日にローリング・ストーンズが初めてのライブをロンドンのマーキーというクラブで行ったということで、この日はローリング・ストーンズ記念日ということになっているらしい。海外のサイトなどではほとんど見かけないことから、これがどの程度、公式的だったりよく知られているものなのかは定かではない。また、2月14日がローリング・ストーンズの日として制定されたというような記事も見かけ、その理由は1990年のこの日にローリング・ストーンズが初来日公演を行ったことらしい。これはおそらく日本限定でしか盛り上がらないような気がするし、バレンタインデーと被ったりもしていてよく分からない。

というようなわけでよく分からないのだが、ローリング・ストーンズの名曲を振り返っておくには、良いきっかけなのではないかという気がする。それで、ローリング・ストーンズといえばロックの真髄とでもいうべき音楽をやっているバンドという認識なのだが、中村とうようや鳥井賀句などのコメントが載っているタイプのブックレットのようなものが、80年代のレコード店には置かれていたような気がする。地方の中学生で洋楽などを聴きはじめるとまずはヒットチャートものから入ることが多いわけだが、そのうちメジャーな名盤、名曲的なものも押さえていた方がなんとなくモテそうなのではないか、ということになっていく。

それで、ビートルズかストーンズかという話に当時としてはなりがちでもあるのだが、たまたま周りに音楽で最もすごいのはクラシックであり、ロックやポップスなどというものは低俗で聴く価値がないが、ビートルズだけは認めてもいい、というようなことを言っている人がいてまったくモテていなかったので、あーこういうのはあまり聴かない方がいいのだな、となんとなく思った。ビートルズは優等生が聴いて、ローリング・ストーンズは不良が聴くというような、あまりにも大雑把なイメージが当時はあったのだが、もちろん優等生よりも不良の方がモテるだろうと、そのような常識がまかり通るタイプの中学校や高校にしか通っていなかったので、ローリング・ストーンズが好きだというキャラクター設定で生活をしていた。日曜日などに同じクラスの女子と待ち合わせをするのに、旭川の平和通買物公園にあった素晴らしいレコード店、ミュージックショップ国原のローリング・ストーンズのコーナーを指定したりということを真顔でやっていたのだから、痛々しいにも程があるというものである。

そんなことはまあどうでもいいのだが、せっかくなので適当にやっていきたい。

20. Waiting On a Friend (1981)

1981年のアルバム「刺青の男」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高13位を記録した。邦題は「友を待つ」である。火遊びの相手ではなく、本当に分かり合える友だちを待っているのだ、というようなことが歌われている。ソニー・ロリンズのサックスも最高である。ミュージック・ビデオに映っている建物はレッド・ツェッペリン「フィジカル・グラフィティ」のジャケットのやつと同じらしい。

19. She’s a Rainbow (1967)

1967年のアルバム「サタニック・マジェスティーズ」はビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を真似したと、酷評されがちだったような印象もあるのだが、サイケデリックでなかなか味わい深い。シングル・カットされたこの曲は、全米シングル・チャートで最高25位を記録した。後にカラーバリエーションが豊富なApple商品のCMにも使われた。

18. Undercover Of The Night (1983)

1983年のアルバム「アンダーカヴァー」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高9位を記録した。ヒップホップから影響を受けたと思われるサウンドが特徴的なのだが、ローリング・ストーンズの正統的なファンからは評判が良くなく、名曲リスト的なものにもほとんど挙がらない。個人的にはなかなかカッコよくて好きなのだがどうか。

17. Beast Of Burden (1978)

1978年のアルバム「女たち」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高8位を記録した。ベット・ミドラーのカバー・バージョンもわりと知られている。ソウルフルでとても良いバラードである。

16. Ruby Tuesday (1967)

「夜をぶっとばせ」の歌詞が当時としては刺激的すぎたらしく、ラジオではシングルのカップリングだったこの曲の方がよくかかり、全米シングル・チャートで1位に輝いた。切ない失恋ソングとしてのペーソスが感じられる、これもとても良い曲である。忌野清志郎がソロのライブでカバーしていた。

15. Wild Horses (1971)

1971年のアルバム「スティッキー・フィンガーズ」に収録されていたバラード曲であり、野生の馬も俺を捕まえられなかった、というようなことが歌われている。野生の馬にたとえられているのは女性であり、じゃじゃ馬娘というような感じがあらわされている。イギリスのインディー・ロック・バンド、ザ・サンデイズもカバーしていた。

14. Can’t You Hear Me Knocking (1971)

アルバム「スティッキー・フィンガーズ」に収録された曲である。アンディ・ウォーホールがデザインしたジャケットには、ジーンズのジッパーのところが本物のものもあったような気がする。レコーディングがすでに終わったつもりで続いていたジャム・セッション的な演奏を録音したところもあるらしく、とてもカッコいい。

13. Tumbling Dice (1972)

史上最高のロックンロール・アルバムと呼ばれることに一切の疑問がない「メインストリートのならず者」からシングル・カットされた曲で、全米シングル・チャートで最高7位を記録した。「ダイスをころがせ」という邦題もとても良い。 

12. Miss You (1978)

1978年のアルバム「女たち」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。当時、流行していたディスコ・サウンドを取り入れた新しいタイプのロック・チューンで、適度な下世話さがかなりちょうどいい。

11. Let’s Spend The Night Together (1967)

邦題は「夜をぶっとばせ」である。当時は夜を一緒に過ごそうという表現が性愛を連想させ、刺激的すぎると見なされていたらしい。80年代の東京では「オールナイトフジ」のオープニングテーマにも使われていた。

10. Street Fighting Man (1968)

アルバム「ベガーズ・バンケット」収録曲。60年代後半は政治の季節、ということでそういったアクティビズムの気分が感じられたり、マーサ&ザ・ヴァンデラス「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(後にミック・ジャガーがデヴィッド・ボウイとのデュエットでカバー)に通じるようなところもあるように思える。

9. Brown Sugar (1971)

「スティッキー・フィンガーズ」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。ローリング・ストーンズのライブでは定番曲の1つとなっている、ご機嫌なロック・チューンである。とはいえ、ローリング・ストーンズの他の曲のいくつかと同様に、歌詞には今日の感覚からすると時代遅れ的ではないかと思えるようなところもある。

8. Honky Tonk Women (1969)

ミック・ジャガーとキース・リチャーズが休暇で訪れたブラジルでの体験にインスパイアされた曲だといわれている。スワンプロック的なテイストも感じられるとてもカッコいい曲で、ミック・ジョーンズが加入して最初のシングルでもあった。アルバム「レット・イット・ブリード」には、別バージョンとなる「カントリー・ホンク」が収録されている。

7. Start Me Up (1981)

アルバム「刺青の男」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。産業ロックやAORが流行していた時代にロックの真髄を見せつけたような素晴らしい曲だが、当初はもっとレゲエっぽかったらしい。ライブでもお馴染みの楽曲となっている。

6. You Can’t Always Get What You Want (1969)

シングルでは「ホンキー・トンク・ウィメン」のB面で、アルバム「レット・イット・ブリード」に収録された荘厳なコーラスが印象的な曲である。邦題は「無情の世界」で、欲しいものがいつも手に入るとは限らない、という多くの人々に共感されやすい内容が歌われている。コーネリアス「(YOU CAN’T ALWAYS GET) WHAT YOU WANT」とはもちろん別の曲である。

5. (I Can’t Get No) Satisfaction (1965)

ローリング・ストーンズで最も有名な曲かもしれない。日常における不満をぶちまけまくった歌詞が共感を呼んだと思われるが、それは当時、忙しすぎたりして不機嫌気味だったバンドの状況を反映してもいたようである。全英、全米いずれのシングル・チャートでも1位に輝いている。沢田研二が「クイズドレミファドン」のイントロ当てクイズですぐに正解していた。

4. Paint It Black (1966)

「黒くぬれ!」の邦題でも知られる、中二病的な厭世感がほとばしりまくった不穏なヒット曲で、全英、全米いずれのシングル・チャートでも1位に輝いている。RCサクセション「カバーズ」に収録されたカバー・バージョンはわりと原曲の内容に忠実気味だったが、「笑わせんじゃねぇ 笑いたくねぇ イモなドラマは見たくもねぇ」というのはわりと良かった。

3. Jumpin’ Jack Flash (1968)

「サタニック・マジェスターズ」などでやや路線変更が見られてしばらくした後に、これぞローリング・ストーンズという感じのロックンロールに回帰したのがこのシングルであり、待ってましたとばかりに全英シングル・チャートでは1位に輝いた。ローリング・ストーンズがライブで最も多く演奏した曲が、これでもあるらしい。

2. Sympathy For The Devil (1968)

「悪魔を憐れむ歌」といういかにも悪そうな邦題でも知られる、アルバム「ベガーズ・バンケット」収録曲である。60年代のラヴ&ピースなヒッピー幻想とは裏腹に実在する暗部のようなものを浮き彫りにしているようでもあり、いわゆる「オルタモントの悲劇」(ローリング・ストーンズのフリー・コンサート中に、観客が警備にあたっていたヘルズ・エンジェルスのメンバーに殺害された事件)のイメージとも重なる。印象的なコーラスのところは、フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」にも引用された。

1. Gimme Shelter (1969)

1969年のアルバム「レット・イット・ブリード」に収録された曲で、シングル・カットはされていないがひじょうに人気が高い(日本では独自にシングル・カットしていたようだ)。ベトナム戦争の不穏な空気感などを反映した楽曲だといわれているが、当時、ミック・ジャガーが主演映画「パフォーマンス/青春の罠」でキース・リチャーズの恋人でもあった女優、アニタ・パレンバーグと共演していたことによる疑念や嫉妬などが、普通ではないテンションに影響をあたえたという説もあるようだ。とにかくカッコいいの一言であり、ローリング・ストーンズで1曲といえば、いまは取り敢えずこれなのではないかと思えるのだがどうなのだろうか。