ハリー・スタイルズの名曲10選(the 10 essential Harry Styles songs)
2010年代前半に世界中で圧倒的な人気を誇ったボーイバンド(日本語ネイティブにより馴染みやすい言い方をするなら男性アイドルグループ)、ワン・ダイレクションの元メンバーでありながら、ソロデビュー以降はより広い層のリスナーから高い支持を得て、ポップシーンにおける存在感を高め、カリスマ性を発揮しているのがハリー・スタイルズである。
2026年3月には約4年ぶりのアルバム「Kiss All the Time. Disco, Occasionary」をリリースしたのだが、リードシングル「Aperture」に続いて、当然のように大ヒットを記録した。音楽的にも進化や深化を遂げ、それでいて商業的にも成功しているという実に理想的な状態である。
今回はそんなハリー・スタイルズのソロアーティストとしてのキャリアから、これは特に重要なのではないかと思える10曲をほぼリリース順にセレクトし、簡単な説明を加えてみた。ポップアイコンとしての絶大な存在感の礎である音楽的な多様性、ソングライターやパフォーマーとしての類稀なる才能がコンパクトに伝わる内容になっていれば幸いである。
Sign of the Times (2017)
まずはワン・ダイレクションの解散後、ハリー・スタイルズが最初に発表したソロアーティストとしてのデビューシングル「Sign of the Times」からである。長く熱心なポップミュージックリスナーであれば、このタイトルからプリンスの大傑作2枚組アルバムやそのリードシングルを想起する者も少なくないと思うのだが、ハリー・スタイルズがこの曲のタイトルを公式に発表したのは、偶然なのかそうではないのか、プリンスの同名アルバムのリリース日からちょうど30年後の同じ時期であった。
ポップマーケットで大成功を収めたボーイバンドの元メンバーが解散後、ソロデビューした場合に、どのような音楽性が求められるのだろうか。多くのファンはそこにグループ時代の幻影をまだ追い求めるかもしれないのだが、アーティスト自身はあえてそれを裏切り、シリアスな音楽性を追求するもののあまりしっくりこないとか、そういったこともあるのかもしれない。
しかし、ハリー・スタイルズの場合はそうではなかった。まず、シングル向きとは到底思えない約5分40秒にも及ぶパワーロックバラードである(ラジオ用に4分07秒に短縮したバージョンもつくられてはいたものの)。しかも、ポップスターがイメージチェンジの手段としてロック的な音楽性を取り入れてみた、というようなレベルにはまったくとどまっていなく、グラムロック的なカタルシスさえも感じさせる素晴らしい楽曲に仕上がっていた。
ハリー・スタイルズ自身はこの曲について、母親が子供を出産しようとしているのだが、合併症を患っていて、子供は大丈夫なのだが自分自身は助からないというような状況を想定したと語っているのだが、当時(そして、現在に至るまで)、世界中の多くの人々が直面していたであろう困難というかしんどさにポップソングというフォーマットにおいて、真摯かつ深刻に対峙した楽曲だともいうことができる。
このアプローチに対し、一般大衆的なポップミュージックリスナーがどう反応したかについては、全英シングルチャートで1位、全米シングルチャートで最高4位のヒットを記録したという事実が実証しているように思えるとはいうものの、評価はその後さらに高まり、ポップミュージック史におけるクラシックス的名曲の1つとして評価が固まる日も遠くはないような気がするのであった。
Two Ghosts (2017)
ハリー・スタイルズのソロデビューアルバム「Harry Styles」に収録されていた楽曲で、シングルカットもされたのだが、全英シングルチャートで最高58位とそれほどヒットはしていない。
しかし、これはまたハリー・スタイルズというアーティストがワン・ダイレクション時代のリスナーたちよりも幅広い層にアピールするだけの実力を備えていることを十分にアピールするのに最適な楽曲の1つではある。
ロマンスは人生において最も(そして、現時点における個人的な感覚としては唯一の)素晴らしい出来事の1つだということは、わりと共通認識的なのではないかと感じるのだが、その美点の1つとしては(あくまで個人的な感想ではあるのだが)それが一過性的には激しく燃え上がるのだが、ほぼ例外なくいずれは冷め果てて、一体あれは何だったのだろうというような感じになりがちなことが挙げられる。
つまり、あれほど激しく愛し合い、まるで永遠でもあるかのごとくに通じ合っていたはずの2人が、現在ではまるで2体の亡霊であるかのようだ、というようなリアリティをポップソングとして表現した素晴らしい楽曲である。
さらには、この曲はハリー・スタイルズとそれほど長くはないロマンスがあったのではないかと噂されたりされなかったりしているテイラー・スウィストとの関係について書かれているのではないかというゴシップ性(実際は元パートナーのルイ・トムリンソンとのことであろうという説が濃厚ではあるものの)をも含めて、ただただ尊いと言わざるをえない。
Kiwi (2017)
ハリー・スタイルズのソロデビューアルバム「Harry Styles」からシングルカットもされたが、全英シングルチャートでの最高位は66位とそれほどヒットしてはいない。
ソロデビューアルバムにおけるロックミュージック的な音楽性は実はかなりハマっていて、インディーロック愛好家的ではないオアシスやザ・ヴァーヴのリスナーにすらマイルドに刺さっていたのではないかとも思えるのだが、以後、ハリー・スタイルズはよりポップな音楽性を追求していくことになり、こういった音楽性には現在までのところ立ち返ってはいない。
その判断はおそらく完全に正しいのでそれで良いとして、この時期の音楽性をかなりのレベルで究めているように思え、それゆえに独特な満足感を得られるのが、このニュージーランドを原産国とする果物をタイトルにした「Kiwi」という楽曲である。
ハリー・スタイルズの楽曲の歌詞には果物が効果的に登場しがちな印象はあるのだが、この楽曲に関してはタイトルがそのものズバリになっていて、但しなぜそうなのかはよく分からないというところも含めてかなり良い。つまり、実はひじょうに個人的な内容をぼやかして表現しているのではないか、というような憶測もかきたてたりはする。
たとえば自分に関心を向けさせる目的で、わりとマイルドに無茶をしてしまっている異性(あるいは同性)の存在を感じるということは、退屈な人生全般における数少ない醍醐味の1つであることが明白なわけだが、そんな不埒で夢見心地な感覚が感じられるという点において、個人的にはこの楽曲をかなり信頼し、圧倒的に支持してはいるのだ。
Adore You (2019)
ハリー・スタイルズの2作目のソロアルバム「Fine Line」から「Lights Up」に続く2曲目のシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高7位、全米シングルチャートで最高6位のヒットを記録した楽曲である。
シンプルにわりとストレートなラブソングであり、タイトルに入っている「Adore」という単語は「Love」よりも強くて深い、「愛している」を越えて「崇拝している」という意味である。ちなみにハリー・スタイルズのソロデビューシングル「Sign of the Times」と同じタイトルでその30年前にリリースされたプリンスの2枚組アルバムの最後には「Adore」という楽曲が収録されていた。
恋愛の特に初期段階における対象を相手の気持ちとは無関係に勝手に崇拝するような感じ、これこそが人生における至福の時間であり、大抵の場合はその関係における単純なピークで、その感覚はその後、二度と戻ってはこない。しかし、その時点においては、これからますます良くなるのではないか、というような淡い期待を愚かにも持ってしまっている(大抵の場合は、いずれ壁に頭を何度も打ちつけてまで忘れようとする羽目になるとしてもだ)。
それも含めて人間っていいな、というようなヒューマニティが全面に溢れまくっていて、リスナーの個人的な状況によっては窒息してしまわないかと心配になるレベルの素晴らしい楽曲である。
Watermelon Sugar (2019)
ハリー・スタイルズのアルバム「Fine Line」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高4位、全米シングルチャートでは初の1位に輝いた最高のサマーポップソングである。
この曲もタイトルに果物が入っていて、恋におちている瞬間、その対象がまるで果物であるかのように感じられる場合があるという事実の他に、現実的に果物の香りを放つフレグランスを身にまとっている場合も少なくはない。あるいは、イチゴ味のリップスティックである。
ほとんどの場合、人工的に添加されているのは香りだけであり、味覚については感覚によって現物を超えていく。味覚として実際にそう感じているわけではおそらくないのだが、たとえばキスが甘いというのはそういった理由によるものであり、同じ相手とであったとしても、それはやがてそうではなくなる。
つまり、感覚的、官能的なわけであり、それは夏という季節とは心構えしだいだとしても相性が良い。たとえ肩透かしに終わる運命にあったとしても、少なくとも夏のはじめの頃合いぐらいには淡い期待をいだかずにはいられず、この曲やサブリナ・カーペンター「Espresso」あたりを追加したプレイリストを作成してしまうのである。
Falling (2019)
アルバム「Fine Line」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高15位、全米シングルチャートで最高62位を記録した、悲しみと切なさで胸がはち切れんばかりのピアノバラードである。
「君についての曲を書きすぎていることは重々承知している」という歌詞が印象的だが、アルバム制作時のハリー・スタイルズは自身が経験した失恋の痛手からまったく立ち直れていなく、それについてプロデューサーのキッド・ハープーンにも話していたのだが、彼のアドバイスはその痛みに対処する最善の方法は、それを楽曲として表現することによって昇華することだ、というようなものであった。
ハリー・スタイルズのような地位と名声を欲しいままにしているかのように見えるポップスターであっても、人並みに失恋はするし、そのダメージは食らいまくるのだということがよく分かる、痛切で感情的、それでいて美しい楽曲に仕上がっている。
そこには自責の念と深い後悔があり、程度に差こそあれ同様の経験をしたことがあるリスナーは共感し、特にまさにその渦中にある者にとっては救いにも似たカタルシスさえ得られるほどのクオリティである。
As It Was (2022)
ハリー・スタイルズのソロアーティストとして3作目のアルバム「Harry’s House」からリードシングルとしてリリースされた「As It Was」は、全英シングルチャートで10週連続、全米シングルチャートでは15週連続1位という大ヒットを記録し、イギリスで最もメジャーな音楽賞レース、ブリットアワードでは、ワン・ダイレクション時代の「What Makes You Beautiful」、ソロアーティストとしての「Watermelon Sugar」に続き、自身3曲目となる最優秀楽曲賞を受賞した。
また、ジョニ・ミッチェルに同タイトルの楽曲が存在するが、実際には細野晴臣のアルバム「HOSONO HOUSE」からインスパイアされたと言われる収録アルバムは、翌年のグラミー賞において、アデル「30」、ビヨンセ「ルネッサンス」などを抑え、最優秀アルバム賞に選ばれている。
「ねえ、ハリー。おやすみって言いたいんだよ」という女の子のセリフからはじまるこの楽曲だが、これはハリー・スタイルズが名付け親となったプロデューサー、ベン・ウィンストンの当時5歳の娘、ルビーが実際に留守番電話に録音していたものである。これが後に登場する「電話に出ろ。ハリー、君は一人ではダメなんだ」という歌詞にもつながってくることになる。
80年代のシンセポップ、特にa-ha「テイク・オン・ミー」を思わせもする軽快なサウンドが特徴のこの楽曲だが、「以前と同じじゃないことはあなたも知っている」という歌詞が象徴するように、マイルドな喪失感とノスタルジーのようなものが盛り込まれることによって、絶妙なポップ感覚を実現することに成功している。
そして、この曲が大ヒットし、日常のサウンドトラックとなっていた当時、世界は新型コロナウイルスのパンデミックから回復しかける渦中にあり、そんな時代の気分にもマッチしていたように感じられる。
Late Night Talking (2022)
ハリー・スタイルズのアルバム「Harry’s House」から大ヒットした「As It Was」に続くシングルとしてカットされ、全英シングルチャートで最高2位、全米シングルチャートで最高3位のヒットを記録した楽曲である。
「君のことが頭から離れない」という状態は恋愛の最も幸福な状況においてはよくあることではあるのだが、それが「もし君が落ち込んでいるなら、ただ君をしあわせにしたいだけなんだ、ベイビー」「夜遅くまでずっと、朝まで君が望むことなら何でも話していたいんだ」というような平常時であれば常套句すぎるようにも感じられれはするものの、その渦中においてはまったくもって純粋で実直な告白とともに、クールなシンセポップサウンドにのせて歌われている。
恋人とは一時的に遠く離れていて、二人はおそらくビデオ通話で夜遅くまで語り合っている。離れている時間が恋しさを加速させ、愛しい想いはさらに深まっていく。それがやがて終末へと向かうことは分かりきっていたとしても、こういった時間を過ごすことこそがおそらく人生の意味なのであろう。
Music for a Sushi Restaurant (2022)
アルバム「Harry’s House」の1曲目に収録されたファンキーなポップチューンで、後にシングルカットされ、全英シングルチャートで最高3位、全米シングルチャートで最高8位のヒットを記録した。
ハリー・スタイルズがプロデューサーと一緒にロサンゼルスの寿司レストランにいたときに、アルバム「Fine Line」に収録された楽曲が流れ、寿司レストランの音楽ってちょっと変だよね、というような話題からこのタイトルが生まれたようである。
当初はアルバムタイトルの予定でもあったというのだが、結果的に細野晴臣のアルバム「HOSONO HOUSE」にインスパイアされたともいわれる「Harry’s House」になったというのである。ちなみに細野晴臣の愛称の1つもハリーであり、ハリー細野の名義を使っていることもある。
それはそうとして日本のシティポップからの影響も指摘される「Harry’s House」だが、派手めなホーンとファンキーなベースラインが特に印象的なこの楽曲については、岡村靖幸のハイブリット感溢れるポップ感覚に通じるところがあるようにも感じられる。
Aperture (2026)
ハリー・スタイルズが大ヒットを記録した上に高い評価も得た「Harry’s House」以来、約4年ぶりにリリースすると発表したアルバムが「Kiss All the Time. Disco, Occasionary」であり、期待は当然に高まっていた。そして、そのリードシングルとしてリリースされたのが「Aperture」で、全英、全米のシングルチャートでいずれも初登場1位を記録した。
しかしこの曲はたとえば「Harry’s House」からのリードシングル「As It Was」のように、初めて聴いた時点でガッツポーズが自然と沸きあがってしまうような、ポップでキャッチーなヒットチューンというわけではない。それどころか、ポップスターのカムバックシングルとしてはやや地味すぎるのではないかと、聴きはじめてからしばらくの間は感じても仕方がないような楽曲となっている。
静かにはじまりゆっくりと次第に盛り上がっていくエレクトロニックサウンド、そしてある時点からはアンセミックに展開していく構成はLCDサウンドシステム「All My Friends」などにも通じるところがある。
タイトルの「Aperture」は写真撮影において取り込める光の量を決める、調整可能なカメラの小さな穴、絞りのことであろう。人生においても取り込む光の量はある程度、調整可能であり、この曲はそれについて歌っているように思われる。
分断の時代といわれる今日に、ハリー・スタイルズのようなメインストリームで超メジャーなポップスターが、やや実験的でもある音楽にのせて、「私たちは一緒であり、愛こそがすべてのようだ」というようなフレーズを繰り返し歌うことの意味の濃さを実感せざるをえず、これこそがポップミュージックをリアルタイムで聴くことの醍醐味のひとつだということもできる。