ローリング・ストーンズといえば1962年の結成以降、長きにわたって名曲や名盤の数々を世に送りだしてきたロックバンドとして知られ、2020年代に入っても新しい作品をリリースしたりライブツアーを行ったりもしている(2026年に予定されていたツアーはメンバーの健康状態などを考慮して開催が見送られたが)わけだが、特にその音楽的なピークといえば1960年代後半から1970年代前半、アルバムでいうと「ベガーズ・バンケット」「レット・イット・ブリード」「スティッキー・フィンガーズ」「メイン・ストリートのならず者」の頃なのではないかというのが定説である。
個人的にはそろそろ洋楽でも聴いていた方がなんとなくモテそうなのではないか、というような動機で全米ヒットチャートをチェックしてたまにはレコードも買うというようなことをやりはじめた頃、ローリング・ストーンズは1981年のアルバム「刺青の男」から「スタート・ミー・アップ」で最高2位(1位を阻んだのはクリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」とダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」)を記録していたので、この頃のことはリアルタイムでは知らない。いや、生まれてはいたのだが、あまりにも幼すぎて、ポップミュージックといえばテレビやラジオから流れる日本の流行歌ぐらいしか聴いていなかった可能性がひじょうに高い(ザ・フォーク・クルセイダーズ「帰って来たヨッパライ」から麻丘めぐみ「芽ばえ」ぐらいまでのことである)。
それで完全に後追いですでに歴史的名盤であることを知ったうえで聴くことになるのだが、今回は中でも1969年12月5日にリリースされたという「レット・イット・ブリード」について取り上げていきたい。60年代には特にビートルズとローリング・ストーンズとはライバル関係的に見られていたところもあったとは思うのだが、1967年にはビートルズがこの作品によってロックを芸術の域にまで高めたなどともいわれていたらしい「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をリリースし、大絶賛されたのに対し、ローリング・ストーンズはジャケットアートワークもわりと似ているかもしれない「サタニック・マジェスティーズ」で対抗するも反応はいまひとつであった、というようなことをロックの歴史について書かれた雑誌の記事や書籍などで読んできたような気がする。
それで、この「レット・イット・ブリード」というタイトルもビートルズ「レット・イット・ビー」に対抗したものなのだ、というような説をかつてどこかで見かけたような気がするのだが、これはまったく偶然だったらしく、そもそもビートルズ「レット・イット・ビー」のリリースは「レット・イット・ブリード」よりも数カ月後である。個人的にかつて通っていた地方都市の公立高校には基本的にクラシック音楽しか聴かず、ロックなどという低俗なものは音楽とは認めていないのだが、ビートルズだけは認めてやってもいいという感じのスタンスの人物が同級生にいて、見た目的には「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演していた斉藤清六に酷似していた。そういった事情もあり、ブランディング的にはビートルズよりもローリング・ストーンズの方が好き、という立場をなんとなく取っていた。
いや、実際には日曜日などに旭川のレコード店、ミュージックショップ国原などで珍しく女子と待ち合わせをするときに、ローリング・ストーンズの棚を指定するほどのイタさであった。「刺青の男」は中学3年のときに親からもらったお年玉で買ったのだが、当初は当時よく聴いていたREO「スピードワゴン「禁じられた夜」、スティクス「パラダイス・シアター」、ジャーニー「エスケイプ」、フォリナー「4」などとは同じロックのレコードのはずなのにかなり違っていて、正直なところ良さがよく分からなかった。しかし、せっかく買ったので繰り返し聴いているとだんだんよくなり、そのうちこっちこそが本物のロックンロールだろうというような気分になった。
ミュージックショップ国原にはローリング・ストーンズの小冊子のようなものが置かれていて、ロンドンレコードから発売されていたローリング・ストーンズの過去のアルバムがいろいろと紹介されていた。また、陳列棚でローリング・ストーンズの70年代のレコードなどをいろいろ見ていると、帯に「ストーンズ、奴らがくたばったら俺・・・・・。ー内田裕也」、「汲めども尽きぬロック・スピリットの泉ー中村とうよう」、「ストーンズの嫌いな奴は信じない。世界中の誰だってー加藤和彦」というような熱いコメントが寄せられていた。
とはいえ、レコードをそんなにもジャンジャン買いまくる金があるわけでもなく、新しいレコードも買わなければいけないしで、おそらく日本で編集されたと思われるローリング・ストーンズのベストアルバムのようなものを、西武百貨店のディスクポートで買った。「サティスファクション」「夜をぶっとばせ」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「黒くぬれ」といった有名な曲がたくさん入っていて、これは良いものを買ったとすっかり悦に入って聴きまくっていた。
次には70年代、ローリング・ストーンズ・レコード設立以降の有名な曲をあつめた「メイド・イン・ザ・シェイド」というこれもまたベストアルバムのようなものをファッションプラザオクノ地下にあった玉光堂で買って、これにも「ブラウン・シュガー」「ダイスをころがせ」「悲しみのアンジー」「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」などが入っていてすっかり満足した。
当時、音楽ファンの間ではベストアルバムのようなものを好んで買って聴くことが、現在よりもずっと低く見られ、バカにされがちだったような印象もあるのだが、個人的には同じ価格で有名な曲がたくさん入っているというきわめて単純で軽薄な理由により、個人的には大好きでよく買っていた。
「メイド・イン・ザ・シェイド」に収録された楽曲から「刺青の男」の間にリリースされたオリジナルアルバムといえば「女たち」「エモーショナル・レスキュー」だが、その後、1年間の浪人生活を経て東京の大学に進学し、自由に使えるお金が少しだけ増えてからはこれらも買って、これでローリング・ストーンズの音楽についてはある程度、把握したつもりでいたのだ。じつに愚かである。
1981年のツアーを映像化した映画「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」を旭川と東京で映画館まで見にいき、さらにはレンタルビデオ店でも借りて見直したり、CBS・ソニー出版から出ていた「ローリング・ストーンズ大百科」という本を買って熟読するだけの金と時間があったものの、この時点で「ベガーズ・バンケット」も「レット・イット・ブリード」も「メイン・ストリートのならず者」も聴いていない。「スティッキー・フィンガーズ」だけはアンディ・ウォーホルがデザインしたジーンズのジャケットアートワークがレコード店でずっと気に入っていたので買って聴いていたが。
それで、1993年にはスウェードとかブラーとか後にブリットポップと呼ばれるようになるタイプの音楽を好んで聴いているのだが、イギリスの歴史ある音楽週間紙「NME」が60年代、70年代、80年代それぞれの名盤ベスト50、それから歴代ベスト100を発表したので、そのリストの中で聴いたことはないのだがなんとなく気になるアルバムをCDで買っていくというムーブメントが個人的に盛り上がる。
「ベガーズ・バンケット」「レット・イット・ブリード」のCDはこのときに渋谷のFRISCOというCDショップで購入したはずである。「メイン・ストリートのならず者」も買いたかったのだが、90年代の半ばあたりにローリング・ストーンズのある時期の作品が廃盤になっていた期間があって、西新宿のVYNILというピンク色のレコード袋が印象的なレコード店で見つけた中古のアナログレコード2枚組を買おうかどうか相当悩んだ末にやめたことなどが思い出される(その後、無事にCDで再発されたのですぐに買った)。
それにしても前置き的な文章にしてはあまりにも長すぎたわけだが、ここからやっと「レット・イット・ブリード」の話である。タイトルを直訳すると、血が流れるままにしておくというようなニュアンスであり、ベトナム戦争の真っ最中でそういった映像がテレビでよく流れていたりと、社会にはなかなか暴力的で不穏なムードが漂っていたらしく、ミック・ジャガーなどはそういった背景も作品に影響したかも、というようなことも言っている。
特にアルバムの1曲目に収録された「ギミー・シェルター」である。後に「オルタモントの悲劇」などと呼ばれるローリング・ストーンズのライブ中に警備係として雇われたヘルス・エンジェルスのメンバーが観客の一人を殺害し、この事件が同じ年に開催されたライブイベント、ウッドストックフェスティバルで広がったラブ&ピース的なムードを終焉させた、その顛末も収めたドキュメンタリー映画のタイトルにもなる。
かつてはローリング・ストーンズの代表曲といえば「サティスファクション」などであり、お昼のお茶の間向けにフジテレビ系で放送され、司会の高島忠夫の「イェーイ!」というフレーズが広まるきっかけともなった「クイズ・ドレミファドン!」のイントロクイズで出題され、沢田研二が瞬時に正解したりもしていた。
今日、いろいろなメディアが発表するオールタイムベスト的なメディアを見ていったところ、この「ギミー・シェルター」が最も高く評価されているような印象を受ける。この曲は当時、イギリスやアメリカでシングルカットされたわけでもないので、特に大きくヒットしてもいない。日本ではシングル盤が発売されていたようだが。
当時の社会情勢を反映していたかもしれない緊張感のようなものがとても良く、それが現在とも通底しているかもしれないし、ゴスペルシンガーでレイ・チャールズなどのバックシンガーも務めていたメリー・クレイトンのソウルフルなボーカルをフィーチャーしているところも、音楽的な魅力を増強しているように思える。
「レイプ、殺人、それがすぐそこにある」という状況なのでわれわれにはシェルターが必要なのだ、というようなことが歌われているのだが、曲の終盤においては、これが「愛は、シスター、キスひとつで手に入るんだ」と救いの余地を残すような感じにもなっている。
2曲目に収録された「むなしき愛」は、悪魔に魂を売り渡したことによって音楽的才能を手に入れたなどという伝説でも知られる、ブルース音楽界で最もリスペクトされるアーティスト、ロバート・ジョンソンのカバーである。
オリジナルバージョンはより陰鬱なのだが、ここに収録されたローリング・ストーンズのバージョンではカントリー音楽的なアプローチが取られている。
アルバム全体を通していえるのが、このカントリーやブルースといったルーツミュージックからの影響が強く感じられるところで、よく知られるシングルヒット曲の数々よりも深く聴きごたえがあるのだが、それでいてけしてマニアックで趣味的な深みにはまりすぎるわけでもなく、適度なポップ感覚がつねにそこにあるところもとても良い。
そして、次の「カントリー・ホンク」はシングルとしてヒットした「ホンキー・トンク・ウィメン」をよりカントリーミュージック化した別バージョンであり、ハンク・ウィリアムス「ホンキー・トンク・ブルース」がベースとなっている。
初期のローリング・ストーンズにおいては音楽面でのリーダー的存在だったブライアン・ジョーンズがドラッグの影響などによって求心力を失い、ついにはバンドを脱退した後に自宅のプールで不審死することになる。代わって新たなギタリストとして加入したのがミック・テイラーであり、「レット・イット・ブリード」では「カントリー・ホンク」とこの次に収録された「リヴ・ウィズ・ミー」の2曲に参加している。
「リヴ・ウィズ・ミー」においてはキース・リチャーズとミック・テイラーによるツインリードギターサウンドが特徴的だが、サックス奏者のボビー・キーズが参加したのもこの曲が最初であった。サックスをフィーチャーしたロックンロールはその後、ローリング・ストーンズの定型スタイルという感じになっていくが、それはこの曲からはじまったともいえる。また、この曲にはニッキー・ホプキンスとレオン・ラッセルがピアノで参加してもいる。
アナログレコードではA面の最後に収録されたのがタイトルトラックでもある「レット・イット・ブリード」であり、この曲も日本のみで独自にシングルが発売されていたようである。ブライアン・ジョーンズが脱退した後に死亡し、ミック・テイラーが加入するまでの間にレコーディングされ、キース・リチャーズがアコースティックギターとスライドギター、ビル・ワイマンがベースギターとオートハープを弾いている。
歌詞にはドラッグやセックスを連想される表現が多数見受けられ、「レット・イット・ブリード」というタイトルも、ドラッグを静脈注射で使用する際に用いるスラングが由来なのではないかという説がある。
B面の1曲目に収録された「ミッドナイト・ランブラー」はキース・リチャーズがブルースオペラと形容し、後にミック・ジャガーとのソングライターチームの代表曲とまで評したことがある、ブルージーで不穏な楽曲であり、1960年代に実際に起こったボストン絞殺魔事件をモチーフにしている。
この曲がレコーディングされた時点でブライアン・ジョーンズはまだバンドメンバーだったのだが、ギターではなくコンゴで参加している。ミック・ジャガーとキース・リチャーズはイタリアでの休暇中、美しく日当たりのよい宿泊先で、この暗く不穏な楽曲を書いたという。
次に収録されている「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」は、キース・リチャーズが全編でソロボーカルを歌った最初の楽曲である。日本では「レット・イット・ブリード」のシングルのB面にも収録されていたようである。
当時、交際していたアニタ・パレンバーグについて書かれた楽曲だといわれるが、それ以前にはブライアン・ジョーンズと交際していた。この曲にブライアン・ジョーンズは、オートハープで参加している。ミック・ジャガーがリードボーカルを歌うバージョンもレコーディングされたが、キース・リチャーズの方のバージョンが採用されたようだ。この曲はミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画「砂丘」でも使われていた。
続く「モンキー・マン」は歌詞の内容もよく分からないのだが、おそらく薬物中毒者、つまりジャンキーについて歌っているのではないか、と解釈されがちである。ビル・ワイマンによるヴィブラフォンなどもフィーチャーしたイントロには独特の不思議な雰囲気もあり、イギリスの音楽雑誌「SELECT」が1992年の年間ベストアルバムに選んだステレオ・MC’s「コネクテッド」でサンプリングされたりもしていた。また、マーティン・スコセッシ監督の1990年の映画「グッドフェローズ」では、麻薬取引のシーンでこの曲が使われていた。
そして、アルバムの最後に収録されているのは、ローリング・ストーンズのベストソング的なリストでも上位に挙げられがちな「無情の世界」である。当時はシングル「ホンキー・トンク・ウィメン」のB面に短縮されたバージョンが収録されていたが、大きなヒットにはなっていない。
この曲の特徴といえばやはり子供たちによる合唱がフィーチャーされているところだが、これはロンドンバッハ合唱団によるものである。後にこの曲が収録されるアルバムのタイトルが「レット・イット・ブリード」で、連続絞殺魔をテーマにした「ミッドナイト・ランブラー」のような曲が収録されていることを知ると、クレジットから名前を削除させようとした。
ドラマーのチャーリー・ワッツはこの曲の独特なグルーヴを理解することができず、レコードではプロデューサーのジミー・ミラーがドラムスを演奏している。歌詞に登場するミスター・ジミーはこのジミー・ミラーのことかもしれないのだが、当時、ミネソタ州エクセルシオールの街をよくうろついていた地元の人物の可能性もあるのだという。
ミック・ジャガーが公演で訪れたその街でドラッグストアに入り、チェリーコークを買おうとしたのだが、あいにく売っていないと言われ、後ろに並んでいたその人物が「欲しいものがいつも手に入るとは限らないね」と言ったというものらしい。
いすれにしてもこの曲では、いつでも欲しいものが手に入るとは限らないが、ときどき試してみれば、必要なものが手に入るかもしれない、というようなことが歌われている。
60年代のローリング・ストーンズの有名な曲をあつめた、おそらく日本で編集されたベストアルバムのようなものを確か高校1年の頃に買って、「サティスファクション」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」をはじめ、それで当時のローリング・ストーンズの音楽を把握できた気になんとなくなっていたのだが、そこには「ギミー・シェルター」も「無情の世界」も(そして、「悪魔を憐れむ歌」でさえも)収録されていなかった。
「レット・イット・ブリード」は「ホンキー・トンク・ウィメン」の別バージョンである「カントリー・ホンク」は収録されているものの、他にイギリスやアメリカのヒットチャートの上位にランクインした曲は収録されていない。それでも、今日、ローリング・ストーンズのベストソングリストに必ず選ばれているような楽曲や、それ以外にもとても良い演奏がたくさん収録されていて、これを聴かずしてローリング・ストーンズを語るべからずといわれても仕方がないような作品であることには間違いない。
