ファイン・ヤング・カニバルズ「シー・ドライヴス・ミー・クレイジー」

「シー・ドライヴス・ミー・クレイジー」はイギリスのポップバンド、ファイン・ヤング・カニバルズの2作目にして最後のオリジナルアルバム「ザ・ロー&ザ・クックト」に先がけてシングルとしてリリースされた楽曲で、全英シングルチャートで最高5位、全米シングルチャートで1位を記録した。

ローランド・ギフトのソウルフルなファルセットボイスとユニークな方法でレコーディングされたドラムサウンド、印象的なギターのフレーズなどに特徴があり、60年代的なポップ感覚を80年代的なサウンドでアップデートしたかのような即効性がありながら味わい深いポップソングになっている。

この楽曲のユニークなサウンドに大きく貢献したのはミネアポリス出身でプリンスとの仕事でも知られるデヴィッド・Zで、レコーディングもプリンスのペイズリーパークスタジオで行われている。デヴィッド・Zはプリンス・アンド・ザ・レヴォリューションのオリジナルドラマー、ボビー・Zの兄でもある。

この曲を聴いてプリンス・アンド・ザ・レヴォリューションの1986年の全米NO.1ヒット「キッス」を思い浮かべなくもなかったりするのだが、あの曲は元々、デヴィッド・Zがプロデュースするバンド、マザラティのアルバムにプリンスが提供したのが最初だったのだという。

それはそうとして、ファイン・ヤング・カニバルズだが、良くて若い人食い人種とでも直訳できそうなグループ名はロバート・ワグナーとナタリー・ウッドが主演した1960年の映画「夜が泣いている」(原題:All the Fine Young Cannibals)に由来している。

スカリバイバルバンドとして人気があったザ・ビートが解散した後、元メンバーのアンディ・コックスとデイヴィッド・スティールがボーカリストのローランド・ギフトを加えて結成した。デビューアルバム「ファイン・ヤング・カニバルズ」からは「ジョニー・ゴー・ホーム」とエルヴィス・プレスリーのバージョンが大ヒットした「サスピシャス・マインド」のカバーがいずれも全英シングルチャートで最高8位を記録したが、アメリカではブレイクするに至らなかった。

続いてジョナサン・デミ監督の映画「サムシング・ワイルド」にバズコックス「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」のカバーバージョンを提供するのだが、これもまた全英シングルチャートで最高9位のヒットを記録する。

バリー・レヴィンソン監督の映画「ティンメン/事の起こりはキャデラック」にはナイトクラブのハウスバンドとして出演し、後に全米シングルチャートで「シー・ドライヴス・ミー・クレイジー」と連続して1位を記録することになる「グッド・シングス」などいくつかの楽曲を提供する。

その間に元ザ・ビート組のアンディ・コックスとデイヴィッド・スティールはトゥー・メン、アンド・ドラム・マシン・アンド・ア・トランペットとしてインストゥルメンタルのハウスミュージックシングル「タイアード・オブ・ビーイング・プッシュド・アラウンド」をリリースし、全英シングルチャートで最高18位を記録したり、ローランド・ギフトは映画「サミー&ロージィ それぞれの不倫」に出演したりしていた。

「シー・ドライヴス・ミー・クレイジー」は当初、「シーズ・マイ・ベイビー」というタイトルで、ローランド・ギフトはファルセットではなく普通の声で歌っていた。レコーディングに関わった誰一人として気に入っていなかったのだが、デヴィッド・Zに命じられて歌詞が書き換えられ、ファルセットボイスで歌われるに至って、かなり良い感じになっていったようだ。

ユニークなドラムサウンドはスネアドラムを別々に録音した後に、その録音を再生したものをスピーカーから再生し、スネアドラムを通してマイクで録音し直すというかなりトリッキーな技法を用いることによって実現したのだという。

この曲のヒットによって、一躍知名度が極度に上がり、人気グループとして知られるようになったのだが、この後はリミックスアルバムの「ザ・ロー&ザ・リミックス(12インチ・クラブ・ヴァージョン」をリリースしたり、チャリティーアルバム「レッド・ホット+ブルー」にコール・ポーター「ラヴ・フォー・セール」のカバーバージョンを提供したりした後に、1992年には解散してしまう。

このグループがそのまま活動し続けた未来も見たかったような気もするのだが、そうはならなかったところにまた良さを感じたりもする。この曲についてはドリー・パートンがブルーグラス的にカバーしたり、「今夜もイート・イット」などで知られるアル・ヤンコヴィックが「シー・ドライヴス・ライク・クレイジー」という単に運転がひじょうに危険な女性について歌ったパロディーソング化したりもしているのだが、優れたポップソングとしての箔以外の何物でもないということができる。

収録アルバムの「ザ・ロー&クックト」も久々に聴いたのだが、ポップアルバムとしてこんなにも良かったのかとその魅力を再認識した。日本では元号が平成になってからそれほど経っていない時期の全米NO.1ヒットであり、オリコン週間シングルランキングでは吉川晃司と布袋寅泰によるCOMPLEX「BE MY BABY」が1位であった。

個人的に深夜のテレビで見たこの曲のミュージックビデオが気に入ってCDを買うことに決めたわけだが、確かまだ宇田川町にあった頃のタワーレコード渋谷店で買ったような気がして、CDはまだ万引き防止の目的らしい細長い紙パッケージに入ったままで売られていた。